近畿光和会と言うのは旧光亜証券出身者の集いです。私も光亜証券に10年ほど在籍しておりましたので招待状が毎年来ます。私が退職した後、光亜証券は野村證券投資信託販売会社と八千代証券と合併し国際証券となりました。光亜証券だけは持ち株制度が有り、毎月給料の数パーセントが株式購入に当てられました。社員はすべて国際証券の株主になり、国際証券が1部上場となり、株価が驚くほど高騰し、高値で売った人の中には12億円にもなった人も居たと聞いています。私が退職した時は光亜証券時代だったので上場はされてませんでしたが、持ち株は買値の倍で買い戻してはくれました。私も国際証券で定年退職するまで居れば有資産者の一人になれたかもしれません。
 その後国際証券は三菱グループに入り現在は三菱UFJ証券ホールディングス株式会社に姿は変わっています。
 私のこれまでの人生で10年ほどのサラリーマン生活でしたが、その10年の間に大阪で6年半、神奈川県の相模原に3年半しか居りませんでした。その短い間に人には出来ないような記録や記憶を残して辞めたのでOB会に呼ばれているのだと思います。相模原に居た時に新規店が3年一月で全商品が全店でトップになった。その時に突然会社を辞めると言ったので大騒ぎになったのを記憶してます。サラリーマンとしては収入も多く、仕事も嫌いではなかったのですが、得意先には金持ちが多く、お金持ちにはあまり人として魅力のある人は少なかった。金持ちでない人でも株で大儲けを夢見ている人ばかりで、私のうわさを聞いて他店から私の客になる人も多かった。
 私は新人の時に同期の者の何倍も歩き回った。新人研修の頃は大阪には25人ほど居たが、皆訪問恐怖症になり、会社を辞めて行く、1年経ったら5人ほどしか残らなかった。
 毎月1万円の積み立て貯金も一日で23件も顧客を作った記録など破られる事は無かったろう。その結果顧客数も同期の者の何倍も出来、債券などの募集物は人の何倍も消化していた。
 ただ、毎月株の手数料収入、募集物の金額など次の月はゼロから始まり、月末まで積み上げて行く、金利だ利ザヤは虚構の代物でしかない、物のような手触り感が無い。子供の時から物作りに憧れが有り、手触り感のあるものづくりの世界に魅了されてしまった。それが現在に至っている。
 私は好きでやっているから病気一つしたことが無い、OB会に出ると上司だった人や同期の者でも部下だったものにも亡くなったのもかなりいる。世話人になっている人達や現役で仕事している者は皆元気だが、人の役に立っている人は皆元気だ。
 大阪にいる娘や孫にも会いたい、OB会には参加すると返事は出しておいた。