なんでも印刷日記

パッド印刷って何だろう?曲面印刷って何?身の回りにある物にはほとんど印刷がほどころされている、どうやって印刷するのだろう? そんな疑問に答える日記です。 最近このブログを読んで印刷の体験の無い方でも名入れ印刷のプロ並の印刷を体験する方が増えてきております。 形のある物何にでも印刷できる楽しさを仕事に生かしています。 長年の印刷経験から生み出した手動式パッド印刷機、文字入り線香などの技術が認められ19年度「足立ブランド」として区から認定されました。全国各地から手動式パッド印刷機「なんでもくん」の研修者が年々増え続けています。  

昨日は二組の「なんでもくん」研修をした。

 最初にお見えになった方はスポーツ用具を造っている会社で倉業60年と言う歴史もある会社の方だった。社内には用具類に印刷するものは何でも揃っている。シルクスクリーン印刷を始め本格的なパッド印刷機、今流行りのインキジェットプリンター、それらを駆使しても印刷が上手く行かないものが有るらしい。スポーツ用品のカタログを見せて頂いたら1冊の冊子になっているくらい多くの商品がある。その中の一つのものに印刷したいがあまり上手くいってないと言う事だった。おそらく新体操で使うバトンのようなものだったが、簡単に印刷が出来ないので困っているようだった。
 私から見ればいと簡単に出来るようなものだったが自社のパッド印刷機では簡単に出来なで苦慮しているらしい。私が何にでも簡単に「なんでもくん」で印刷出来ると言って、版を作るのもその場で見せ簡単に印刷して見せた。その会社の製造部は足立区の隣の埼玉県でそこの製造社長を今度連れて来ると言って帰られた。
 2組目の方は木製の盃で三段重ねの朱色の綺麗なものでその底部分に丸いロゴが印刷されているが、最近職人が歳をとってしまって、中心に入ってないものが多くなって困っていると言っていたが、印刷治具が確りしていれば誰がやっても出来る事を知ってもらった。外注先の職人の仕事が衰えて来ている事情はよく聞くが、後継者不足がどこの世界にもあるようだ。神社仏閣を対象にした諸々の製品を供給している会社なのでお守りなどに利用できるのではないかと小さな版を作って見せようと思った。
 その会社名とキャッチフレーズを2行にして小さな版を作った。私が細めの文字の版、その方には太めの版を一緒に作ってもらった。その版でその場に有った小さな石に印刷してみせたら小さな細い文字も社名も綺麗に形の違う石に印刷出来るので驚いていた。お見えになった二人にも印刷して見てもらったら大感動、必ず社長を連れて再度来るからよろしくお願いしますと言って帰られた。
 2組の方達にパッド印刷の面白さを強調して、印刷の持つ高付加価値性も再度確認して貰った。
 

嬉しい気持ちとワクワク感!!

 自分の思った通りに仕事が進むと嬉しくなる。昨日は自分の作った印刷治具が機能を発揮し、完璧な仕事が出来た。出来上がりには印刷依頼者も喜ぶだろう、こんな時にはまた次に胸がワクワクするような情報が入ってくる。
 電通鬼の十訓にこんなのがある、「難しい仕事をねらえ、そしてそれを成し遂げるところに進歩がある。」自分の力で新しい仕事を創り出すのは生易しいことではないのは毎日実感しているが、昨日入ってきた情報はこれが出来ると面白いマーケットが出来そうな気がして胸がワクワクしてしまう。
 今、我が社には得難い良い素材が有り、加工に難しさがあるが、それを有効に加工するところが見つかり、それに優秀なデザイナーが居て、我が社の印刷が可能で、それをある地域で流行りものにさせる能力のある人も居る。
 加工は先日の新鹿沼のビジネスマッチで知り合った加工屋さんが難しい素材だがサンプル作りを喜んでやってくれることになった。これが実現すると区の産業振興課が喜ぶ、鹿沼とは姉妹関係があり先日は区の要請もあり、足立区から私一人参加した。その時出会ったのが今回の加工屋さんだった。昨日久し振りに電話で話をしたが元気そうだった。私が今回の企画参加を頼むかもと言ったら喜んで呉れた。
 良い素材が有り、その素材は製造者が絶対な自信があり中々手に入れにくいものだが大量に在庫が有るらしい、その素材の業界では処理出来ない縛りが有るらしい。そんな業界があると言うのも初めて知った。素材が有り、加工屋も決まり、後は造るだけ、動き出したら楽しいことが始まる。印刷が付加価値を高めることになる。いずれこれだと皆さんに披露するのが楽しいことになる。
 今日も難しい仕事が何点かあり、一つづつ処理できれば気持ち良い一日になる。
 

週末には大阪に行く。

 何度もブログに書いたことがあるが、私は元証券マンだった時代が有った。光亜証券と言う会社だったが、野村証券系列のこの会社を勧められたのは当時野村證券の専務だった方からで、野村は出来上がった会社で面白くないが、この会社は先行きが面白いと紹介された。
 私が退社した後に光亜証券は野村系列の八千代証券と野村投信販売会社と合併して国際証券となった。その国際証券も三菱証券と合併し三菱UFJ証券となったが今では三菱UFJモルガンスタンレー証券になっている。
 私は野村証券の専務の縁故入社したようなもので、この専務の顔を潰してはいけないと仕事は頑張った。退職する前に相談に行ったが、光亜証券での私の実績もご存知だったようで、若い時は何にでもチャレンジすると言うのは良い、頑張りなさいと言って励ましてくれた。この専務さんには光亜証券に入社する前に、仕事と言うものは世間との競争だ、負けてはいけませんよと言われたことも有った。この言葉通りに私は世間に負けまいと証券会社では頑張った。
 証券会社時代に光亜証券で頑張った仲間が数年前に東京と大阪に光和会と言うOB会をつくった。私は大阪に6年半、東京に3年ちょと在籍していた。当時の仲間が10年ほどしか居なかった私を招待すると言うのは私の実績が皆の記憶に残っていたからだろう。記録も色々残したと思う。新人の時いきなり300万円と言う大口債券販売をした時は全店に号外が回ったらしい。当時の300万円は今の金額にしたら1億円くらいになると思うが、入社半年前にその数字が出た。当時の営業マンの1人当たりの販売目標は40万円くらいだったのだから皆驚いたに違いない。その後も当たり前のように300万円と言うのが何件か出た。
 一日で債券1万円積み立て預金を23口座契約したのも新記録だったろう。1年満期の割引債の積み立てだから2年目にはその倍の数字になる。積み立て口座も人より多いので毎月の債券販売は楽なもんだった。
 私は同僚と比較にならないほど歩き回った。有望見込み先を200軒積み上げるのを目的にして歩いた。見込み先が顧客になってしまって、200軒を切るとそれを補充するため更に歩いた。一日に5、60軒訪問すると帰社するのが7時か8時になってしまう。新人の私を指導担当する主任が初めは鬼軍曹のような感じだったが、数日で私の体を心配するやさしい人に変身してしまった。
 私は今でも証券会社で頑張った時を思い出す、私の青春時代は大阪だった。その大坂が私を育ててくれたと言う思いがある。懐かしい昔の仲間と再会するのは楽しい。金曜日までに今ある仕事を片付けて土曜日には大阪に向かいたい。

