昨日は降雪が激しいので会社に行かなかった。車で会社に行って帰りにどういう状況になるか想像が付かないので逡巡したのです。どだい会社は休みなので元々行かなくても如何ということは無い、だけどやりたいことは山ほどある。まあ今日の様子を見ていけば良いやと言う事にして休むことにした。
 午前中は飲み食いをしながらテレビなど見てい、PCで友人のブログなど読んだり娘たちのブログを楽しんでいたが、身体を動かさないと何か食べたものが消化しない感じでジッとしていられない。そこで思いついたのが比較的近くにいるプラスチックの板加工をしている長い付きあいの下請け業者の所へ行った。「ころまるくん」で印刷する円筒状のプラスチック筒を手に入れるため雪の中を徒歩で腹ごなしをしながら行ったのである。
 昨年中国大連に同じ時期行くので零下十何度に耐えるようにと着ていったコートを着て雪中を歩いた、あまりにも防寒を完璧にしたので却って大汗をかくことになってしまったがかなり胃の中がすっきりしたような気がした。
 加工屋の彼は私と同い年で中学を卒業すると荒川にあるセルロイド加工屋に丁稚奉公として入ったという。石油化学が出現する以前はセルロイドが全盛で、加工し易さから今のプラスチック製品に見られるようなものは皆セルロイドで造られていた。塩ビやアクリルの板が出現しセルロイドに取って代わっていった。彼はアクリル板の加工を選び、親方や先輩弟子の反対を押し切って独立し現在に至っている。
 日本のものづくりは徒弟制度が土台だった、独立した時の周辺の圧力には大変苦労したと聞かされている。だけど時が経つにつれ彼の親方に対する礼節が受け入れられ今でも当時の親方、兄弟子、弟弟子の関係は続いている。親方は3,4年前に亡くなっているが今では彼がリーダー的存在になっている。彼はすべて手加工で大した道具も無しでなんでも作ってしまう、各方面から重宝がられて今のこの時代でも結構忙しい。図面を読むことは出来なくても要求されたものは何でもこなしてしまう器用さがある。彼はいわゆる職人で親方にはなれない、弟子が居ないから、もったいない。徒弟制度の親方、職人、徒弟と言う構図が今の時代には限られた職種にしかない、彼の律儀さは今の時代でも息づいているのに。
 私みたいな中途半端な職人気質と違った頑固さは同じ年とは思えない、彼を見習おうと思っても私は親方を知らない、教えを請うた人がいないのだから無理も無い、彼の律儀さは徒弟制度の良いところだといつも思う。
 今日は彼に作って貰ったアクリルの筒の受け冶具をドイトで部品を揃え,作ってみたくてしょうがない、色んなサイズの円筒状のものを受ける冶具の構想が頭の中に描かれている、「ころまるくん」には必携の商品になる。雪の影響が無ければ今日出来上がる。