昨日は久しぶりにお寺詣り、今年はお盆の入りの頃忙しすぎて盆も何も無い状態だった。今年のお彼岸は震災後と言う事で墓参りに行く余裕が無かった。やっと昨日は時間に余裕があったのでゆっくり墓参りが出来た。我が家の菩提寺は文京区の本郷にある願行寺と言う寺で文京区の文化財にも指定されている。盆が過ぎ、静かな境内で私たち二人だけの墓前で御先祖様に今元気に生きていることに感謝の祈りを捧げられた。寺の住職も人が居ないので饒舌だった。盆過ぎの墓参りも有りかなと思った。
 我が家の先祖は上田藩の出で馬回りと言う役職だったらしい。先祖の中に藩の命で長崎に医学を勉強に行かされ表御医師になるのが居て江戸詰になった。上田藩士分限帳と言うのがあるがそれに先祖の一人の名が記されている。
 明治維新で私の祖父は神田紺屋町で梅田屋と言う骨董品店を始めたらしい。その祖父の時代には長野から出て来る人は多くが頼りにしていたらしい。後に有名になった人が何人もいたと聞いている。ただ祖父は2人の子を残して早世してしまった。当時の民法では家督を継ぐには幼い子では出来ない、番頭が後見親となり、身上は後見親の思いのままになってしまった。私の父も戦争が始まる直前に亡くなってしまい、親戚と言うと叔母一人となってしまった。その叔母の家に書生としていた方が野村証券の役員になっていたので私が証券会社に勤めるきっかけになった。従姉もいるにはいたが私とは年が離れすぎていてなじみが薄い。母も一人っ子で母方の親戚も母の叔父くらいで母の亡くなった後は親戚にはなじみが少ない。私の子も女の子しかいないので私の代で願行寺とは縁が切れてしまうだろう。
 我が家では母と墓参りすると必ず精進落しとして何処かで食事をすることになっていた。昨日は家内と二人だったが浅草の何処かでいつもと違ったところで食事をしようと探索した。いつも食事と言うより一杯飲めるところに行ってしまう。
 天ぷら屋 いつも前を通ることはあっても入ったこと無い「江戸っ子」と言う天ぷら屋に入った。母親とは天ぷらと言えば「葵丸進」と決まっていた、娘時代からの決まりだったらしい。父親も通ったと言う「神谷バー」もいつ行っても人でごった返している。「江戸っこ」も人気の店と言うわけではないが古い店だけあって落ち着いた雰囲気はあった。天ぷらはいつも上野で行く天ぷら屋の方が油がなじんでいる、ネタは良いが私には今一と言ったところだった。ビールのつまみに取った「ぬた」は絶品だった。こんなつまみだと酒が欲しくなってしまう。天ぷら屋なのに刺身の盛り合わせが美味かったのは皮肉なことと言える。
 今浅草といえども新しい店が増えている、新しい店でも粋なところもある、ただ老舗だと言って安閑としていられないだろう。値段が安くても美味く食べされるところもある。日がまだ高いのでいつもの所は準備中だった。芸能人がよく行く捕鯨船なども準備中だった。
 寄席も気に入ったのが居なくて入るのを止めた。ロックスの地下の西友で気に入った肴を買って未だ日が高い午後に帰って来てしまった。綾瀬の義姉親子を呼んで夕方まで家で酒盛り、充分癒されたと思う。
 今日はシアター千住の売り場に線香を持って行くのと試作で遅れているのを会社に行って片付けるつもりだ。
 それにしても今日の女子サッカーは圧巻だった。なでしこジャパンが世界一になった。試合前のセレモニーも素晴らしかったが実力的にはアメリカの方が上だと見ていた。それが運も手伝ったと思うがPK戦で勝った。全てあきらめることをしないで頑張った結果だと思う。今まで勝てなかった相手に勝ってしまった。澤選手のように30年も続けてチャレンジしていたところは学ぶことが多い。世界一になったところから新しい始まりがある。
 今ボロボロの日本だが女子サッカーで元気づけられたと思う、「なでしこジャパン」に負け劣ら頑張る気になってほしい。あきらめずにその気になれば世界一も難しくない。