パッド印刷は楽しい。

 世の中にパッド印刷と言う言葉すら知らない人が大勢いる。知らない人が大勢居ると言う事はそれだけパッド印刷のマーケットは大きと言っても良いのではないかと思う。人は物を作ったらそれは私が作ったものだと主張したくなる。製品名を記すだけでなく創ったのは自分だと言いたいことになる。
 形の有るものを造ったらそれに自社ロゴを印刷したいと言うニーズは無くならない。他の人の造ったものとの差別化をするためにブランディング戦略を考えるだろう。
 創ったものが特殊な形状で、それに自社ロゴをプリントしたいと言うニーズに応える所が有りそうで無い現実がある。今ある印刷所の印刷機器では無理だと思いネットで検索して色んな所に相談しても断られてしまう事が多いらしい。そんな時パッド印刷と言う印刷技法があると知り、パッド印刷専門会社に相談すると量的に多い物でないと引き受けてくれない、少量で多品種なものに応えてくれる所を詳しく探すと弊社に行きつくと言う方が多い。
 弊社は創業時から「印刷の出来ないものはほとんどありません」「数量に関係なく一個からでも印刷します」をキャッチフレーズにしていました。ほとんどと言うフレーズを使ったのは世の中には印刷機にセット出来ないようなものも有るからです。
 弊社も既製の半自動機のパッド印刷を当初から利用していましたが、印刷開始するまでの手間が掛かり、数量的に少ないものだと割に合わないものが多かったのも事実でした。割りに合わないことを排除し、もっと簡単にセット出来、印刷依頼者の希望する印刷のクオリティーや印刷コストにマッチする印刷方法を考え、研究し続けました。開発に至るまでにかかった経費は半端でないほどでしたが、今ある不利益なものを排除する事を何度も何度も積み重ね、辿り着いたのが今ある「なんでもくん」のシンプルな形になったのです。
 形の有るもので「なんでもくん」にセット出来るものだったらなんでも印刷が出来てしまうので「なんでもくん」と命名しました。
 シリコンパッドを利用するのでパッド印刷機と称していますが、他に無いものになっています。「なんでもくん」研修と称してパッド印刷のノウハウも教えているので全国から人が来てくれています。足立区の辺鄙なところまで足を運んでくる方達を裏切ってはいけないと、お出で頂いた方には楽しんでもらう事に専念しています。
 今日は印刷依頼を請けているヘッドホンのある部分に2色印刷します、これは大きさから言って「なんでもくん」では出来ません、従来機にアタッチメントを考えればセット出来ます。休み前に受け治具を造るため工夫したものが有ります、それにセットして印刷して見るのが楽しみです。
 治具が完璧なら2色でも3色でも何色でも印刷は出来ます、そんな工夫をするのも楽しんでいます。楽しいから続けてやっていられるのだと思っています。
 
 

不思議な現象がある。

 最近は何故かヘッドフォンへのパッド印刷の依頼が集中している。今日送ってくる所を含めるると5社目にもなるが、短期間の内に同じ製品への印刷依頼が来ると言うのは長い印刷経験の中でも珍しい現象と言える。しかも同じメーカーと言うのは無く皆形が違う。共通しているのは皆コードレスと言う事だけで、印刷するのにも同じ治具で出来るものは無い。それにほとんどが中国製と言うのも共通している。
 今日もその印刷治具を造らなければならない、印刷する部位もそれぞれ違いがある。今日届くのを入れると5回目のことになる。共通するのはパッド印刷でなければ印刷出来ない、それも持って見える企業は紙媒体の印刷屋さんが多い。昨日見えた会社の方はタコ印刷を知っていた。パッド印刷をタコ印刷と言っていた時代は長いが久し振りにタコ印刷と言う言葉を聞いた。今ではネットでタコ印刷と入れても何も出てこないと言っていた。パッド印刷と入れると当社が出ていたと言っていた。
 皆インキジェットでチャレンジしても印刷が出来ないと言うのも共通している。今日のはある大手自動車会社のロゴで2色印刷になるので、かなり精度の高い印刷治具を造る必要がある。娘は印刷が難しいと言ってお断りした方が良いのではないかと言うが、私は難しいからと言って断ることは今まで無い、難しいものにチャレンジするのが私の習性と言っても良い。
 昨日は印刷試作したものを引き取りに見えた人が居たが喜んでくれたが、その時に今日造る相談者と話している最中だった。今日も今までにない形の印刷治具を造ることにチャレンジをしてみようと思う。

