私は毎日車で出勤しているが会社にゆくわずか6キロの距離の間にガソリンスタンドが6軒ある。そのガソリンスタンドのガソリン価格がまちまちでいつも関心を持っている。20年ほど前には10軒くらいあったのだが3軒はいち早く廃業し、ごく最近九州石油が姿を消した。今そのスタンド跡は区画整理で其処に有った形跡など微塵もない。
 私の親友とも言える子供の時からの友の一人は一時スタンドを19軒にまで増やし、地域でも名士になり、クラス会などでも成功者としてクラスの誇りにさえ思われていた。彼の勧めもあり同じゴルフ場のメンバーになり、月に1度か2度はゴルフ場通いをした。彼のベンツに乗り何度ゴルフ場を往復したかわからない、その彼とゴルフを楽しむだけでなく、道々スタンド経営の難しさを聞くことが再々あった。とにかくガソリンスタンドの数が多く販売競争が激しく、ガソリンの仕入れ価格より販売価格の方を安くしないと他のスタンドに負けてしまう。販売価格と仕入れ価格の差は卸商が事後調整してくれている間は何とか保てたが、その事後調整を打ち切られた時から彼の苦悩が始まった。
 事後調整が打ち切られる前にベンダー事業に手を出し、それは成功していたが、それも競争が激しくなり、二兎を追うことが難しくなっていた。外車の販売会社も立ち上げたが、その会社には私の娘たちも世話になったこともあったが、これも沈没してしまった。
 彼は自分はモータリーゼーションに乗っかて運が良かっただけだった、その点カンちゃんは良いよな自分の技術で商売をしている、俺には自分のものが何もない、取り巻く人間も皆金目当てで群がっているだけでこれと言った信頼の出来るのがいない、と悔やんでいた。それで利害関係にない私とゴルフに行くことで癒されていたのかもしれない。ある日ゴルフに行く為彼の会社前で待ち合わせていたが、待てど暮らせど来ない、なにか事情があったに違いないと仕方なくその日は彼とのゴルフは諦めた。
 その次の日だかに電話が入り、家内にゴルフの約束の日を間違えたと言って謝罪の電話が有ったと聞いた。その後数日で彼の訃報を聞くことになった。彼は残ったスタンドを保険金で守るため自らの命を絶った。だが、その会社も1年後には彼の意志も虚しく姿を消してしまった。ゲーテの名言「苦しみが残していったものを味わえ、苦難も過ぎてしまえば、甘美だ。」その苦難を乗り越える勇気が無かった、名声が邪魔したのかもしれない。一から出直す苦難から逃げてしまったのが残念に思う。
 昨日も彼の本社のあった前を通り過ぎたが、跡形もなく、住宅が数軒とショップが並んでいる。その前を走るたびに彼のことが頭をかすめる。
 今、ガソリンスタンドに販売価格に関心があるのも彼との時を過ごしたせいかもしれないが、このところ毎日のように販売価格が動いている。残る6軒の消長にも関心がある。
 いずれにしてもこのところの円安は激しい、ニューヨークでは114円台を出している。輸入物価はますます高騰してゆくだろう。しかし原油安がその物価高騰以上に日本経済にはプラスに働くだろう。庶民としては何となく安堵する面もある。原油安も今のところ歯止めがない、もっと下がってくれることを願ってしまう。