昨日お茶の注文を北千住の「山本園」に電話でした、先日業務用のお茶として購入したお茶が値段の割にはこの上なく美味しいものだった。当社に務める数人のパートさんがコレなら自家用にも飲める、今度ついでに買ってきて欲しいと頼まれた。電話で注文した時の最後の言葉が何とショック!!この三月いっぱいで閉店すると言う。
このお茶屋さんとは30年来の交友関係にある、私が独立して間が無い頃このお茶屋の主人とは同い年でなんとなく馬が合っていた。
最初はお茶缶等何にでも転写できる転写シールを売り込みに行ったのだが、当時中小企業診断士のセミナーを受けていたので商店の売り出し企画などにもアドバイスをしたりして、サンロード商店会の売り出し企画などにも参画させてもらったりしていた。ポスターやチラシの注文を請けたり、店舗の改築や包装紙の製作まで任されたことがある。開業当初でもありなんでも一生懸命取り組んだ。私が作った包装紙が近所の金融機関のコンテストで金賞を取り、包装紙で売り上げ単価が上昇したといって喜ばれたことも有った。
しかし、私は土台印刷屋ではない、また付け焼刃みたいな診断士のセミナーでの知識位では底が浅い、自分の腕に技術を持つ事のほうがやってみたい事なのと日銭を稼がなくてはならないので工賃仕事が得られる特殊印刷へと傾斜していった。それ以降は北千住に行けばチョット寄ってはお茶をご馳走になり、おちゃの一袋くらいは買って帰るような間柄だった。
静岡のお茶産地出身で奥さんも掛川のお茶関係の出でお茶の薀蓄を話させたら一級のお茶名人だと思う。しかし彼はラジオ少年だったからかパソコンを組むのが得意になりPCのハード面には滅法強い、当然パソコンを操作も上手いので商店会の会計やチョッとしたチラシなど何でもやらされていた。それほどPC慣れしているのに如何いう訳かインターネットには追てゆかない、不思議に思った事がある。近所ではパソコン名人とされ重宝がられている、それなのにネットをあまり活用しない、勿体ないと思う。
最近の若い人はお茶と言うとペットボトルのお茶をイメージしてしまうらしい。お茶を急須で入れる習慣が薄れているようだ、たしかにお茶は入れ方によって美味さが違ってしまい時間を惜しむ人には面倒くさい。お湯を注ぐだけの簡単なドリップコーヒーに移行してしまっているようだ。
お茶の小売店の売り上げは年々少なくなっているのは理解できる、大きなマーケットは葬祭市場だけになってしまっている。しかし葬儀の返礼に貰うお茶で美味いのに会ったためしがない、稀にはあるが大体美味しくない。葬儀屋が悪いのか御茶屋が悪いのか知らないが研究が足らないように思える。消費者の本物への回帰のチャンスを潰してしまっている。
最近は未来クラブの会合を産業センターでやるようになり月に一回は彼の店でお茶を買うことが多かったのに寄る店がなくなってしまう、淋しい限りだ、止めるの止めてと言いたい、だが流れは止められない。
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
このお茶屋さんとは30年来の交友関係にある、私が独立して間が無い頃このお茶屋の主人とは同い年でなんとなく馬が合っていた。
最初はお茶缶等何にでも転写できる転写シールを売り込みに行ったのだが、当時中小企業診断士のセミナーを受けていたので商店の売り出し企画などにもアドバイスをしたりして、サンロード商店会の売り出し企画などにも参画させてもらったりしていた。ポスターやチラシの注文を請けたり、店舗の改築や包装紙の製作まで任されたことがある。開業当初でもありなんでも一生懸命取り組んだ。私が作った包装紙が近所の金融機関のコンテストで金賞を取り、包装紙で売り上げ単価が上昇したといって喜ばれたことも有った。
しかし、私は土台印刷屋ではない、また付け焼刃みたいな診断士のセミナーでの知識位では底が浅い、自分の腕に技術を持つ事のほうがやってみたい事なのと日銭を稼がなくてはならないので工賃仕事が得られる特殊印刷へと傾斜していった。それ以降は北千住に行けばチョット寄ってはお茶をご馳走になり、おちゃの一袋くらいは買って帰るような間柄だった。
静岡のお茶産地出身で奥さんも掛川のお茶関係の出でお茶の薀蓄を話させたら一級のお茶名人だと思う。しかし彼はラジオ少年だったからかパソコンを組むのが得意になりPCのハード面には滅法強い、当然パソコンを操作も上手いので商店会の会計やチョッとしたチラシなど何でもやらされていた。それほどPC慣れしているのに如何いう訳かインターネットには追てゆかない、不思議に思った事がある。近所ではパソコン名人とされ重宝がられている、それなのにネットをあまり活用しない、勿体ないと思う。
最近の若い人はお茶と言うとペットボトルのお茶をイメージしてしまうらしい。お茶を急須で入れる習慣が薄れているようだ、たしかにお茶は入れ方によって美味さが違ってしまい時間を惜しむ人には面倒くさい。お湯を注ぐだけの簡単なドリップコーヒーに移行してしまっているようだ。
お茶の小売店の売り上げは年々少なくなっているのは理解できる、大きなマーケットは葬祭市場だけになってしまっている。しかし葬儀の返礼に貰うお茶で美味いのに会ったためしがない、稀にはあるが大体美味しくない。葬儀屋が悪いのか御茶屋が悪いのか知らないが研究が足らないように思える。消費者の本物への回帰のチャンスを潰してしまっている。
最近は未来クラブの会合を産業センターでやるようになり月に一回は彼の店でお茶を買うことが多かったのに寄る店がなくなってしまう、淋しい限りだ、止めるの止めてと言いたい、だが流れは止められない。
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
伊藤園の”おーいお茶”がお茶と思っている人達が多いとこれが逆にビジネスチャンスだと思う。
でもしか商店は消えてゆくと思うがイノベーションに気づいた所は生き残って行くと思う。