今日は「未来クラブ」の総会がある。

 昨日は足立工業連合会の総会の懇親会に出席することになっていたのに15分ほど遅れてしまう失態を演じてしまった。
 それと言うのも午後にヘッドフォンに印刷をする試作を依頼者から有ったが、それを昨日中に見せると言っていたのに出来上がっていなかった。その試作が滅多にない難敵で手こずってしまっていた。「なんでもくん」で簡単に試作をするつもりでいたが印刷治具を新たに作ってセットしなければ印刷位置が確定できない部署への印刷でその治具作りに手間が掛かってしまった。依頼者が今日出来れば良いと言うので助かったが、そこへ都内の弁当屋さんが一人は2度目の来社だが同僚を連れ来て再度印刷テストを見せて欲しいとやって来たのだった。従来は笹寿司にシールを貼っていたのだがそれに代わってダイレクトに印刷をする提案をするために笹の葉への印刷試験に来たのだった。
 早速、会社ロゴをプリントアウトして製版をし、笹の葉に印刷が出来るようにして二人にも代わる代わる印刷体験をしてもらった。最初は大きい版で印刷したが、小さい40棲僂糧任粘屬帽腓い修Δ世噺世辰萄禿找姐罎簓別椶糧任鮑遒辰萄の葉に印刷した。水をつけて擦っても印刷はびくともしないので喜んで呉れていたが、レクチャーに夢中になっていて時間が経つのをすっかり忘れてしまっていた。工連の懇親会が5時15分からだと言うのに終わったのが5時になってしまっていたので、娘が少し遅れると連絡してくれて車で区役所まで送ってくれた。
 懇親会には遅刻してしまったが、席は今年度から産業経済部長になられた部長の隣で親しく会話が出来たので楽しかった。部長は24日の[未来クラブ]と「TOKYO町工場hub」が主催する「これからの、豊かさ」をテーマにしたオープン・フォーラムにも参加して頂けると言うので有り難く恐縮してしまった。
 また、数年振りに私が区役所と関りを持った時、産業振興課の係長だった方も出席していた。再会を抱き合わんかのように喜んでくれた。この係長と出会わなかったら現在の私は無かったかも知れない。この方が私の「なんでもくん」を知って、こんな技術を足立区の資産にしなければと言って「足立ブランド」認定制度が始まったと言っても過言ではない仕掛けをしてくれた人だった。頭の切れる人でその後とんとん拍子のように出世して行ったが今は勤労会館に館長として詰めているとの事だった。帰りは私を送ると言うので車でお見えなのかと思ったら、私と話をしたかったらしく、道々話しながら梅島駅まで歩いた。私に教えられた事も有ったと礼を言われたが、とにかく私が元気で動いているのを喜んで呉れて、後1年で定年だと言うので今年中に再会するのを約した。その時は二人で杯を交わすことになるだろうと思う。
 今日は5時半から「足立ブランド認定事業推進委員会」があり、6時半から「未来クラブ」の総会がある。委員会は区役所の12階で行われるが総会は14階のメヒコで行われる。今日も「なんでもくん」の研修が有るが、今日は両方の会に遅れる事は無いように頑張ろう。
 

展示会ような毎日が楽しい。

 昨日はアポ無しで突然新任の区のマッチングクリエーターがやって来た。当担当になったと言って来たのだが、ネットで調べた資料をプリントアウトしたものを持参しているようだった。一応区の色んな事業所を対応する中小企業診断士だから当社のパッド印刷技術の一端を理解してもらっていた方が良いと思い、起業して「なんでもくん」を開発した経緯とか、私の仕事に対する思いとかを話した。
 私のブログもお読みになって頂いているようなので、今日のブログも読むだろうと思ってはいますが、先ず「なんでもくん」とは何たるものかを理解して貰うことが良いと思い、その方の名前の版を直ぐに作って見せた。
 ポジを作って40棲僂糧任望茲察▲薀ぅ肇椒奪スで1分露光し、ポジを外して網フィルムを乗せて3分露光し、水で現像、それをヘアードライヤーで乾燥した版を「なんでもくん」にセットして印刷、その間10分も掛からないで印刷が実現してしまう。
 どんな形をしているものにでも印刷出来ると言い、彼の持っていた革製のバインダーに名前を印刷したり、凸凹した石にも彼の名前を印刷した。丁度プラスチックの瓢箪を横にしたようなものが有ったのでそれのくびれた所にも印刷して見せたが綺麗に出来るので感動したらしい。それを持ち帰って良いかと言うので差し上げた。パッド印刷はこんなものにでも印刷が出来てしまうサンプルとして足立区の他の企業で宣伝して呉れたら良いかと思う。それに印刷が如何に高付加価値性のあるものかを他企業に理解して貰えたらと思う。どんなものにも印刷が乗っただけで他とは違う特化されたものになる。そこまで理解されたかどうかは分からないが、中小企業診断士として大いに活躍して頂けたらと思う。
 その後すぐに、足立メッセで私のブース前に来た人だと思うが私の名刺を握りしめ、雨が降るのに傘もささずに来た高齢者が居た。我が社に辿り着くのに道が分からず、どこかで聞いたら道順をプリントアウトして貰ったらしい、親切な人が居たもんだと感心してしまったが、雨に濡れてくしゃくしゃになって良く見えなかったと文句を言いながら入って来た。
 私の名刺を持って来たので何か目的が有って来たのだと思うが、手土産にイタリアに行って買って来たものだと黒いパスタを一袋呉れた。それも何ユーロしたと言っているが、単位がよくわかってない、ユーロは130円だとか50とか5とか何ユーロで買ったものかどれだけの量買ったのかも定かではない。この人認知症を患っているのかも知れないと感じてしまった。 
 名刺を持っているわけでもなく、何処かで使ってくれているらしいが、13万円振り込んで呉れて嬉しかったとか、とにかく自分は役に立っていると言いたいらしかった。とにかくよくしゃべるので話を聞きながら、「なんでもくん」の掃除をしながら聞いていたが、くどくど黒パスタの話をしたり、訳の分からない話を繰り返していたが、役に立つ男だからと我が社でも使って欲しいと言う事だったのかも知れない。自分を売り込みに来たのが目的だったのだろう。忙しい仕事が控えているのに迷惑そのものだったが、雨も激しくなっていたので傘を一本差し上げた。高齢社会の一面かとも思う。
 昨日は先月送ったばかりなのに中尊寺から線香の注文が入った。ゴールデンウィークの観光客で賑わったのだろうと思う。世界遺産になったことも影響しているだろう。休みが明けて色んな仕事が動き出すだろう、昨日も「なんでもくん」研修に来たいと言う人やパッド印刷についての問い合わせが何件かあった。
 

ゴールデンウィーク終了

 今年のゴールデンウィーク後半は専ら休養に努めた、仕事のことを一切考えずに過ごした。依頼されていた仕事もほぼ全て休み前に処理をして置いたので頭の中は空っぽにすることが出来た。一日二日は伊香保温泉近くに所要が有り久し振りに車で出かけたが、思惑通りに高速道路は空き空きで2時間ちょっとで行き、用件を済ませた後、折角温泉場近くに来たので一泊して帰ろうと言うことになり、観光協会に行って相談したら、ここならお勧め出来ると老舗旅館を紹介してくれた。
 観光協会から連絡が入っていたせいか暖かく迎えてくれて、部屋の畳も調度品も全て傷一つない新しい物のようで、床の間の掛け軸も古い書で読み難かったが、ちゃんと下に解説した書が置いてあった。
 早速露天風呂に入ったが展望風呂で景色を楽しみながら充分温まった。先に入っていた人は福島の人で会話も楽しんだ。
 夕食も部屋の近くに設けられていた部屋で食事のメニューも行き届いていて鍋料理も付け合わせのものも美味い物ばかりだった。
 早朝に大浴場に行ったが一人入っていた人が出て行ってしまって大浴場を一人独占していた。気持ち良い朝風呂の後、朝食も鍋料理がついていたが、これも絶品だった。
 朝食が終わった後一服して、9時には旅館を出ることにした。道路は伊香保温泉からは下りで自動車のアクセルを踏むことが全く無く、前を走る車も無いのでほとんどノンストップで走れた。途中サービスエリアでちょっとだけ土産物を購入して帰ったが、帰りも道路は走りやすく11時一寸過ぎには会社には入れた。
 娘はパソコンで注文整理したり、見積書を作ったりしていて、前日には工場見学などの来客があったりして居たらしいが、人手の要る作業は無かった。私は試作印刷のインキが届いていたので午後に処理して午後も早めに帰った。
 三日に私は歯医者に行って入れ歯を直したり、五日にはまた歯医者に行って、もうワンセット入れ歯を造るので型取りに行った。浅草にちょと出掛けたりしてほとんど体を休めていた。
 今日からは仕事モードに戻る。予定がほぼびっしり入っている。
 

