なんでも印刷日記

パッド印刷って何だろう?曲面印刷って何?身の回りにある物にはほとんど印刷がほどころされている、どうやって印刷するのだろう? そんな疑問に答える日記です。 最近このブログを読んで印刷の体験の無い方でも名入れ印刷のプロ並の印刷を体験する方が増えてきております。 形のある物何にでも印刷できる楽しさを仕事に生かしています。 長年の印刷経験から生み出した手動式パッド印刷機、文字入り線香などの技術が認められ19年度「足立ブランド」として区から認定されました。全国各地から手動式パッド印刷機「なんでもくん」の研修者が年々増え続けています。  

工作は楽しい

 最近購入したテーブルソーは木材を切ると大鋸屑が飛び散り場内で工作するには相応しくない。集塵装置を購入するには場所が狭い、限られたスペースで何時でも使えるようにする為にはオリジナルの集塵装置を考えなければならない、それを考えるのがこれまた楽しい。掃除機を上手く利用するしかない、あれこれ考えて大鋸屑が飛び散らないようにした、実験したらほとんどが掃除機に集塵されるようになり、かすかな木粉が出るくらいになった、これで日常的に使えるようになった。あとはテーブル部分をベニヤ板10ミリを載せゲージを貼り付ければミリ単位で板がきれるようになる。
 これで「なんでもくん」を色々なバージョンに使えるようなテーブルを創作できる。モックサンプルが出来るようになるので金属加工所に頼みやすくなる。
 それにしてもインターネットと言うのは凄い、グーグルでパッド印刷機と入力するとトップページに出るようになったからか、韓国企業からメールが入り返信したところ電話が入り9日に来日を含め連絡が入る事になったいる。中国の知り合いの企業の日本人スタッフもグーグルで見られると言っていた。「なんでもくん」が国際的な商品になる事には期待も不安もあるが世界中に「なんでもくん」が普及することになるのは面白い、類似品が出るようになれば大成功だと思う。パッド印刷が誰でも簡単に色々なものに印刷出来るという事が足立区から発し、世界中に広がって行くことになるからだ。
 今日は2度目の青山劇場行きだ、アニーミュージカルを見に行く、席を違えて見ると又違った感動があるかも知れない。先日は夫婦2人だったが今日は家内の姉妹皆が来る、帰りが又大宴会になりそうだ。
 
 

ドラマ・父に奏でるメロディー

 昨夜家に帰って一杯やりながら何気なくNHKのドラマを見る事になった。事実に基づくフィクションだと言うが技術が生き残る結果となるドラマだった。開発研究費が嵩み企業の倒産に至る物語だが何か身につまされるものがあった。開発費は顧客の注文で造るのとは違って先行投資なのでいい加減なものだったら悲劇そのものだ。ドラマではその技術を買ってくれるところがあり、再建してしまうハッピーエンドでよかった。当社としては多額な開発費をかけて開発した物がある。売れる商品になるかどうか時間が掛かる、売り方がまたまた問題になってくる。ドラマのようになればいいのだがこれは神のみぞ知る所だろう。
 昨日一昨日はそれはそれは素晴らしい2日間だった。
 2日間パソコンから開放され緑に囲まれた地域にゆき思う存分足立区とは一味違った空気を吸い、普段に無い食を味わった。アニーの公演に関わっている家族の参加が出来ないのが残念だったがノーテンキな3家族合同のバーベキューだった。

バーベキュー









娘婿の一人は仕事で参加できなかったが孫達に囲まれたパーティーは楽しかった、まさに命の洗濯。
女の子の孫












男の子の孫









今日は休み明けに欲しいと言う仕事の素材が入る、出社しなければならず帰らなければならなかった。本当は端午の節句を祝ってあげたかったが婿殿のご両親にまかせて帰ってきた。

