娘のブログがこのところ更新されていない気になる。孫の成長記録を楽しんでいるのに何かあったのだろうかととうとう電話をして聞いてみた。やはり風邪をひき高熱を出していたらしい、幸いにも近くに夫のご両親がいて毎日孫の世話に来てくれて助かったという。良い夫と姑に恵まれて彼女は幸せなのだと感じホッとするところでもある。だけど未だ嫁いでそう長くはない、具合が悪く臥せっている時は心細かったに違いない。
 乳飲み子を抱えて具合が悪くなったら子供が可愛そうで、未だ乳飲み子だから良かったものの、もの心付いていたら子供が不安になる。どうして風邪をひく羽目になったか分からないが兎に角気をつけて欲しい。

 私は母親が40歳の時に生まれて今で言う高齢出産、昔で言う所の四十の恥掻きっ子だった。物心の付きはじめた5,6歳頃には今で言う更年期障害なのだろうか、それとも戦中から終戦直後の物のない時代小さな身体で買出しに追われ、連日のように芋や野菜を背負って帰ってくる疲れからだろうか、毎日朝は直ぐには起きられなかった。
 腰を擦らされたり、背中を押させられたり、本当に情けなかった。言いつけ易かったせいか6歳離れた直ぐ上の姉よりも私に何でも言いつけてやらせた。
 終戦直後はガスも水道も各戸には供給されず、共同水道迄の水汲みと朝の火起しは私の役目みたいになってしまった。隣近所の数軒が共同水道に水汲みに来る、そんな大人の人に混じっての一番遠くからの水汲み作業は子供の私には結構辛いものがあった、特に冬の早朝は手が痛かった。隣のオバサンは子供4人と亭主持ちで多少品はない人だったが未だ若く勢いがよく、カンちゃん偉いね!と励ましてくれたがちっとも嬉しくなかった。口ではいい事言っても少しも思いやりなど無く自分の家族のことで精一杯だったのだろう。6,7歳の私は小さなバケツで何度も水場と往復しなければならかったが、隣のオバサンは大きなバケツで二三回で終っていた。その点一軒置いた隣のオバサンは親切で時にはお菓子なども呉れて嬉しかった、私の母親に近い年齢だったからだろうか、その家の娘さんとは私の姉は今でも付き合っている。兎に角元気なオバサンたちの子が羨ましかった。兎に角母親は元気でないと子供が可愛そうだ、子供たちは母親が頼りなのだから。
 昨日も2歳下の娘が孫たちを連れて遊びに来たが、5歳の孫が私が出かけるといったら一緒に行きたいという、ところがママも一緒でなけりゃ嫌だという、結局は出かけなかった。それほど親というのは子供に頼りにされている、たくましい親でいて欲しい。