久し振りに漆職人のような仕事が入った。お位牌に純金の箔を張り付けるもので、書の達人、お寺の坊さんや宗団の教祖が書いた文字をそのままお位牌に転写し金箔を張り付ける事が出来る。
シルクスクリーン印刷やパッド印刷でも金色の文字を印刷する事は出来るが、それは金色ではあるがインキのバインダーに金粉を混ぜて印刷するので金箔のようなテカテカした輝きは望めない。
通常のお位牌に書き記した文字は文字書き職人が金粉入りの塗料で書いた物か機械彫刻した文字に金色塗料を練り込んだものが多く、時が経てば大体茶色に変色してしまう。
私の作る文字はシルクスクリーン印刷の手法を使うが原本を写真撮りした物を版にしてUVインキの粘着剤を印刷し、その上に純金の箔を乗せる。漆で書いた文字や絵柄に純金箔を貼る手法と同じように金の輝きが損なわれない。
10年ほど前にある新興宗教に教祖の書いたお戒名を純金箔を貼った文字で納入した事がある。その時は大分数多く作ったがこの数年その仕事は来なかった。仏具屋さんで書く文字と比べると印刷の版を使うし、どうしても高いものになってしまう。ところが私の作ったお位牌の文字は10年経っても20年経ってもその輝きは変わらない。そこいらの違いからまた注文が復活したのかもしれない。高くても良いものは良いと評価されたのかもしれない。
たった一つの物でも印刷をする事をして来たから当節のような少量多品種の時代に何の違和感も感じずに仕事が出来る。大量生産にしか関心を持たなかった、あるいはスケールメリットだけを追いかけていた所には中々対応が出来ない時代になっている。企業の体質を変えるのは大変なことなのだろう。
昨日も長年付き合っていると言っても左程資材の行き着は無いところだが、何か仕事がないかと訪ねてきたので当社のオリジナルパッドが欲しいので見積もりを立たせたが、当社では私が注文したような形状は経験がなく無理のようですと言う返事を持ってきた。色々なパッドを作っている経験があるのだから型を作る方法を考えれば出来ないことは無いと思うのだがそれが出来ないと言う。他では出来ると言うのにそこでは出来ないと言う、それでは仕事が無くなってしまう。
古い看板のところだが、手持ちの型を生かす事、面倒なことは避けたいと言うのが本音だろう。どっかから転職してきたというその営業には覇気と言うものが感じられない。
出来なければどうしたら出来るかを考えなければならない。脳に悪い習慣の一つに『「興味がない」と物事を避ける事が多い』と言うのがあるが、まさしく思考停止の状態になっている。こう言う会社は存続が危ないと思わざる得ない。ベテランの営業がいなくなり、かつての火の出るような勢いの所がリストラを繰り返し生き残りを考えているようだがまず無理があるようだ。
電通の鬼の十則に「 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。」
「仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。」とあるが、今やまさにこの言葉を肝に銘じなければならない時が来ている。この言葉は私が証券会社に就職した時に座右にしていた。不況で客の無い時代にでもそれなりに仕事が出来た、その自負が私を独立させたのだが、職種が違っても仕事と言うものは同じ事だといつも思っている。
今日の午前は電気会社でも名の通っている会社の技術者が来る、UVのパッド印刷に大変な関心を持っているようだ。モチベーションのある人と話をするのが楽しみなっている。
シルクスクリーン印刷やパッド印刷でも金色の文字を印刷する事は出来るが、それは金色ではあるがインキのバインダーに金粉を混ぜて印刷するので金箔のようなテカテカした輝きは望めない。
通常のお位牌に書き記した文字は文字書き職人が金粉入りの塗料で書いた物か機械彫刻した文字に金色塗料を練り込んだものが多く、時が経てば大体茶色に変色してしまう。
私の作る文字はシルクスクリーン印刷の手法を使うが原本を写真撮りした物を版にしてUVインキの粘着剤を印刷し、その上に純金の箔を乗せる。漆で書いた文字や絵柄に純金箔を貼る手法と同じように金の輝きが損なわれない。
10年ほど前にある新興宗教に教祖の書いたお戒名を純金箔を貼った文字で納入した事がある。その時は大分数多く作ったがこの数年その仕事は来なかった。仏具屋さんで書く文字と比べると印刷の版を使うし、どうしても高いものになってしまう。ところが私の作ったお位牌の文字は10年経っても20年経ってもその輝きは変わらない。そこいらの違いからまた注文が復活したのかもしれない。高くても良いものは良いと評価されたのかもしれない。
たった一つの物でも印刷をする事をして来たから当節のような少量多品種の時代に何の違和感も感じずに仕事が出来る。大量生産にしか関心を持たなかった、あるいはスケールメリットだけを追いかけていた所には中々対応が出来ない時代になっている。企業の体質を変えるのは大変なことなのだろう。
昨日も長年付き合っていると言っても左程資材の行き着は無いところだが、何か仕事がないかと訪ねてきたので当社のオリジナルパッドが欲しいので見積もりを立たせたが、当社では私が注文したような形状は経験がなく無理のようですと言う返事を持ってきた。色々なパッドを作っている経験があるのだから型を作る方法を考えれば出来ないことは無いと思うのだがそれが出来ないと言う。他では出来ると言うのにそこでは出来ないと言う、それでは仕事が無くなってしまう。
古い看板のところだが、手持ちの型を生かす事、面倒なことは避けたいと言うのが本音だろう。どっかから転職してきたというその営業には覇気と言うものが感じられない。
出来なければどうしたら出来るかを考えなければならない。脳に悪い習慣の一つに『「興味がない」と物事を避ける事が多い』と言うのがあるが、まさしく思考停止の状態になっている。こう言う会社は存続が危ないと思わざる得ない。ベテランの営業がいなくなり、かつての火の出るような勢いの所がリストラを繰り返し生き残りを考えているようだがまず無理があるようだ。
電通の鬼の十則に「 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。」
「仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。」とあるが、今やまさにこの言葉を肝に銘じなければならない時が来ている。この言葉は私が証券会社に就職した時に座右にしていた。不況で客の無い時代にでもそれなりに仕事が出来た、その自負が私を独立させたのだが、職種が違っても仕事と言うものは同じ事だといつも思っている。
今日の午前は電気会社でも名の通っている会社の技術者が来る、UVのパッド印刷に大変な関心を持っているようだ。モチベーションのある人と話をするのが楽しみなっている。