泣く時は一人だが、笑えば世界も一緒に笑う

 最近人に接する事が多い、初対面の人とは特に笑顔で出迎えることにしている。と言うのではなくて初めて人と会うことが嬉しいから笑顔になっているのだと思う。
嫌なことがあったときでも笑うと楽しくなる時がある。
 「楽しいから笑うのではない、笑うから楽しいのだ」これはアメリカの実践心理学者ジェームス・ウィリアムの提唱する有名な説だそうです。確かに笑うことは楽しいことにつながる。だから私は折を見て寄席にもよく行く。
 人とは面白い生き物だと思う、楽しければ笑い、悲しければ泣く。だけど不思議なことがある、感動すると涙が出て泣いてしまうことがある。先日子供ミュージカル「アニー」を見に行った、途中何度も泣いてしまった。前回見に行った時は全く泣く事は無かった。ストーリーの内容で泣いたのではない、あのチビだった楓があまりにも堂々と役をこなしている姿を見て感動してしまったからだ、泣く場面でなくても涙が出てしまう、不思議な現象だと思う、人が見たら不思議だと思うだろう。
 「笑う」これは結構難しい、厳粛な場面で笑ってしまうと世間の顰蹙を買ってしまう。50年ほど前のことだが、私の一番上の姉の亭主が早世した、その葬儀の時である、手狭な家だが当時は自宅で葬儀をするのが普通だった。客が多く義理の兄の兄さんと私の一番上の兄が挨拶するのにはあまりにも場所が狭かった、二人がお辞儀をした時だ「ゴツン」と鈍い音がした、二人とも立派なはげ頭だった。二人とも剥げていてクッションと言うものが無いだからアンナ音がしたのだと思う。よせばいいのに私は「あっ、禿げと禿げが禿げ増し合ってる」と思ってしまった。そうしたらもう可笑しくて堪らない、笑ってはいけないと思えば思うほど笑いが出てしまい、笑いを飲み込むのにどんなに苦しかったか、息絶え絶えになって近くの窓から首を出し、ゼイゼイ息をしていた。そうしたら姉が心配して「カンジ如何したの?」と言われ事情を話せない苦しさったらありゃしない、本当に死ぬ思いだった。
 笑いも時を選ばなければならない。
 今日は娘夫婦達とバーベキューに行く、どんな笑いがあるか楽しみでもある。
 
 
 

一日10回感動すること、それが長生きの秘訣です。

 「一日10回感動すること、それが長生きの秘訣です。」これは104歳で亡くなった加藤シズエさんの言葉です。最近この言葉がなんとなく理解出来るようになった。私が一日4,5時間しか睡眠をとらなく、タバコは一日60本以上吸い、アルコールは毎日欠かしたことなく、月に何度かは記憶が無い位飲む時もある。如何見ても健康的な生活とはいえない、人から歳なのだから少しは注意した方がよいと忠告を受けるときが間々ある。
一日の大半は仕事に費やしている、なぜ仕事にそんなに時間を費やしているのかと言うと感動する事が仕事には多いからだと思う。感動することは一日10回じゃきかないと思う、どうもこれが元気の元ではないかと思う。
毎日他人から見れば些細なことでも直ぐ感動してしまう、昨日も誰でもが知っているかの有名なコピー機のメーカーから「なんでもくん」の注文がFAXで入ってきた、私の作り出した商品に品番をつけてその品番に基づいて納品して欲しいとのことだった。かの大企業が私の10数点に及ぶ物に品番をつけるという事は私の商品が認知されたような気分でこんな感度的なことは無い、正直自分が認められたようで嬉しい。
今の所「なんでもくん」の注文が私を一番感動させる、この2日間ゴールデンウィークに入って「なんでもくん」の問い合わせが途切れていたのでなお更感じた。
 以前から欲しくてたまらないものがあった、高価なものと思いいずれ儲かったら買おうと思っていた。私の仕事は上手く印刷するのにはどうしても印刷冶具が必要な物で、考えたように大概木工で作る。切れそうな鋸を買ってきては試すが中々真っ直ぐ切れない、人を呼んでは押さえていたくれとか、乗っかって動かないようにしてくれとか頼んでいた。電動鋸を買ってきたがフリーハンドではなかなか真っ直ぐ切るのも難しい、ミリ単位で何かを作るのには限界がある、そこでテーブルソーに目をつけていた。結構高そうなので会計をしている家内になかな言い出せなかった、この所「なんでもくん」も良く売れて多少の余裕も出来たのではないかと、思い切って買いに行った。
勇んで買いに行ったらいつも置いてあった所にテーブルソーが無いではないか、この連休中に使いたいと思っていたのに。店員を探し聞いてみたら在庫は無いが展示していたものだったら引っ込めていたがあると言う、値段を聞いてみたらまたまたビックリなんと1万5千円だと言う、耳を疑った、「エエッそんなに安いの?本当?」と言ったら店員も確かめてみますと引っ込んでいったがやっぱりその値段だと言う。「なんだよ私の飲み代にもなら無い位のものなのになんで何年も垂涎の的みたいに思っていたのだろう、もっと早く買っていたらあんな苦労をしないでよかったのに」と思い込みの儚さを嫌と言うほど味わった。しかし感動だった、欲しかったものが手に入った。試してみたら本当に簡単に材木が切れる、寸法どおりに真っ直ぐ切れる、嬉しかった。
 何かを作ると私は自分で自分に感動してしまう、上手く出来るとなお更だ。上手く出来なかった歴史が沢山あるからだと思う。感動を得られる道具が一つ増えたようなもんだ、これから家具だって作れてしまう。
 貧乏やどん底はいいもんだ、これ以上悪くなる事は無い、ちょっとした努力が全てよい事になってしまう、良い事の連続になる、ちょっとした事に感動の出来る人間になれる。
 格差社会が今取りざたされているが人間社会は太古の昔から格差社会を生み出している、感動するチャンスは同じくらい皆持っている、下層社会と言われている所にいる方が感動する事が多いかもしれない、夢を持っていると感動する事が多いようにも思える。
 テーブルソーで感動してしまい、色んな夢が広がってしまう。感動って結構安いものだ、私は毎日感動する事が多い、些細なことでも感動してしまう、どうもそれが健康の元になっているように感じる。この40年くらい風邪で寝たことも無い、具合が悪いと感じたことは2日酔いくらいしかない。タバコも60本も吸えることに感動してしまう、今日も元気だと。調子悪いときはタバコが減らない、2日酔いの時だけだ。
 一昨日納品した風船が好評で今度タイにロケに行くのに必要で休み明けにどうしても欲しいのだがと恐る恐る問い合わせが入った、5日に材料が入ると言う、当社でやる以外方法が無いのを知っている、関わりあった以上しょうがない、結局3日4日が連休という事になる。
 明日早朝から出かけて孫達と八王子方面の川原でバーベキューをすることになった。娘が8人乗りのステップワゴンを買ったので同乗して行く、主役が変わってしまった。身体一つで参加すればよいことになった、これも妙に感動する。
 