これから無くなる仕事がある。

 AIが発達するにしたがって無くなる仕事が今後10年間で50%近くあると言われている。この2年間でもかなりの仕事が無くなるとあるサイトで見た、週刊誌でも特集していたが、例えば電車の運転手、スーパーマーケットのレジ係、通訳・速記・ワープロ入力、プログラマー、新聞配達員、郵便配達員、レンタルビデオ、ガソリンスタンド、高速道路の料金徴収業務、仲卸業者、金型職人等々30以上の職業が掲載されていた。
 時代の変化に伴って無くなる職業、仕事があるのは必定のことと思っています。私が子供の頃の終戦直後は日本の生産設備全てがアメリカに破壊され、生産が再開されるまでしばらく時間が掛かった。
 タバコなども紙巻きたばこが専売公社でも出来なくて、刻みタバコと紙が別々に配給されていた。配給のタバコを買うのに近くの煙草屋に並ぶのが子供の私の役目になっていた。煙草屋の倅が今日は此処までと言って数量制限もあった。私の目の前で終わってしまって残念に思ったことも時にはあった。
 刻んだタバコが主流だったせいか、羅宇屋(らおや)と言ってキセルを掃除する仕事が有り、外で来たよとピーピーと蒸気で音を鳴らし、知らせていた。
 キセルは真鍮の雁首と竹の管と吸い口となっていて、タバコのヤニが詰まって吸えなくなるのを蒸気で掃除する仕事が羅宇屋だった。専売公社が巻きたばこを販売するようにまで、刻みタバコを紙に巻くのが私の仕事になってしまった。その時石油ランプの火屋を掃除するのも私の役目になった。電力が足らなく時々停電するので、石油ランプやカーバイトランプを夜は使わざるを得なかった。専売公社が巻きたばこを販売するようになったら羅宇屋と言う仕事は消えた。
 焼け跡から拾ってきた鍋や鎌などを修理する鋳掛屋(いかけや)と言うのもあった。大きな声で(イカケやー いかけー)と声を上げて歩いて来た。穴の開いた鍋や釜、凸凹に変形しているのを綺麗に直してしまう。1軒声をかけると近所の人が皆何らかを持ち寄り繁盛していた。子供の私は見ているとその技術に憧れた、小学校に上がって将来どんな仕事をするかと問われた時、鋳掛屋になりたいと作文に書いたのを思い出す。その鋳掛屋と言う仕事も物が作られようになったら姿を消した。
 焼け跡は穿り出すと色んなものが出て来る、それらで色んな物を造ってそれらを大人に褒められた。隣の親父さんにおもちゃを造ったら褒められ、大きくなったらおじさんとオモチャ工場をやらないかと言われたのが、私のもづくりに対する憧れが脳裏に焼き付いてしまった。
 戦後まもなく私の兄が紙芝居作家の筆書きしたものに色を付ける彩色の仕事を始めた。兄の彩色が評判高く、有名作家をはじめ何人もの作家の絵に色を付ける仕事で、全国を回る紙芝居のほとんどが我が家を通じて出て行っていた。
 姉が色付けし、兄が仕上げをする。人気の黄金バットの代文字や仮面に金色を塗るのは私も手伝った。後年有名になった挿絵画家や漫画家なども我が家に来ていたので私はいつも使いっ走りをさせられた。
 我が家に来る絵描きや編集者などには喫煙者が多くと言うより皆タバコを吸っていた。私の兄もヘビースモーカーで、我が家の中心に大きな火鉢が有り練炭が一日中付いていて湯や煮物にも使われていた。その練炭で兄のタバコに火をつけるのが私の役目にもなってしまっていた。とにかく何もしてないのは子供の私だけで、とにかく何でもやらされていた。練炭火鉢でタバコに火をつけるにはタバコをキセルの雁首に立て、練炭の火穴から火を取るには吸わなければ火が付かない、だから私は子供の時から少しはタバコを吸っていたのかも知れない。
 いつも我が家には大勢の大人が居て、皆タバコを吸う、私などその副流煙の中で育ったと言っても良いのかとも思う。昭和30年頃まで紙芝居は流行っていたが、テレビの出現で紙芝居は廃れてしまった。紙芝居の時代には随分稼いでいたと思うが、当時食えない絵描きの卵や食えない役者、売れない漫才師などいつも食事時間頃には来る。私の母親は江戸っ子そのもので、その日稼いだ金を使い果たしてしまうのも気にせず蓄財と言う事をしなかった。紙芝居が終わったら貧乏暮らしになってしまったが、一向気にしない楽天家だった。
 紙芝居と言う仕事も姿を消したが、紙芝居作家の中には後年劇画がの人気作家になった人たちが何人もいる。忍者武芸帳や子連れ狼など、ゲゲゲの鬼太郎の作者が皆紙芝居を書いたり関わっていた。
 AIの出現が第4次産業革命とも言われ産業構造の変化が多くの仕事がロボットに変わり無くなって行くだろうが、無くならない仕事も多々ある。ビジネスでも必ずお客さんの心を動かしているもの、人の感情を大切にするビジネスは無くならないだろう。AIには感情と言うものは無いからだと言われている。人が頭でフッと思い付くことがあるがAIにはそれが無い、人の脳には本能が有り、頭に悪い7つの習慣を無くせば思い付くことや新しい発想も出来ることになる。マイナスイメージを持たない脳が必要になってなってくる。

