私は創業時から何十年も同じ環七を車で家から会社まで通勤しているが、通勤時間が最近極端に短くなっている。以前は環七が渋滞するのが当たり前で、ほんの六キロ足らずの距離しかないのに40分近くかかることも有って遠回りして渋滞を避けることもしばしば有った。今では交通事故でもなければ渋滞と言う感じはしない。同じ時間帯、同じ道路を走っていて今では10分ほどで着いてしまうのは稀ではなくなった。以前は短時間で会社に着くと何か得したような気分にもなったが、同乗している家内も走る車が少ないのはそれだけ物が動いてないのではないかと心配ごとのように言う。
 若者の車離れも手伝っているかも知れないが、世の中の消費構造の変化がそうさせているのかも知れない。道路沿いの建物も変化して依然と景観もかなり違ってきている。今も工事中の所が有るが、あれ?前には何が建っていたっけと分からなくなってしまっている。世の中進化しているからだろう。
 帰りには西加平過ぎた所に信号が出来て以来、渋滞するのが当たり前になっていたが最近はその渋滞もない日が続いている。会社を出てしばらくすると交通情報の電光掲示板に西加平まで10分と出ている環七で帰って来る、20分と出ていると島根で右折して環七と平行している旧道で帰って来るので、そこは滅多に渋滞する事は無いので環七が混んでいても帰り時間は大差ない。
 環七と平行している旧道には私が戦後千住で焼け出され移り住んだ所で、5歳から高校卒業するまで育った家が有った。兄が紙芝居の仕事をしていたので多くの絵描きさんが出入りしてたり、懐かしい場所でもある。子供の頃よく遊んだ友も大勢いたが、今知っているのは一人くらいしか住んでない。
 通りに面してるお茶屋の倅とは小学校、中学校、高校も同じで、よくゴルフにも行ったことがあったが、もう亡くなって何年になるだろう、存命中はタバコやお茶を買いによく寄ったのも懐かしいことになってしまっている。最近は小中高の同窓会の話もとんと来ない、世話役の連中が皆高齢者になって動けなくなってしまっているのだろう。私が親友として付き合っていた者は7人居たが皆亡くなってしまっている。
 旧友は亡くなってしまっても、今は若い親友が大勢いるので寂しい思いはしない。区内にも全国にも親友と言っても良い人が沢山居るから淋しいなど感じたこともない。
 昨日もある「なんでもくん」のお客さんからインキの注文が10個以上入った、パッド印刷でこれだけの量を使うのには相当の仕事量をこなしているに違いない、消耗品の注文を頂くのは一番嬉しい、それだけ「なんでもくん」が活躍していると言うことになる。最近は消耗品の注文が無い日は無い、今年購入した有名大学からもかなりの量の注文が入った。超有名なコピー機のメーカーから「なんでもくん」の追加注文も入っている。連日パッド印刷についての相談も、「なんでもくん」についての相談もある、パッド印刷の伝道師の一日は結構忙しい。
 今日の午前は朝一番で「あだち新製品開発講座」参加企業の会社訪問に行く、今日の2社で6社目になる。訪問すると物凄い刺激を受ける、行くところ行くところで勉強になることが多い。そもそもこの講座に参加すると言うのはモチベーションのある人を育ててる会社や社長が多いと思われる、だから私自身が刺激を受けることになる。お付き合いのある全ての方達に感謝感謝の毎日でもある。