子供ミュージカル「アニー」と表参道ヒルズ

 昨日は午前中瓶の蓋に2色印刷し、発送した後表参道に向かった。孫が出演している子供ミュージカル「アニー」を見に青山劇場に行く為だった。出掛ける前に昨日納品した風船が旨くへリュウムガスで浮かび大成功だったとお礼の電話が入った。彼女は私のブログを読んだらしく大学の後輩に当たるとのことだった、同じ学校で学んだと言っても40年の違いがある、しかし自由の気風を受けたのは同じかもしれない。律儀なお礼の言葉と共に作品の成功の連絡は嬉しい、とにかく放映される「ジョッキ生」のコマーシャルが楽しみだ、毎日飲むビールも今あるストックが終ったらジョッキ生に換わることになるだろう。
途中話題の表参道ヒルズを覗いてみた。大変な人出でこんなに多くの人達が何処から来るのだろう、若い人達が圧倒的に多かったが昔の表参道とは全く異なった雰囲気には驚いた。近年この辺りは変わっていってるのは知っていたが事ここに極まれりと言う感じでこれでお仕舞いというイメージを持った。古アパートと枯葉が似合うあの温かさはもう無い、電飾で厚化粧し、これでもかと言う程のブランドショップの多さには辟易した。
 人間が古いせいか六本木ヒルズだとか何とかヒルズをあちこちに作り出している森ビルのパワーには呆れかえる。高齢社会を向かえて若者相手のこんな町づくりが何時までも繁栄してゆくのだろうか、一時的なバブルを演じてはいないだろうか、少し心配になってきた。
 
 同閏館青山劇場青山劇場に行ったらここも多くのファンに満ち溢れていた、21年目を迎えているこの「アニー」と言うミュージカルは何時まで続くのだろうか。この孫は一昨年も出演している、21回中2回も出演すると言うのも珍しい出来事だそうだ、毎年9000人以上の子供達の中から選ばれる事は至難のことだと思う。子供でも鍛えられるとあそこまで踊りや歌が上達するのかということには些か感動を覚える。
 劇場内に入ってトイレに行ったら我が社の仕事UV印刷されたカルミックのプレートが新しいものに変わっていた、最近仕上げたものに違いない。
カルミック
 帰りに食事をするのに表通りの雑踏から離れ裏通りで野菜レストランを見つけ、そこでワインと野菜料理を食した、どれもこれもまづは美味かった。地下でありながら屋外のテーブルで上空が望める、有機野菜専門の店だがシャレのめしている、足立区には無い雰囲気だった。