私の仕事は毎日のように楽しい出会いがある。

 昨日お見えになった方は一昨日電話が有り、家内が受けて「なんでもくん」のレクチャーをして欲しいと昨日の3時にお出でになると言う事だった。
 アポ通りに3時にお出でになったので早速製版のレクチャーから始めた。ネットで私の動画を見て自分でやってみたいと言う動機になったと言っておられたが、彼女は話を聞いていると自分のやっている仕事には確信をもっていて話が面白い。それに行動力が半端でない事を知った。博多と東京に仕事場を持っているとの事だったが、プロ野球のソフトバンクとは縁が深く元監督の秋山さんとは親しい間柄だったらしい。ソフトバンクに関わる野球グッズを提供しているらしく、パッド印刷を活用すればさらに良いサービスが出来ると喜んでいた。
 お出でになったのが3時で、5時から足立ブランドyouthの会議があるので短い時間しかレクチャーできなかったが、感の良い人で一人で製版する事も直ぐ飲み込んでくれた。自分で作った版で持って見えたアヒルのオモチャに自社のロゴ印刷してみて大喜びしていた。レクチャーをしながらも色んな面白いお喋りをしてくれるので娘などもすっかりファンになってしまった。
 ついでに「じざいくん」用の版に彼女の会社ロゴを10センチ位に拡大して製版をして見せた。その版で紙箱に印刷して見せたが、これも役に立つと言って「なんでもくん」と「じざいくん」の見積書を持ってお帰りになった。今度はもう少し時間を取ってお出でになって頂きたいと言うとまた必ず来ると言っておられたが、再会が楽しみになってしまった。26年間やってきた仕事の最後の仕上げをすると言うがどんな花を咲かせるか、この人だったら大輪の花を咲かせそうだと予感した。
 一昨日も女性二人が貸工場契約をして、アロマオイルを入れるガラス瓶数種とポリ瓶に自分等で印刷していた、最初は娘が指導したようだったが、後は自分等で印刷する事に直ぐ慣れた。製瓶会社に印刷を頼むと何千ロットになってしまうが、そんな量は要らない。小売りされている既成の瓶には色んな瓶が有るので香りによって瓶を違える事も出来、少量多品種の香りに対応できる。ガラス瓶は加熱処理をして差し上げたが、ポリ瓶はかなりの量を印刷してた。「なんでもくん」は凄いと言っていたが、彼女らでその威力を発揮できることになった。2日連続で女性のパワーには驚かされた。
 
 

人との繋がり、顧客が顧客を作ってくれる。

 昨日は2月の第85回東京インターナショナルギフト・ショーに出展した方が我が社を訪れて呉れた。私はギフト・ショーを見に行ってもないが、私の顧客でもある九州熊本のプリントハウスの「なんでもくん」ユーザーがギフトショーでイタリー人の出展社ブースに立ち寄った時に、出展している商品のネーミング印刷に困っている話を聞いたらしい。
 その時に彼は東京に私の師匠が居るから紹介しましょうと言って我が社を紹介したらしい。その会社はイタリー製の洒落たワインホルダーを販売しているらしいのですが、販売した先に名入れ印刷を頼まれることがあるらしい。イタリーのメーカーに少量の印刷を頼むと時間が掛かるばかりでなく印刷コストが高くなってしまい現実的ではない。少量の印刷ニーズが出た時に我が社で対応して欲しいと言う相談でイタリー人の社長と日本人スタッフの二人が見えたのだった。
 持って見えたワインホルダーにはシルク印刷したものと箔押しをしたものが有ったが、パッド印刷したものは無かった。そこでロゴデータを持っていると言うのでパソコンに取り入れ、ポジフィルムを作り、製版して「なんでもくん」で金と銀の印刷をして見せた。パッド印刷でも充分シルクや箔押しと遜色のないものになっていた。
 印刷コストを下げるのだったら「なんでもくん」を購入して自分で印刷する事も出来ると説明した。その間に旧知の物品販売の商社の方が来て、起毛の装飾バインダーを持って見え、それに印刷が可能かを聞きに来た。接客中だったが、ちょっと中断して「じざいくん」用の版で印刷して見せた。印刷可能だと知り喜んで戻って行った。その間5分も無かった、その後直ぐにまた、未来クラブの仲間のデザイナーの方がJ:comに出演するので私の会社の製品を宣伝してあげたいと言い、線香やハンコヤさんごっこを取りに来た。他にも人が目まぐるしく出入りするので驚いていたが、6時には北千住で新潟の長岡の「なんでもくん」ユーザーの方と待ち合わせていたので、引き取って頂いたが、インキの着いた手のまま出掛けることになってしまった。
 中国に出張していての帰りに新幹線に乗る9時40分まで時間がある間私と北千住で一杯やりたいとメールで知らせて来ていたので、先日長岡で私等夫婦が暖かい接待を受けたのでお礼の意味も含めて家内と出掛けた。先月には自分の所に来た注文だが、ものが大きすぎるのでと言って顧客を紹介してくれた。多少厄介なところもあったが大きなアクリル製のビーカーへの印刷は上手くいって良い仕事にはなった。会って話していても共通する仕事の話は楽しい、酒が強くて好きなのを知っているから、北千住で一番日本酒の種類がある店に連れて行った。当然新潟の酒には詳しいが敵対する灘の酒にも詳しい、私の知らない銘柄を選んでこれは冷が良い、これは熱燗が良いと色んな酒を飲んだ。時間ギリギリまで飲んでいたが、発車時間に電話したら今乗っていますと言う返事で安堵した。
 我が社にはお客さんを紹介してくれる「なんでもくん」ユーザーが時々ある、自分の所では無理だと思うと紹介してくるのだが、距離は離れていても人と人の繋がりは有り難いといつも感謝している。
 

