昨日は取引金融機関の紹介で比較的近所の米屋さんがやって来た。5キロや2キロの小さな袋に思いのままの印刷がしたいと言う欲求があるのが分かった。
 米屋さんと言えば昔は結構威張った商売をしていた。米穀通帳などと言うのがあってそれが無いと米を売ってくれない。米穀通帳がないような人はヤミ米を買うしかなかった。そのヤミ米を店舗も無いのに秘かに悪どいと思われるような価格で売って儲けている人も居た。配給制度が米屋の利権を守っていた時代が結構長かった。日本人の主食は米であり、米で無い主食は代用食とも言われていた。代用食などと言う言葉は既に死語になっている。
 配給が足らないので戦後の人は米の少ないところを補うため何でも混ぜて炊いていた。その混ぜ物も思いのままにならないので随分不味いものも混ぜて食べていた。さつま芋を混ぜるなどは上等の方だった。
 NHKの朝ドラでヒットした「おしん」などで大根飯を食べるくだりがあったが私も大根飯を食べた経験がある。先ず不味い、その不味さは今でも感触として残っている。不味くても我慢して食べないと他に食う物が無いのだから食べないわけにはいかなかった。母親もその不味さを知ってか2度と大根だけは混ぜないでくれた。
 混ぜ物が無いご飯を「銀シャリ」といってそれだけ贅沢な食事として評価していた。食べ物が少なく当時は太った人など滅多に見かけなかった。太っている人は金持ちにしかいなかった。「おしん」にも登場するが米問屋などは相当の暮らしが出来ていた。登場する米問屋の内儀はでっぷりとふとって貫禄のある女優が演じていたのを思い出す。
 私の町にも太っている人はタクシー会社の社長夫人位だった。当時の子供らは悔し紛れか太った人を見かけると大勢で「デブ、デブ百貫デブ、車にひかれてペッチャンコォー」などと言って囃したてた。私はそのタクシー会社に兄が勤めていたので皆と一緒に囃したてるわけにはいかなかった。本当は物凄く良い奥さんで、後年タクシー会社の夜勤のアルバイトなどをさせてもらったりして随分世話になった。悪口を叩かなくて良かったと思ったもんだった。私は学生時代に米屋の倅の家庭教師をしたことがあったが結構な暮らしをしていたのを思いだす。
 少し前のことだが米穀商社が飼料として輸入していた米を業務用のコメに混ぜて販売して逮捕された事件があった。米屋の威厳などとっくに無くなってしまっている。時代が変わって町の米屋は生き残りをかけて色々苦慮しているみたいだ。
 米が主食の時代の方が良かったと思っている。今のような非人間的な事件が少なかった。米屋が大胡坐をかいている内に日本人のコメ離れが始まり、朝食など珈琲とトーストで終わらしてしまう家庭が増えてしまった。ファーストフードが当たり前のような時代になって病気も増えている。沖縄の「26ショック」などと言う言葉もある。
 昨日の米屋さんにも米食を薦める事業に高めることを進言した。日本人には米食が一番適っている。長生きしたけりゃ米に限る、パンを食って長生きしている人をあまり見かけない。米文化が世界に広がり始めているのも米が美味いだけでなく健康に取って良いと西洋の人間も気がついたのだと思う。その日本人が米を食べなくなっているのは残念だと思っている。食糧自給率を高めるための制度改革も必要だろう。
 米袋に色々な印刷手法で印刷出来る事を説明した。グループで色々検討する事になったが果たしてどうなるか?