 野菜レストランサンディー今風雑貨屋

結局今日も仕事

 自社に印刷工場を持ちながら外注せざるを得ない仕事が持ち込まれた。大した数量ではないが折角良い施設を持ちながらも自社内で処理できないのは営業マンとしては憤懣やるかたないことだと思う。
 営業としては納期は至上の問題だと言うのを知っている、だから間に合わせてやらなければと思う、先週はあまりにも仕事が集中しすぎた、はみだした仕事が数点あるが今日出社して処理しないと週明けドタバタになる事請け合いだ、ドタバタするのは好みではない、結局今日出社して午前にやっつけてしまおうという事になり出られる人に出てもらって処理する。
 本当は昨日午前に処理するはずだったのが朝会社の前に親子4人が開店前に待っていた。約束してあったと言うが私には記憶が無い、はてさて困ったことになったが、わざわざ九十九里から早朝出てきた人達にお引取りを願うわけには行かず、結局午前はつぶれてしまった。パッド製版、シルク製版を手ほどきしお昼にはお帰りいただいたが、バイク便が今日取りに来る風船をし遂げたら9時を回ってしまった。
 夕には孫の出ている「アニー」を見にゆきたい、ついでに表参道ヒルズでも散策して来ようかと思う、はて予定通り行くかな?

仕事って何だろう?働くって何?

 昨日遅くに今日の仕事のための材料を持ってきたコマーシャル制作会社ヌーベルバーグの女性スタッフが暫しの間話していった。今日は直帰で会社に戻らなくていいからだと言う。今日は早く帰れるとは言うものの既に9時になっている。いつもはもっと遅いのが普通だと言う。
 彼女は数ヶ月前までは大手商社のOLだった、定時がありきちんと週5日働き給料も今の倍あったと言う。今のような月に1日休むことが出来るかと言う会社に入ってしまって後悔が無いのだろうかといぶかった。朝から朝まで仕事をしている事が苦痛ではないらしい。
 OLの時のように決まった線路を歩くのではなく、常に何か新しいものを追求していることに満足しているらしい。働くと言う言葉がもう一つ好きでなく、仕事をしていると言う何か働かされている事とは違うイメージを持ちたいらしい。
 働くも仕事も同じようだが何か違うイメージがあるようにたしか感じられる。私とても今日この仕事をやらなければ明日のご飯が食べられないと言うわけではない、働かされていると言うイメージだったらおそらく断っているだろう。私を頼りにして来た、私でなかったら出来ないかも知れない、私もやった事が無い事だからやって見たい、そんな気分が私を動かしている。今日家内は孫の出演しているミュージカル「アニー」を見に青山劇場に行く、本当は私も行きたかった。
 それにしても27歳と言う結婚適齢期ともいえる彼女が仕事に対して情熱を持って生きている。少子化とか晩婚化とかが現実味をおびてきている。私にも28歳になろうかと言う娘がいる、早く結婚でもして出て行って欲しいと思う反面いなくなったら寂しくなるのかなあとも思ったりする。

またまたお助けマン

 2年前のゴールデンウィークには出張印刷で休みを返上してある会社を助けてやった事がある。今年もいきなり「社長!やってくれる?」と普段はほとんど付き合いの無いヌーベルバーグというテレビコマーシャル制作会社のスタッフから電話が入った。憎めない男で爽やかなやり取りをいつも楽しめる男で何度かコマーシャル製作の手助けをしてやったことがある。この男の仕事でなかったら引き受けない。
 今回もサントリーのジョッキ生のコマーシャルでポリ風船に3色で印刷するものだが相手がフニャフニャしている素材なので3色の色合わせが難しい。1メーター位の物と50センチ位の2種類で3タイプの風船に印刷をしなければならない。結構厄介な代物で他社に依頼したら2週間クレといわれたと言う。撮影は5月1日にやるので30日までには欲しいと言う、チョッと厳しい要求だが今日中に刷り版ができれば明日印刷は出来る。
 昨日午後遅くちょうどインキメーカーの営業ウーマンのやり手が来た、ヌーベルバーグ社の女性スタッフも居合わせた、ツイている、風船に適したインキが直ぐ手配が出来た、今日入る。この女性に言わせるとこの男はとにかくつき男なのだという。
 持ってきたデータをメールで直ぐ工業写真屋に送り、刷り版を今日中にやってくれるよう強引に頼んだ。今日仕事が終った頃を見計らって印刷する場所を確保しなければならない、大きいものなので少々大変だ、今日中に用意すれば明日明後日で仕上げられる。
 休日を利用してこれは私のアルバイトみたいな仕事で普段の作業としてはやりずらい物で断られても不思議は無い、私とて経験のない代物だがそれだけにやってみたいと言う所がある。色んな工夫が必要でやりながら考えるのがまたまた面白い。
 印刷の出来ないものはほとんどありませんと謳っている以上チャレンジしないわけには行かない、こんな事を繰り返しているうちに色々身に付けて来ている。旨く行った時の嬉しさはやったものしか味わえない。
 テレビコマーシャルの仕事の面白さは毎日見るテレビで自分のやった仕事が見られる所にある、自分の子がテレビ出演しているようでテレビを見るのが楽しくなる。今まで何回もそんな経験がある、今放映されているものもある、毎日私がやったレコード盤が昼近くの番組で回っている。
 サントリーやANAのコマーシャルには時折使われてきた。自分自身もテレ朝やNHKに数度出た事があるが一瞬で終ってしまうがコマーシャルは何度も映るので結構楽しめる。
 ゴールデンウィークの予定がまたまた違ったものになってしまった。昨日は又1仕事としては今年最大の見積もりがあった、納期から考えると決まる可能性がある、私を取り巻く環境は結構協力者がいるので頼もしい、休み明けもメチャメチャ忙しい事になりそうだ。

