昨日は午前中に久しぶりに徒歩で青井駅まで行き、北千住で千代田線に乗り換え根津で降りて根津権現裏の急な坂を歩き登り願行寺にたどり着いた。その昔は1時間はゆうに掛かったが今では30分位で行ける。
 途中の傾斜の強い斜面に確か子供の時からあった古い家が残っていた。昔は随分洒落た家だと思っていたが今でも健在なのが嬉しかった。
 蒸し暑さは前日と同じだったが日差しが無いので汗をかきながらもへたる程ではなかった。昔おふくろが日傘を差し私の手を引き、登った同じ坂道を何年振りかで歩いた。昔はお寺の井戸水が冷たく夏の暑い日ざしをさえぎる境内の木々が涼しげだった記憶が蘇った、震災、戦災を乗り越えた古い本堂が威風を誇っている。近所の立て替えてきらびやかになっているお寺より日本の文化、伝統を守っているようで貫禄があり誇らしい。私の父、そのまた父、そのまた父と何代もこのお寺に来ていたのだろう、ところが今のところ私には男の子がいなく、兄弟にも男の子が無いので私の代で丸山は終る。
 帰りは御徒町まで4年ぶりでゴルフに行くので靴を買いに行った。アメ横のゴルフショップで物色したが、立ち並ぶゴルフクラブの顔が随分変わってきている。今売られている靴で一番軽いのを探したが270グラムが最低だという、履いてみたら本当に軽い。
 昼近くなったので家内も気に入っている天麩羅屋に行った、此処の江戸前の天麩羅はかるくて胃や腹にもたれないので昔から時折行く、客は馴染みのような人が多いのだが、昨日は私らかそれ以上のお歳を召した5組の老夫婦ばかりで若い人が一人もいなかった。見事高齢社会を象徴するかのようで何かうら寂しい。
 近くの酒悦に寄り福神漬けとその他の漬物を買いに入った、此処も年寄りの姿が目立つ。昔から彼岸やお盆の帰りにお袋がよく立ち寄った所でもある。
 酒悦の福神漬の謂れが色々あるが、私が小さい頃おふくろに聞いていたのが、お盆の飾りに茄子、胡瓜で馬や牛をつくる慣わしがあり、その飾りを盆が終った後川に流す風習が最近まで有った。その流された野菜や果物が勿体ないと酒悦の何代目かの主人が漬物にして売り出したところ評判になり、おお流行したと話していた。
 未だ日が高くたっぷり昨日は時間があったので隣の鈴本によって寄席を楽しんだ。聞き覚えの無い芸人が多く、はたしてどれほど笑わせてくれるか不安もあったが、安に相違して結構達者な芸人が多く楽しめた。
 上野の山下には昔から似顔絵画きが大勢いいたがどういう風の吹き回しか描かせてみようと思いかなり年取った絵描きの前に座った。70をとうに過ぎている人で絵などを書いていて所帯を持つことなく母親が心残りがたくさんあるといって2年ほど前に103歳で亡くなったという、未だに親不孝を悔いているという。
 出来上がった絵を見たが何処か似ているようにも見えるが何か別の人を見ているようであまり器用な絵描きさんには見えなかった。油絵が専門だと言っていたが一日何人くらい書くのは明かさなかった。10人も書けばよい収入にはなる、あれくらいだったら自分でも画ける。いよいよ食えなくなったら似顔絵画きでもやるか。