試作工場利用者、見学者が増えている。

 土曜日の午前は試作工場利用者が2人居て、自分等で用紙数種類にインキジェットプリントした物の上にシルクスクリーン印刷をしたいが為に来たのだった。
 申し込み時にあらかじめ印刷データを送って来てあったので、シルクスクリーン印刷の版は製版しておいた。持って見えたインキはUVインキの示温インキで、UV乾燥機でなければ乾燥出来ません。インキの乾燥条件にはメタルハライドランプを指定してあるので弊社の乾燥機は条件に合っている。
 私が最初に印刷して見せUV乾燥をした。インジェットプリントした物を黒色のインキで覆い被せることが出来た。示温インキは温度指定が出来るので30℃に設定してあるものらしく、指の温度で黒が透明になり下の印刷が見えるようになって喜んでいた。
 ゴムスキージの握り方とスキージコントロールも指導して二人にも自分で印刷をしてもらった。示温インキはかなり前からあるもので、下に何を隠しておくかがアイデア次第で面白いグッズにもなる。
 随分昔のことになるが、ポリエステルフィルムに導電インキであるパターンを印刷し、乾電池のプラスとマイナスの端子に接触すると電気量が残っていると色が変わる電気残量の表示するアイデアを提供して、それが月に何十万枚も売れてそのロイヤリティを毎月頂いたこともあった。
 示温インキはアイデア次第で売れる商品も出来る、彼らの試作品も売れる商品にしようとしているのか、人を楽しませるものにするのか、利用方法は分からないが傑作も有ったような気がする。
 午後はパッド印刷の見学者が6人ほど見えて、娘がボールペンに印刷する無料体験をして貰っていた。前夜にだか印刷組合の青年部が人が何人も見えて、パッド印刷とは何たるかを学習していったらしい。娘が企画した試作工場が少しづつ知られてきている様子でもある。
 人が集まってくれるのは嬉しいものです。今年も燕も巣作りを始めたようで、毎年子作りをして巣立って行くのが楽しい。燕が来るのも安心堂の軒先は安心して子育てが出来る証だと思い喜んでいる。
 燕に準えて我が社を訪れて呉れた方々が仕事に成功してくれることを何時も願っています。ゴールデンウィークに来たいと言う方が居るらしいが、人が遊んでいる時に学習をしたいと言う向上心のある人であれば無下に断ることはできない、喜んでお迎えしよう。

形の有るものに印刷するニーズが高まっている。

 製品、商品を造ればどんなものでもそれを世の中に情報発信をしたい、それらに何らかの表示をしたいと言うニーズが伴う。商品名、商品説明やイメージアップをする為のデザイン化されたロゴやイラストなどで付加価値を高めたい要望は必ずあるだろう。
 化粧品を開発すればどのような容器に入れれば良いか、見た目にも形の良い器にし、その容器に一目見ただけでも印象の良い商品名や内容表示をしたい。容器にも色んな形がある、また価格も様々で凝った容器などは余程高くても売れるものでなければ使えないだろう。
 容器などにこだわらなくても使ってみてもらえばリピートが必ずあると言う自信作でも一度は購入して貰わないと後が続かない。高い容器を使わなくても容器専門店で安く購入し、洒落たラベルを張り付け、内容はシールを張り付けることで済ませたいと売り出す人も居る。ネットでその効能を知らせば消費者を得られると思っても、消費者は見た目で判断する事が多い、シールやラベルを張り付けてあるだけだと何処で造ったものか、信用できるものかと懸念してしまう傾向がある。本体に直接印刷してあると量産されているものだろうと思うだろう。量産されているものだったら消費者が大勢いると安堵するのだろう。
 こんな例がある、群馬県のある本業がメッキ屋さんが良い化粧品を開発する事が出来た、その化粧品を入れる瓶に印刷をメーカーに頼んだら、最低ロットは6,000個と言われたらしい、最初から6,000個もの需要があるわけが無い、最初は数百個あれば良い。そこで既製の瓶を購入し、それに直接印刷したいと開発した技術者が我が社に何度も足を運び「なんでもくん」で印刷して見た。デザインが決まるまで7度くらい足を運んでいたが、印刷にも自信が出来たのだろう。「なんでもくん」を購入して印刷を内製化した。化粧品が評判良く、どんどん売れだしたのだろう。今では当社に顔を出す事もなくなった。製瓶屋で造っている事だろう。浅草の「まるごとにっぽん」に群馬を代表して出展していた。
 最初は「なんでもくん」がフル活動したろう、2,3日前にも色んな瓶を持って見えた人も居る。何を入れて販売したいのか興味津々。

 

パッド印刷の充分楽しさを味わってもらった。

 昨日お見えになった方はステンレスのボトル、ガラスのジョッキ、プラスチックに塗装したボトル、その他コルクのコースター数種を持って見え、それらにあらかじめ送って来ていたロゴデータの印刷をする為に試作工場に来たのだった。
 東京の事業所の方だが、大阪にある事業所には従来型のパッド印刷機はあるらしく、そのパッド印刷機の版は外注していて製版費用も高く、しかも版をセットして印刷開始までの調子出しに時間が掛かり、少量多品種の物への印刷は利に会わない事になっているとの事でした。
 そこで送って来ていたロゴデータをポジフィルムとしてプリンターで出力する詳細設定を説明し、出力したポジフィルムを2種類にしておいて、方や私が持ちもう一方の方を彼に持たせ、私がバキュームクランプに版を置きポジを乗せてライトボックスで露光し水で現像し乾燥するところまでやって見せた。
 私がやったのと同じように彼にも一人でやってもらって、乾燥した版を後露光するのは一緒にした。版のセットの仕方も説明しインキを乗せて印刷開始までも彼が経験した従来型の印刷機との差が大きく違うのも体感して貰った。
 インキも2液タイプの硬化剤を入れたもので印刷後時間を置けば置くほど硬化して行くが、熱風で焼き付ければ尚更硬化し丈夫な印刷になることも理解して貰った。
 印刷方法も受け治具を造れば位置を確定出来、何個でも同じところに印刷が出来る。昨日は治具が無いのでフリーハンドで押さえつけて位置を確保し、それぞれのものに印刷して貰ったが、大きなマークと小さな文字列も確り印刷出来たので感動していた。
 彼は貸工場として予約していたので、費用のことを言うので「なんでもくん」購入予定の方には長時間だったが研修料は一切要らないと説明した。研修中にも予約が入り、今週の土曜日にも印刷相談がある。5時過ぎまでの研修だったが彼は十分な納得して帰る様は見ていて嬉しい、「人を喜ばす喜び」の基本理念が疼く。
 3月16日に中小企業振興公社の「産業セミナー」が有ったが、光る技術とデザインの力で発信型企業へ!自社製品開発の『最初の一歩!』のアンケート集計結果が送って来た。
 第1部と第2部が有り、第2部で出演した私の講演の満足度は「非常に満足31%満足69%」で、ご意見・ご感想でも、身に余るような沢山の嬉しい感想を頂いて、自分がやっている事は間違ってないと応援エールをもらったような気分で一層励む気持ちが高まった、感謝!感謝!
 
