一昨日は朝から雨ふりで天候的には恵まれませんでしたが、11時にジリリタの社長さんが迎えに来てくれて、彼の車に私と娘を乗せて貰って出かける事になった。ジリリタの高島さん程面倒見の良い人は滅多にいない。彼ほど忙しい人は滅多に居ないような人が私等の為に一日貴重な時間を費やしてくれた。
最初は娘がアポを取っていた川口市の株式会社アイシンテクノロジーズと言う凄いナノジェットマイザー・超微量フィーダー・受託加工の会社社長さんの起業の時からの話を聞き、工場の一部も見学させて頂いた。毎日依頼される粉砕の件数が100件を超えるそうです。工場の設備は半端でなく、昔鉄工所だったビルは骨組みが確りしていて、3階までびっしり重機が詰まっていると言う感じだった。我が社も特殊なインキを作る時には顔料の粉砕をお願いする時もあろうと思って顔を繋がさせて頂いた。
その会社の次は桐ケ谷の商店街にあるジリリタの店舗に行き高島社長の活動の一部を拝見した。今ヒット中のスラックレールが山と積まれていた。国内のメーカーでは賄切れずに今では中国製になっている。技術力のある中国企業とも結ばれているらしい。包装を内職所に依頼しているので社員が引き取りに来ていたが、隣の食堂で昼食もご馳走になってしまった。ジリリタさんは我が社のバランスインソールを販売もしてくれている。
その後に本命とも言える北区の浮間にある株式会社うさぎ屋に誘ってくれた。うさぎ屋さんは当社のバランスインソールの販売をしてくれている。そのインソールの開発者である私の話を聞きたいと言う申し出に出向くことになっていた。
株式会社うさぎ屋と言う会社もユニークな会社で私の話を聞くために社員の方々が集まっていたが、皆昭和14年生まれのうさぎ年で社名の謂れも干支が元になっている。8人ほど集まってくれていたが、皆80歳と言う年には見えないほど若々しい、10歳くらい若く見える。私も15年の2月生まれだから彼らと同年代と言う事になる。戦後の日本に育った共通点があるので、私が子供の時からものづくりが好きで今に至っている話も通じやすかった。
バランスインソールだけでなく、文字入り焚経香、はんこ屋さんゴッコ、手動式パッド印刷機「なんでもくん」の開発にまつわる話は特に皆感動してくれた。皆が一度我が社に来てみたいと言う事になり、日にちを決めてやってくることになった。彼等だったら「なんでもくん」で印刷も仕事にしてしまうかもしれない。初めて会って意気投合する間柄になった、素晴らしい出会いだったと高島さんには感謝している。高島さんとの出会いは私の娘たちが子供の頃ダンスをしていた仲間で我が家にも良き遊びに来ていた子の紹介だった。縁は異なもの味なものとだと感じている。
昨日も面白い一日だった、先ず世の中には色んな仕事が有るものと感動してしまう。木工屋さん、人形メーカー、製缶屋さん、製靴屋さんもお客さんなってくれた。先日神戸からお出でになった人がパッド印刷の仲間になってくれた、今日「なんでもくん」一式を発送する事になった。
最初は娘がアポを取っていた川口市の株式会社アイシンテクノロジーズと言う凄いナノジェットマイザー・超微量フィーダー・受託加工の会社社長さんの起業の時からの話を聞き、工場の一部も見学させて頂いた。毎日依頼される粉砕の件数が100件を超えるそうです。工場の設備は半端でなく、昔鉄工所だったビルは骨組みが確りしていて、3階までびっしり重機が詰まっていると言う感じだった。我が社も特殊なインキを作る時には顔料の粉砕をお願いする時もあろうと思って顔を繋がさせて頂いた。
その会社の次は桐ケ谷の商店街にあるジリリタの店舗に行き高島社長の活動の一部を拝見した。今ヒット中のスラックレールが山と積まれていた。国内のメーカーでは賄切れずに今では中国製になっている。技術力のある中国企業とも結ばれているらしい。包装を内職所に依頼しているので社員が引き取りに来ていたが、隣の食堂で昼食もご馳走になってしまった。ジリリタさんは我が社のバランスインソールを販売もしてくれている。
その後に本命とも言える北区の浮間にある株式会社うさぎ屋に誘ってくれた。うさぎ屋さんは当社のバランスインソールの販売をしてくれている。そのインソールの開発者である私の話を聞きたいと言う申し出に出向くことになっていた。
株式会社うさぎ屋と言う会社もユニークな会社で私の話を聞くために社員の方々が集まっていたが、皆昭和14年生まれのうさぎ年で社名の謂れも干支が元になっている。8人ほど集まってくれていたが、皆80歳と言う年には見えないほど若々しい、10歳くらい若く見える。私も15年の2月生まれだから彼らと同年代と言う事になる。戦後の日本に育った共通点があるので、私が子供の時からものづくりが好きで今に至っている話も通じやすかった。
バランスインソールだけでなく、文字入り焚経香、はんこ屋さんゴッコ、手動式パッド印刷機「なんでもくん」の開発にまつわる話は特に皆感動してくれた。皆が一度我が社に来てみたいと言う事になり、日にちを決めてやってくることになった。彼等だったら「なんでもくん」で印刷も仕事にしてしまうかもしれない。初めて会って意気投合する間柄になった、素晴らしい出会いだったと高島さんには感謝している。高島さんとの出会いは私の娘たちが子供の頃ダンスをしていた仲間で我が家にも良き遊びに来ていた子の紹介だった。縁は異なもの味なものとだと感じている。
昨日も面白い一日だった、先ず世の中には色んな仕事が有るものと感動してしまう。木工屋さん、人形メーカー、製缶屋さん、製靴屋さんもお客さんなってくれた。先日神戸からお出でになった人がパッド印刷の仲間になってくれた、今日「なんでもくん」一式を発送する事になった。