「平成20年度まち工場スクール連絡協議会」と言うのが昨日あった。5年振りのものだと言う、随分前から有ったものらしい、当社は今年度から登録され全くの新参者だと言う事が分かった。
 以前は予算付けなどもあり、まち工場スクールの看板なども有ったようだが、当社には看板すら作る予算も無いと言う事だった。
 如何言うわけか当社には3年ほど前から足立東高校の生徒が年に一度5,6人程度授業の一環として勉強に来るようになっている。昨年は生徒から感動的な礼状を貰って嬉しがったりもしている。
 私は子供らに如何に物づくりが面白いかを知ってもらえればと言うことで受け入れていた。この3年ほど毎年「足立ものづくりフェスタ」や「あだち3Rフェア」などで体験コーナーを設け足立の子等に印刷体験をしてもらっていた。4月の12,13日には舎人公園で「足立ブランド」認定企業として600人ほどの子等に印刷体験をして貰った。
 印刷体験をする子供や年寄りも皆一様に喜ぶのが嬉しくてやっている、まして今や全国から来る人々も一様に皆に驚き、喜びを体験してもらっている。
 私のものづくり体験は戦後の焼け跡から始まっている、焼け跡は掘り返せば正に宝の山だった。色々な金属的な物が出てくる、それを磨いたり加工して色々なものを作る事が出来た。人の持っていないオモチャを作っては鼻を高くして悦に入ったのもその頃だった。
 私の育った居回りには家内工業がたくさん有ったのでそれを日長見ていた、大人の造る物を見ては自分もやってみたかった。仲良くなったオヤジさんには時々機械を触らせてもらった事もある。機械に触れるだけでも嬉しかった。見よう見まねで自分なりに同じような物を作ったこともある。
 今の子はものづくりに関心がないわけでなく、ただそれを見るチャンスが無くなっている。戦後のように土間で物を造っている光景など無くなっているからだし、今の親は危険な道具を触らせることすらしない。遊びと言えばゲームセンターやテレビゲームなどで暇を撫す子等が多い。
 エンピツを削るナイフさえ持たしてもらえない、確かに危険で手を怪我する事もある、その痛さを体験する事で傷みを知る。また怪我をしないように工夫する事が学習になっている。子供の時に自分で器用不器用を知ることにもなる。
 自分で作ったものは形として残る、上手になっていく過程が自分で知る事も出来る。幾ら器用にゲームで高得点できても形としては残らない、ゼロになってしまう。何度でもチャレンジ出来るデジタルの良いところでもあり、欠点でもある。
 ものづくりの原点はやはり手作りだと思う。最近ドイトやホームピックなどに行っても子供の姿を見かけることが無い、皆中高年の人ばかりだ、子供の頃の手作りに郷愁を感じている大人が多いのだと思う。大人のものづくりに子供を参加させて無いように思える、自分が楽しんでいるだけに過ぎないのではないかと思う。
 もっと子供にものづくりの面白さを知ってもらう為に私なりに子供らに会社に来てもらって体験してさせる事にしている。
 昨日出掛ける直前までいた方は私のゆうに倍の体重はあろうかとも思える巨漢の人で持ってきたものはこれまた小さな金属部品でそれに印刷が「なんでもくん」で印刷が出来ないだろうかとの相談だった。毎日履く靴の部品で今アメリカで流行っている物らしい。ヒョットすると日本でも流行るかも知れないと言う。それに印刷が出来その印刷が落ちないと言う事になれば装飾性が上がることは必死だと思われるが、数個に自分の名を入れて持ち帰った。その印刷が落ちにくいと分かれば印刷した物をマーケットに出したいと意気込んでいる目は子供と同じ様に思える。
 不思議な事にその前に来た方も靴屋さんで靴底に「なんでもくん」で印刷をしたいと未だ人がやってないことをやろうとしている、そんな時の目は皆共通して光り輝いているように見える。
 好奇心に輝く目は大人も子供も同じ様に見える。