正月三が日は駅伝三昧、元日はニューイヤー駅伝、2日3日は箱根駅伝を楽しんだ。ニューイヤー駅伝は毎年コニカミノルタを応援する。何故なら私の娘の亭主がコニカミノルタに勤めている、結婚式には駅伝チームの一人が代表で出席してくれていたのを思い出す。
 箱根駅伝は我が母校法政大学がシード権を得ているので応援している、今年も5位だったが山登りでは青木選手の7人抜きで楽しませてくれた。復路もそれなりに安定した走りでシード権を得たので安堵した。ただ三日は昼から孫たちが来ての新年会で大騒ぎになるので、駅伝の後半はゴールを確かめるだけになってしまう。母校は今年も5位をキープした。
 それにしても孫達の成長の速さには驚く、ついこの前までは皆が集まっても我が家で新年会が出来たが、孫が大学生や高校生になり、孫娘の一人など私の身長を超えている。今年は大阪の堺に在住している娘一家は参加できなかった。息子がサッカーの試合か何かがあるらしく来られなくなってしまった。この子は3月にはイタリーにサッカー留学する。その時我が家に来る事になっている、何故なら成田空港からイタリーに向かうからで我が家に一泊する事になっている。
 今年も大黒寿司が3日に部屋を開けてくれた。家内は元旦に買い物し、煮つけと野菜サラダを作る事に専念した。子供たちが毎年楽しみにしてくれている。
 カラオケが始まったらマイクを取り合うが如く次々歌が飛び出す。私が歌ったのは口開けの1っ曲だけだった。喧噪な中でも家内がお年玉の授与を始めたら皆神妙に受け取っていた。家内は以前は百円単位でも皆喜んでいたが、今では千円単位になってしまったと言っていた。お年玉の袋は昨年末に家内と文房具屋に行って選択して置いた、孫たちはそれぞれ違うデザインに喜んでいた。
 宴たけなわだったが、私も酔いが回っていたが末娘の今年小学校に行く子がサッカークラブに入っていると言うので近くの公園に行って持参していたサッカーボールでその実力を確かめる為に行って驚いてしまった。私がキーパー役で孫にシュートさせたら捕球できずに私はひっくり返ってしまった。酔っているとは言え反射能力の衰えに驚かされた、普段の運動不足が響いているのを実感した。筋力の衰えを補うために今年から生活習慣にストレッチをすることを入れる事にしようと決意した。
 新年会も4時間くらいで終わりにしたが、末娘が酒も飲まず運転して帰ると言って大黒寿司前まで車を持ってきたが、その車を見て驚いてしまった。大きなベンツで7人乗りだと言う、あんな大きなベンツを見るのは初めてだった。昨年まではBMWだったが、末娘が運転も慣れたので自家用車を1台にする事にしたらしい、亭主のご両親も一緒に乗る事が出来るようにしたのだろう。
 4日には例年の如く初詣に我が屋の菩提寺に行ったが、これも驚きだった。例年檀家で車止めは一杯になっているので覚悟して行ったが、今年は1台も車が無い。悠々車を駐車できたが、一人も檀家が来てない、3が日の内に何軒かは来たらしく墓に花が添えられていたが疎らだった。
 住職に挨拶し、お布施をし話を聞いたが、住職が喋り始めたが止まらない、極端な時代の変化について得々と話していた。年賀状も少なく皆メールになってしまっている。若い人の寺離れが夥しい事になっている。私は生まれて直ぐ父親を亡くしている。母親が祥月命日にはお父さんの所へ行きましょうと言って墓参りに来た、私はお父さんと言うのはお寺の坊さんの事を言うのではないかと思ったりしていた時期が有った。
 この寺は1,500年くらいの歴史がある寺で、私の祖父さんや祖母も、その親も代々親しんだ寺だと懐かしく、本堂の席には自分の親父も座ったりしていたと思うと繋がりを感じていた。2年ほど前にこの寺も代替わりしたと聞いていたが、その代替わりした坊さんにお目に掛ったことが無い。
 地方の寺が跡取りが居ない、檀家が居なくなってしまったと言って廃寺になっている所も多いとは聞いていた。若者の仏教離れが言われているが、我が菩提寺も檀家の後継者不足が始まっているのかも知れない。少子高齢化社会がそうさせているのか、まず寂しい墓参りだった。
 五日には会社に向かったが、環七が異常な交通渋滞状態になり、一時間やそこらで行ける感じがしないので家に戻ってしまった。新年は7日からと決まっているので今日から会社は始動するが、午後には区役所の賀詞交歓会にFC足立を代表して出席する。例年各町会、自治会、各業界の方々が見えるがいつものような賑わいを期待している。