 

今年も近畿光和会から招待状が来た。

 近畿光和会と言うのは旧光亜証券出身者の集いです。私も光亜証券に10年ほど在籍しておりましたので招待状が毎年来ます。私が退職した後、光亜証券は野村證券投資信託販売会社と八千代証券と合併し国際証券となりました。光亜証券だけは持ち株制度が有り、毎月給料の数パーセントが株式購入に当てられました。社員はすべて国際証券の株主になり、国際証券が1部上場となり、株価が驚くほど高騰し、高値で売った人の中には12億円にもなった人も居たと聞いています。私が退職した時は光亜証券時代だったので上場はされてませんでしたが、持ち株は買値の倍で買い戻してはくれました。私も国際証券で定年退職するまで居れば有資産者の一人になれたかもしれません。
 その後国際証券は三菱グループに入り現在は三菱UFJ証券ホールディングス株式会社に姿は変わっています。
 私のこれまでの人生で10年ほどのサラリーマン生活でしたが、その10年の間に大阪で6年半、神奈川県の相模原に3年半しか居りませんでした。その短い間に人には出来ないような記録や記憶を残して辞めたのでOB会に呼ばれているのだと思います。相模原に居た時に新規店が3年一月で全商品が全店でトップになった。その時に突然会社を辞めると言ったので大騒ぎになったのを記憶してます。サラリーマンとしては収入も多く、仕事も嫌いではなかったのですが、得意先には金持ちが多く、お金持ちにはあまり人として魅力のある人は少なかった。金持ちでない人でも株で大儲けを夢見ている人ばかりで、私のうわさを聞いて他店から私の客になる人も多かった。
 私は新人の時に同期の者の何倍も歩き回った。新人研修の頃は大阪には25人ほど居たが、皆訪問恐怖症になり、会社を辞めて行く、1年経ったら5人ほどしか残らなかった。
 毎月1万円の積み立て貯金も一日で23件も顧客を作った記録など破られる事は無かったろう。その結果顧客数も同期の者の何倍も出来、債券などの募集物は人の何倍も消化していた。
 ただ、毎月株の手数料収入、募集物の金額など次の月はゼロから始まり、月末まで積み上げて行く、金利だ利ザヤは虚構の代物でしかない、物のような手触り感が無い。子供の時から物作りに憧れが有り、手触り感のあるものづくりの世界に魅了されてしまった。それが現在に至っている。
 私は好きでやっているから病気一つしたことが無い、OB会に出ると上司だった人や同期の者でも部下だったものにも亡くなったのもかなりいる。世話人になっている人達や現役で仕事している者は皆元気だが、人の役に立っている人は皆元気だ。
 大阪にいる娘や孫にも会いたい、OB会には参加すると返事は出しておいた。

今日から「あだち新製品開発講座」開講

 今日から今年度の「あだち新製品開発講座」が始まります。私が副講師を務めてから9年にもなりますが、講座の冒頭に講師紹介が有ります。その時に今年は私の名刺を受講者全員に手渡そうと思っています。
私の名刺

 「なんでもくん」が私独自のマーケットを創造している事や、これからの時代自分独自の製品開発の力を持つことが必要とされている事も話そうと思っている。
 世間一般ではパッド印刷と言うフレーズさえ知る人は少なく、ましてパッド印刷と言う印刷技法を教える人など居りません。私は従来型のパッド印刷ではなく私の開発した「なんでもくん」でパッド印刷の技術を印刷には縁のなかったような方々に教えているのです。
 私の名刺にはパッド印刷の伝道師と銘打っていますが自分の顔写真を「なんでもくん」で刷り込んでいます。これは最近印刷するようにしているのですが、名刺印刷をお願いしているのは近所のアイワコピーと言う印刷屋さんですが、写真も印刷してもらうと「なんでもくん」で印刷したような高精細な画像にはなりません。
 先日「あだちメッセ」で名刺に私の顔写真を印刷して見せるパフォーマンスをしましたが、その写真があまりにも精細なことに来場者は驚きの声を上げて呉れました。メッセには来場者が天候が良くないためか少ないと言われていましたが、私のブースの前は絶えず人だかりが有り、私を訪ねて来られた方と言葉を交わすことが出来ない状況になっていました。私の写真を石にも印刷しましたが石にも精細な印刷が出来るのに皆驚いてくれました。あまりにもその反響の良さに私も驚きました、それで暇なときに自分の写真を名刺にしておこうと思うようになったのです。
 昨日は富山県からお出での方が2時頃お出でになったのですが、その時に私の写真印刷を見て驚いたようです。
 「なんでもくん」「じざいくん」の研修をしました。この方は包装品やノベルティグッズなどを卸販売しているそうですが、売り上げが減っている事や競争が激しく単価競争で利益が少なくなっている現状を少量でも印刷で付加価値を付けて他業者との差別化を図りたいと言って来られたのです。
 少量多品種のものに印刷するのは「なんでもくん」が有効だと思って見えたのですが、自分で全て出来るように指導して差し上げました。「じざいくん」では版の再生をも教えました。自分で全て出来てしまう事に感動してました。5時過ぎまでいましたが、富山まで3時間半で着くと言って充分レクチャーできたので来て良かったと大満足して帰られました。
 火、水は懇親会などで飲み過ぎてしまったので寝過ごし、ブログを書くことが出来なかった。今日も懇親会が有るが飲み過ぎないように気を付けようと思っている。
 
 
 

グッドデザイン イズ グッドビジネス

 昨日は未来クラブの足立ブランドでもある(有)プリントアートの島崎さんがお客さん二人を連れて見えてくれた。「なんでもくん」を購入して頂いた方達なのでデザインされた絵柄のデータをプリンターで出力する詳細設定からポジ製作の手順を知ってもらった。
 そのポジを版の上に乗せバキュームクランプで版とポジを密着させ、ライトボックスで露光し、その後ポジを外してから再度網フィルム乗せて露光する。それを水で現像すると網目の入った版が出来るところまで見てもらった。何故網をかけるのかも説明したが十分理解して頂いた。
 このお二方はダンスシューズを販売する仕事を予定している方達で、そのシューズに島崎さんがデザインした絵柄を靴の色んな部分に印刷する目的で「なんでもくん」を購入したのだった。
 島崎さんが受け治具を造って来ていてそれに靴をセットしてパッドで印刷して見せた。黒いシューズに黒インキで印刷して見たら、印刷が有るのと無いのとでは大きな違いが発生した。お洒落な靴に変貌したではないか、グッドデザイン イズ グッドビジネスの言葉通りのものに変身した。デザインとは、戦略をもった創造性だ、と素直に感じた。インキをシルバー色に変えたらこれまた違うイメージになる。お二方とも大喜びをして呉れていた。
 明日の帰りがけにプリントアートさんに「なんでもくん」1式に金と銀のインキを加えて私が持って行くことにした。
 最近は印刷が持つ高付加価値性に気付く人が増えているような気がする。またパッド印刷と言う印刷技法を知り、形の有るものに印刷する機械を探すと従来的な高額なパッド印刷システムを紹介する所が多い。高額な機械に限ってまた少量印刷には不向きでもある、また全く印刷については素人の人だけでなく経験者も「なんでもくん」で何にでも印刷出来てしまう事には感動してくれる。これまでは商品を仕入れてそれを転売するだけだった会社がその商品に印刷すると言う付加価値を付けて販売する事に踏み切るところもある。印刷が他社と差別化することが出来る。
 毎月当社の目玉商品でもある小さな版を2,000版も消化するところもある。最初は100版から始まったのに大成長している会社がある。
 多くの会社がパッド印刷で成長する様を見ているだけでも楽しい、その楽しさが私を健康にしてくれている。ものづくりを続けていて良かったと毎日感謝している。

