私が初めてパッド印刷と関係持ったのは今から30年ほど前の事だった。開業して間も無く御徒町の新富ゴルフと言うゴルフショップに飛び込みで営業した。たまたま昭和通を車で走っていたとき耳にしたのだが、当時ゴルフショップとしては珍しくラジオでコマーシャルをしていた。偶然目に留まった看板を見るなりこの会社は伸びると直感したから思わず飛び込んだ。
 若い企画課長の意気込みを感じ、面白い事になるなと感じたものだった、畑は違うが営業マンの直感と言うものだ。すぐシントミゴルフと改名し御徒町駅に近いところに5階建ての新社屋を建てた。新店舗だから面白いように毎日色々な仕事が発生した、図々しくも印刷など大して経験も無いのに何でも引き受けてきた。その内ゴルフボールに当時少し名の売れていたプロレス上がりのタレントの顔のイラストを印刷して欲しいと依頼があった。
 偶然江北高校の先輩でプレス業を営んでいた所へ銘版の抜き加工を頼んでいた、彼は理科大卒で特殊印刷の情報を結構知っていた。彼に教えられて平井のパッド印刷屋を訪ねたら、気持ちよく請けてくれた。綺麗にデコボコした所に絵が入っている、面白いなと感じたが未だその時は自分でまさかパッド印刷に手を染めるとは思っても見なかった。
 次々とシントミゴルフは新店舗を増やしてゆくので面白いように仕事が増え売り上げも伸びていったが、売り上げを増すたびに新商品を付き合いで買わざるを得なかった。付き合いで買ったゴルフセットはゆうに100セットは超えたろう。低重心やらステンレスヘッドなどいつもシントミゴルフは他の業者に先駆けて開発していた。川奈ホテルでの年1回のゴルフコンペなど華々しく、当時のゴルフファンにとっては垂涎の的だったようで親しい仲間などよく誘ってやって喜ばれたりしたもんだった。
 人にあげたり時には売ったりもしたが当社にはゴルフセットがゴロゴロしていた。4年ほど前に思うところがあり、引越しを境に全て廃棄してしまい、信用金庫のゴルフ会の会長なども辞めてゴルフとは完全に縁を切っていた。
 以前バブル真っ盛りの頃、よく腕を競い合った川口方面のゴルフ会でまあ仕事仲間とも言える連中が久し振りにゴルフ旅行に行くのだが丸さんの顔がないと淋しいとか何とか言われて、また家内にも少しは運動をしたほうがいいんじゃないかとも言われ重い腰を持ち上げた。
 付き合いのあったゴルクラブメーカーに頼んで私に合ったゴルフセットを作ってくれと依頼してあったのが昨日午前に仕上がっていた。それを持って早速に西新井のゴルフ練習場に行って試打した。まるでビギナーのような気分で1っ球目を打った、ダフッてしまった。やはり肩に力が入りビギナーそのものだった、が3球目くらいから当たりだし気持ちよいようにボールが飛んでゆく、つぎつぎクラブを変えて打っていったがまずまずの感じだった。下手さは殆ど変わっていない、練習嫌いの私が珍しくカードに入っている分の166球を全部打ち終わった。
 今週土曜日には軽井沢で口の悪い連中とゴルフだが夜の宴会がこれまたかつてそうだったように抱腹絶倒の面白いものになるだろう。