今日は私の誕生日です。年齢的にはかなりの高齢者と言っても良いと思っていますが、私自身は年を取ると言う事は忘れています。これから向こう何年生きているのかは定かではないですが、未だ5年や10年は生きているのではいかと思いたいのですが、こればかりは寿命と言うのが有るので健康だから生きていると言う訳にはいかないだろうとは思っています。交通トラブルや自然災害など自分の予期できない事に出会う事もある。ただ、如何なる奇禍に出会っても生き延びる能力は自分にはあると信じている。
 戦時下に家を焼かれ、それで食べるものも何もかも失った時にも何とか生き延びてきた。食べられそうなものであれば野草でも落ちているものでもなんでも食った。食べてはいけないものは自分の体が知っており直ぐ吐き出してしまう。私は好き嫌いなく何でも食べる習性は子供の時に身に着いたのだろうと思っている。自分が食べたいなと思ったら夜中でも家内は気に入らないだろうと思うが自分で作って食べる、私は昆布が好きで色んな昆布を買ってくる。今はまっている昆布もある。昆布製品を食べない日は一日としてない。昆布には黒酢か味ぽんに漬けて食べている。
 それに最近高く評価されている納豆があるが、子供の時から納豆を食べない日はほとんどない、納豆は大好きでご飯を食べなくても納豆だけは食べている。
 人間は海から這い出て陸上で生きるようになったと言われているが、古代人は如何に貝類を食べて生き延びて来たかは貝塚を見ればわかる。私も貝類は好きでアサリやシジミの味噌汁はよく食べる。それに古代人が捕まえやすいイワシやアジのような青魚はよく食べる、酒を飲みに行ってもモズク酢やメザシや牡蠣などを肴にして飲むのが好きだ。寿司屋に行っても赤貝、青柳、とり貝、鯵,鯖、細魚などを注文する、マグロやタイは養殖のハマチなどほとんど食べない。
 家内はトマトが好きで家の冷蔵庫にトマトが入ってない日は無い、私はトマトジュースが好きで寒い朝には燗して飲む事もある。それに習慣として朝は必ず緑茶を淹れて飲む。母親が朝茶その日の難逃れと言って子供の時から朝に茶を飲むのが習性になっている。
 我が家では茶の切れる日は無い、私が何十年も具合が悪くなって一日たりとも休んだことが無い、これらの習慣が私を健康にしているのかも知れない。怪我以外で具合が悪いと言って何十年も医者に行ったこともない。
 「大往生したけりゃ医療に関わるな」と言う本や「医療常識はウソだらけ」と言う医師や生物学者の本も読んだ事がある、皆私の意見と通じるので安堵している。
 これから何年生きるか分からないが医者に行くときは死亡した時だろう、死亡診断書は医者以外に書いてもらえないからだ。