聞いた事も無い苗字や地名が多いので驚いた5

 昨日約束どおりの時間に大阪から電球メーカーの方が来社した。まさに時間ピッタリ、ネットで新幹線、地下鉄、コミュニティバスのダイヤを調べそのとおりに来たのだった。
 特殊な電球メーカーで自動車部品の一つらしいがその分野ではシェア100%だと言う。従来はパッド印刷機では国内では最大手のメーカーの手動式パッド印刷機を使っていたらしい、版代の高いのと使い勝手の良くないのに閉口していた様子だった、しかも耐熱性のインキが高価で毎回無駄になるインキがあり印刷コストが高いものになっていたようだった。
 あらかじめワークとデータが送ってきていたので、パッド、版、印刷冶具を用意してあった。そこでいきなりセットし印刷をして見せた。通常のパッドでは印刷出来ない部所だったが特殊な形のパッドを用意してたので難なく印刷がきれいに出来るのを見て感激していた。パッド印刷の経験者だから「なんでもくん」が如何に革命的なものなのかの理解が早い、今まで苦労して印字していたのがあまりにも簡単に出来る嬉しさからか、持って来ていた10数個の電球のセラミック部分にあっという間に印刷を自分でやってみていた。
 「なんでもくん」は印刷機メーカーが造っているのではなくて、印刷屋が創ったものなのだから全て印刷をする側からの発想によるのです。だから使いやすい、コストが低い、精度が高いを充足したものになっているのだと自信を持っている。1時半に見えて5時過ぎまで滞在していた。この会社は大阪の門真と言う所にある、門真と言えばかの有名なナショナルの工場が京阪電鉄沿いに大きく広がり、知る人ぞ知る所である。
 私は大学を卒業して証券会社に入ったがいきなり大阪支店に配属になり、独身寮が京阪電鉄の枚方公園で降りてバスで行くところにあり、毎日満員状態で鍛えられながら天王寺まで通った。そして毎日門真辺りを通過する時車窓からナショナルの社員が集団で、しかも整然と体操をしているのを見たものである。全員が一糸乱れずきちんと体操しているナショナルと言う会社はさぞや窮屈なんではないかと、型にはめられるのが嫌いな私には比較的自由な証券会社で良かったと思った、その当時は。
 大阪に着くなり寮長が迎えに来ていた、その人の名がユズリハと言い、管理人はサリョウ、私の直属の主任がオモニシと言う、どんな字を書くのか想像もできなかった。大阪って変な苗字が多いなと驚いたものである。地名も枚方と言う、マイカタではないの?と何か異文化の地に来てしまったような気分になったのを懐かしく思い出されました。
 門真から来た彼は「なんでもくん」を2台ほど購入したいと言って戻っていった、彼は四条畷の出身だという、これも読めない人は結構居ると思う。あの頃バスに杭全行きというのを見かけた、何と読むのか分からない、クイマッタク?それを知るのにはかなりの時間が必要だった、クマタと知るまで。ネット時代はそんなの直ぐ分かる、時代の変化を痛感する今日この頃です。
 
 
 
 
 