千本桜まつり2日目は快晴

 昨日は天気が良く前日より来場者は多かった。「未来デザイン」の前にも絶えず人がくる。昨日は産業振興課の新課長も見えたり、今回移動した職員も来て呉れた。
 何代か前の産業経済部長で、思い出深い部長と何年振りかでお会いする事も出来た。この部長でなかったら「足立ブランド」も「あだち新製品開発講座」も無かっただろう。とにかく発想力が凄く役所の人にしては刺激的な行動力もあった。
 この方が福祉部長だった時に、認知症患者が徘徊して行方不明になる人が1万人を超えて10,300人になったと言うニュースが話題になった。足立区でも65歳以上の高齢者に見守りキーホルダーを無料配布する事も始まっていた。
 見守りキーホルダーを持たずに徘徊したら行方不明になってしまう可能性がある、何も持たずに徘徊しても裸では徘徊しないだろう、そこで下着に見守りナンバーと見守りセンターの番号をマークのようにして「なんでもくん」で印刷しておけば行方不明防止になるのではないかと福祉部長に提案したら、直ぐに採用になった。
 産経部長だった時から話しやすく、足立のものづくりにも力を注いでくれた。何年振りかでお会いして現在は何をしているのかをお聞きしたら、「社会福祉法人あいのわ福祉会」の理事長を務め、「足立あかしあ園(生活介護)」に常駐しているしていると聞いた。この「あかしあ園」には皇后の美智子妃殿下もお出でになって下さった所でもある。「足立あかしあ園」は私が住む住宅と近い、訪問したら理事長に会えるかと聞いたら会えると言うので今度時間を作って行ってみようと思う。
 来場者にはまだ他にも久しぶりに会う人が何人も居た、中にはあえて会いたくもないのも居たが、楽しい一日だった。

千本桜祭りは大盛況

 昨日は予想に反して天気が良く来場者も昨年に増して多かったように思う。朝早めに行って「未来デザイン」の出展準備を手伝おうと思っていたが、スタッフが充実しているので手を出す余地は無かった。段ボールの展示ケースはお洒落に映っていて新商品に発展するかもしれない。
 ミユキの小沢さんが隣のオンリーワンブースからビールを仕入れて皆に飲めと勧められた。だからスタートの挨拶はビール片手の乾杯で始まった。流石に未来クラブのメンバーの気楽さが勢いをつけるのだろうと感じた。
 今回の未来クラブの出展は協創プロジェクト「未来デザイン」のお披露目が目的だった。スタッフデザインの田口さんとデザインラボの阿出川さんが始めた「デザイン講座」がミユキアクセサリーを舞台にして、クラブメンバーだけに限らない協創プロジェクトに発展した。
 一般区民の来場者に知ってもらう事も必要だが、特に区の役職の方々にこう言うものが始まったと知ってもらうには良い機会だと思っていたが、区長はじめ新任の産業経済部長、危機管理部長に栄転した産業振興課の元課長、区議、都議の議員さんなども見えてくれたので紹介出来た。
 また、未来大学のキャリアセンター特任教授やモチベーション行動科学部の准教授にも「未来デザイン」を紹介し、未来大学の学生も参加して呉れたら学生には良い学習になるかもと言ったら物凄く喜んで呉れた。
 J:COMの足立人図鑑などで顔見知りのスタッフも来て取材させて欲しいと言われたが、事前に教えていて呉れたら昨日など良いチャンスだったのだろう。これからは何か始める時には是非事前に知らせて呉れと苦言とも思えるような事を言われたが半面嬉しかった。
 展示品は販売できるものは数点しかなかったが、三祐医科工業の耳かきはよく売れて品切れ寸前になっていた。ミユキアクセサリーは例年のようにそこそこの売り上げはあるように見えていた。
 今日は快晴だろう多くの人が来場するだろうと思う。

スムーズな一日もある。

 昨日は少量四品種への印刷がスムースに終わった。1点は特殊な受け治具を考えなくてはならないものだった。畳まれているものに考案した治具を挿入して立体にする事で印刷面を確保する。立体になったものを更に受け止める受け治具を造る。全て木工作業になるが立体にすると裏側に突起物が有るので宙に浮かせるような治具を造らねばならなかった。印刷面は布生地で保温材が入っているのでふかふかしている。そのフカフカさをなるべく抑える治具にした、それが功を奏した。印刷する度に補助する二人が綺麗と声を上げてくれた。
 これが上手く行ったら後の3点も上手く行って気分よく会社を後に帰宅出来た。だから気分よく今日は舎人公園の千本桜祭りに出かけられる。未来クラブは2テントも借受け「未来デザイン」を披露する、時間のある人は是非遊びに来てください、お待ちしてます。
 娘は今日会社に出てかなり厳しい仕事が有るが、それも治具をこれだと言うものを造って置いたのでスムースに終わるだろうと思う。
プロフィール

パッド印刷の伝道師

なんでも印刷日記
今パッド印刷に革命が起ころうとしております。
私のパッド印刷機は「なんでもくん」と言います。
形のあるものでしたら何でも印刷できるからです。
誰でも何処でも素人がまるで印刷職人のようになれる。
ある人は曲面の魔術師とも称しております。
興味のある方は安心堂の丸山に連絡下さい。

Profile
パッド印刷の伝道師
東京都足立区千住生まれ,小中高は区内です。
法政大学法学部法律学科卒業後証券界に身を置くも10年後、子供の時からものづくりに憧れがあり、生涯現役でいられる仕事を求め徒手空拳のまま全く経験の無い印刷業を開始し今日に至る。
株式会社安心堂として手動式パッド印刷機「なんでもくん」を開発し、販売している。またパッド印刷技術を活かし文字入り線香「焚経香」を発売している。
「なんでもくん」も「焚経香」も足立ブランドとして認定されました。
   自称「パッド印刷の伝道師」
現在あだち異業種交流会「未来クラブ」会長
「あだち大好き人間」を自認している。
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