今年も8月15日が来た、60年前日本人は今では想像もつかない日々を送っていた。NHKBS2で毎日6時50分から60年前の新聞記事を紹介し、著名人のそのときの体験談、今は亡き人の日記を紹介している。私は自分の気になる日はチャンネルを合わせる。今日もブログを書きながらその時間を待っている。昨日まで戦争が負けているような記事は一切なく、突然玉音放送を聴かされた多くの国民の感慨はどんなものだったのか当時5歳の私には知る由も無いが、疎開先でラジオも無く我が家のものたちは如何受け止めたのか?
 家を焼け出されて信州伊那に逃げていたのだが、足を患っている兄と、学童疎開で松代の疎開先で発疹チフスに罹り引き取っていた直ぐ上の姉と、母を置いて、9月には一番上の姉と東京に帰ってきた。東京に行くと怖いアメリカ兵がいて大変だよと母には聞かされたがどうしても東京に帰りたい、ここにいるのはイヤだと駄々を捏ねたに違いないと思うが、兄二人がいる東京に帰った。未だ幼かった私だが異常な体験ばかりだったので鮮烈に記憶している部分が多々ある。当時の田舎は疎開者いびりが激しく、ただ一人優しく付き合ってくれた子がいて、その子との思い出が忘れがたく、高校生になった時に姉と二人と姉の友達と3人で当時世話になった家とその子の家を訪れた。「カッちゃん」「カンちゃん」と感動の対面で抱き合う二人を想像していたが、なんと「カッちゃん」は全く記憶に無く、当時遊んだ思い出のあれこれを話したが彼は覚えていない。拍子抜けとはあの事だろう、兎に角持って行った菓子折りだけは置いてきた。なんか訳の分からない奴が置いていったと捨てられてしまったかも知れない、こっちも持ち帰ったって悔しい、あの空しさは本当に今でも忘れられない。彼にすれば日常的な出来事で近くに少しの間いた近所の子と遊んだことなど記憶の外だったのだろう。私にすれば意地の悪い奴らばっかりの中で彼の優しさや、やや都会的な面差しが安心を与え、一緒に遊んだ日々の色々な場面を今でも思い出す。
 60年経った日本は大きく変わろうとしている、今の私も大きく変わろうとしている。世の中が大きく変わろうとしてもがいている、何もかも失ってゼロからの出発をしたこの60年の経験はこれから生きてくると信じてる。この8月15日は今の若い世代には如何伝わっているのか?如何伝えてゆくかが年寄りの仕事に思える。今度の選挙が大きな節目になればと思う。将来あの時の選挙が節目だったと言えるものであって欲しい。