25年前の技術が今売れている

 今月も既に終盤を迎えた、新年度スタート月としてはここ数年無かった程良い月だった。「なんでもくん」が売り切れたり、新製品開発に区の助成金が付いたり、25年前に開発した技術に多量の注文が発生したり過去に無い実績が生じた。
 25年ほど前ある特殊印刷機器のメーカーがUVインキによるパッド印刷機のセミナーを開催した。乾燥が瞬時に終るUVシステムに50社程が集まり50台ものパッド印刷機が売れたそうだ。私はセミナーには参加しなかったがUV乾燥システムを既に持っていたので購入して初めてパッド印刷というものにチャレンジしてみた。
 導入しては見たものの全く上手く行かない、インキや版が旨くないのではないかとあれやこれや試している内瞬く間に半年くらいは過ぎてしまった。私はセミナーにも参加していないし、土台ずぶの素人から始めた印刷屋ですからスキル不足で稼動に至らないのだと一心不乱に取り組んでいたものだった。ところが後から聞いた話しではそのセミナーに参加した所全てが旨く行かず全部返品になっていたのだと言う。当社だけが返品せず何とか使いこなそうとしていた所、そのメーカーがボタンでは有名な今言うところのアイリスと言うメーカーを紹介してきた。返品してこない所だからやりこなせると判断したのだと思う。ボタン印刷も一筋縄では行かなかったが何とか物には出来た。そうしたら仕事は来るは来るは月に最高300万個ものボタン印刷が来るようになった。パートも15人ほどに増やし来る日も来る日もボタン印刷に励んでいた時があった。
 その時会得した製版方法が今生きている、日本一ともいえる家電メーカーからUV印刷用の製版の仕事が今月大量に発生した。UVインキは金属イオンにも反応してしまう、その難問を解決してやったから来る仕事なのです。
 昨日大手電線会社の人が帰った後来社した化学加工会社の人も「なんでもくん」の威力には驚いていたが、彼も電機大学の出だった。2,3日前電大の副学長と一杯やっていた話しをしたらこれまた驚いていた。
「なんでもくん」ファンが毎日のように増えてゆく。
 

「なんでもくん」がヒットし始めた?

 昨日も2度目の研修をしに来た会社がある、かなりの精度を求めているので苦慮することになったが、結局は問題が解決して帰っていただく事になった。
 昨日は追加注文が2件入り別の部所で使う事が想像できるますが嬉しいことです。現在は在庫切れでお待ち頂く事になってしまっていますが、今日も研修に来る大手電線会社がある、明日は電球メーカーが来る。その次の日も来る人が居る、この所連日研修に来る人が居るので息付く暇が無い。
 昨日お饅頭に印刷が出来るパッドがついた、卵や壊れやすいものに印刷する為のもので柔らかくまるで女性のオッパイのような手触りで昔はオッパイ印刷とかコンニャク印刷とか言われたのがうなずける。今日テスト印刷してみればどんなものに使えるかが分かる。
 昨日未来クラブのメンバーで建築金物を造っている「小滝金属」の社長が来社した、家具用のキーにメーカー名を印刷することで他社との差別化を計り、新しい付加価値を付けたい意向の様だった。何処でも作れるような代物に印刷サービスをしたいようだったが、良いアイデアだと思う。

千葉市松並の「巻葉亭」へ行った

巻葉亭私の一番上の姉には子供が二人居る、千葉県で2人ともそれぞれ商売を営んでいる。下の方が「巻葉亭」と言ってロールキャベツを専門に食べさせる洒落た店を営んでいる。行って言われたので気がついたが6年ぶりのことですっかりご無沙汰してしまっていた。開業して8年になるという事だが、やっと世間に知れ渡り少しづつだが顧客が付いて来たようだ。
 姉が存命の頃我が社にこの甥っ子が来ていた事がある、その時はコックと言う仕事に疲れ私の仕事を手伝っていたのだが、上の子が23歳と聞くからおよそ25年も前のことになる。当時我が社にパートタイマーで来ていた今の女房と共に当社を辞めてコックの世界に戻って行っていた。
 腕の良い職人だったが8年ほど前リストラにあい独立せねばならなかったのだが根が商売人ではないので髄分苦労したことだと思う。真面目なのでこつこつとやるしかなかったと思う、が最近は時折色々なメディアにも取り上げられロールキャベツ専門店として確立したきたのだと思う。先ずは何を食べても上手い、場所が良かったらもっととっくに大繁盛していたと思うが、如何せん飲食店を営むには難しい場所だった。それでも顧客が増えてきているのは彼の腕が認められてきたからだろう。洒落た店づくりで近ければちょいちょい行けるのだが少し遠すぎる。昨日は娘が会社が休みなので手伝っていた。親が長時間家に居ない家庭なのに子供は結構素晴らしい子に育っていた、彼等夫婦もこれからは少しは良い思いをするときが近づいてきているように思う。
 兄の方は商売上手で3年ほど前に開業した所だったがやっと軌道に乗るかと思ったら具合が悪くなり検査入院したら肺ガンだと宣告されてしまった。こっちが良くなりそうだと思ったらあっちがピンチを迎えてしまう、世の中と言うものはなかなか思った通りには行かないものだ。
 癌と言うと致命的な事と思うが必ずしもそうとは限らない、私は先妻を42歳と言う若い時期に失っている、その時初めて癌と言う病気について本気で学習したのだが時既に遅く間に合わなくて残念な思いが今でもあるが、今の家内は舌癌だったが私の言うとおりの事をしたら完治してしまった。それが無かったら恐らく夫婦にもなっていなかったろう、ある意味癌が取り持つ縁だった。
 癌と言う病気は血液の病気と言ってもよく、きれいな血液が身体を巡っているときにはありえない病気だと思う。がん細胞を作ってしまうのは概ね食生活に由縁する事が多い、勿論ストレスやその他で血液が順調に巡らないことに起因することもあるが、生活を180度変えると直ってしまうことがある、がん細胞が出来るメカニズムを説くと1時間や2時間掛かってしまうのでこの場では話せないが、甥っ子にも早く病院を退院したら伝授しようと思う事がいろいろある。医者に頼っている間はなかなか難しいことでもあるので無事に退院ができることを祈るばかりである。
 

 
 

昨日は娘の結婚式

 昨日は娘の結婚式があった、先ず変わった結婚式だった。人前結婚と言う私としては初めての経験だったが今時の若い者は自由奔放で羨ましい。神式、教会、仏式等数々経験したことがあるが人前式は初めてだった、が、これがまたそれなりの感動を呼んだ。野外のプールサイドが結婚式場で真ん中の娘の子が2人で花を巻くバージンロードに見立てたプールの周りを祝福を受けながら歩いている。私は土台形式ばったことがあまり好きではないせいか型にはまらないこんなのが好きだ。従来にない楽しさを味わった、皆が本当に楽しそうだった。親族以外は皆立食パーティーなので思い思いの人達と談笑し、料理もそれぞれ料理人が振る舞いどれを食してもそれなりに有名なレストランなので美味い、何度も往復して好きな、又珍しい料理を私の親族に限らず皆が食していた、飲み物も自分で好きな物を選んでいた。余興も親しい仲間達が歌っている前で新郎と新婦が踊っていた、娘が本当に嬉しそうにハシャイで踊っている。
 新郎の姉はニューヨークから叔父はドイツからの参席と国際色もあり、ドイツの叔父の息子さんはハーフで三菱証券に勤めているという、三菱証券は私がかつて勤めていた国際証券と数社合併して出来た会社である、何か不思議な縁を感じた。ドイツに来たら是非寄ってくれと言っていたが私がドイツに行くことがあるかどうか分からないが機会があれば是非寄りたいと思う、中々貫禄のある方だった。我が身内とは世界が少し違うようだ。
 新郎の父が名器とも言えるようなバイオリンで演奏を披露した、クラシック音楽の私にはなんだか分からない曲だったが息子の為に一生懸命弾いていた。プールのを一周新郎はコニカミノルタの社員で駅伝では全国制覇を3年位続けているが、その陸上部の仲間の挨拶と万歳3唱は素晴らしかった、新郎が如何に仲間達から愛されているか分かる。マラソン好きの家内はテレビで見た顔が出ているので感激していた。
 我が家を代表して孫が歌を歌う予定していたのだがミュージカルアニーが今日初日で前日のセレモニーがあって出られなくなってしまった。皆に聞かせたかったのに残念、私の口三味線しかなかった。
 閉めの挨拶とも言える親族の挨拶を私がやる事になっていた、いざその場に立ったら用意していた言葉が全く出なかった、雰囲気に圧倒されて用意していた言葉が似つかわしくないような気がして大向こうをうなさせるような挨拶が出来なかった。ま、しょうがない、でもいい挨拶だったと言う人がいたらしい、何を言ったか覚えていない、口三味線も上手くいかなかった。
 上機嫌で来客を見送った後、私は皆と別れ仙台から来てくれた義兄と一緒に義兄の友人と会うため神田に行った。義兄と言っても私の高校時代の同級生でもある。彼は東京電機大学の卒業で昨年まで丸の内辺りのビル工事に関与していて昨年65歳でリタイアしていた。電気の技師で単身赴任で昨年まで足立区の梅島に7年くらい居た。弘電社の東北支社に所属していたので仙台に住み着いていたのだが、電大時代の卓球部の親しい仲間と落ち合って会う事になっていた。ところが彼らとは私も40年位前に良く遊んだことがある、まさに49年ぶりの再会であった。会うなり「かんちゃん?」と叫び歳はとってもどこかお互いに面影が残っている、合えば昔と全く同じ子供時代に戻ってしまう。一人以外は現役を退いている、一人は未だに電大の副学長として教壇に立つこともあるらしい。思い出話に花が咲くとはまさにアンナ話しだ、爆笑の渦が酒の量をはかどらせる、瞬く間に焼酎のボトルが空いた。

 電大のOBと私仙台の義兄を送った後神田で評判の蕎麦屋に蕎麦を食いにいったが売り切れとの事で新規の客を入れていなかった、が電大の現役が交渉して強引に席を用意させてしまった。若い女性の客の隣で又酒を取ったりしている内隣の女性達が面白がって帰らない、結局秋葉原の駅まで談笑しながら同道した。結構気分は40年前と変わっていない、私は秋葉原で筑波エキスプレスで帰るので再会を約して分かれた。彼等は如何したかはわからない、ひょっとしたら横浜まで一緒に帰ってのが居るかもしれない。
 とにかく昨日は朝から晩まで楽しかった、人生でもアレほど楽しい時間を一日中過ごせるのは滅多にないことだと思う。

あだち異業種連絡協議会役員会

 あだち異業種連絡協議会あだち異業種連絡協議会の役員会が昨夜あった。足立区役所の関連部所の人事が変わり新役職部長が挨拶に来た。
 来月の総会についての協議後ホームページについて論議された。連絡協議会の参加グループ「オンリーワン」「共同受注」「未来クラブ」「風大地」の順で参加企業の紹介、PRの時間が設けられ従来の総会とはチョッと違ったものになる。型にはまった儀式を繰り返していても意味が無い。
 足立区産業の良いニュースの発信基地としての連絡協議会にならなければならない、と私はかねがね考えている。この所少しづつ変化してきているようには思える。

 今日来社予定の会社は初めてUV仕様の「なんでもくん」の研修に来る。UV仕様の「なんでもくん」は今1台だけしかない、一般的にはUV照射機を持っているところがあまり無い。今まではUV仕様を購入した所は大企業の生産ラインにUV照射を持っているところだけで今回のようなサンドブラストを仕事にしている会社が来るとは珍しい。
 とにかくパッド印刷がサンドブラストに耐える印刷になるか実験するよりほか無い、上手く行けばこの会社は素晴らしい技術を持つことになる。20年近く前に実験したことがある、その頃はインキの種類が今程なく残念ながら失敗した経験がある。今日の実験で上手く行くことになれば20年前に私が夢に描いた新製品が現実のものになる。
 今日は違った意味で胸がときめく一日になりそうだ。
  

アナログとデジタル

 103歳で41個目の特許を取得したガーランドはパソコンを操り、ひ孫のような若い社員と冗談を交わしながらこう語る。「変化は敵ではありません。前向きに生きるための味方なのです」こんな記事を日経で見た。
 ガーランド氏の歳には未だ40年近くある、40年遡れば私は未だサラリーマンで開業していない。日本でも平櫛田中さんが「60,70は洟垂れ小僧、男盛りは100から100から」と言った。私などまさに洟垂れ小僧だと自認している。これから40年生きる保証は無いけれど生涯現役で社会参加することを目指している。
 昨日当社にバスを乗り継ぎわざわざ足を運んできて「焚経香」を買い求めに来てくれたお年寄りがいる。「定年時代」の記事を見て「南無阿弥陀仏」を2個と「般若心経」をお買いになり戻って行かれた。友人のご仏前に供えたいとの事でしたが、いつも同じようなものを供えたくなく変わった物を探していたと言う。この方もやはり変化を求めていたのだと思う。途中道がわからなくなり携帯で確認しながらお出でになった、アナログ世代と思われる方でもデジタル機器である携帯電話を使っている。こう言う方は恐らく長生きするのではないかと思う。帰る姿を見送りながら思わず拝んでしまった。
 人の生き方は様々でどれがという事は出来ないが私はデジタル難民にはなりたくない、だから毎日のようにブログを書いたりもし、顧客ともメールでやり取りしている。こんな積み重ねが今の自分を演出しているのだと思う。「焚経香」もデジタル技術の発展が無かったら実現していない、写植を商売にしていた人達には気の毒だが当初「般若心経」の原稿を頼んだら1万円以上も掛かった、それが今ではPCで簡単に自分で出来てしまう。日本語ワードプロセッサーが充分でなかった時代こんな風に出来ればよいのだがと願ったものが、今や当たり前のことになっている。変化を求めることが如何に大事かを物語っていると思う。
 仏教語に「諸行無常」と言う言葉があるがこれはingを現している、現在進行形を言っている、常に変化しているという事を言っているのですが、私も毎日変化することを楽しんでいる。
 「なんでもくんANG」はアナログをもじったものだが、これとてもデジタル技術が無かったら実現していない。PCがあれば簡単に版ができて印刷する事が出来るのだから。
 ガーランド氏や田中氏のように生きたい。
 

Googleの検索窓に「パッド印刷機」と入れると安心堂がトップに出る

 Googleの検索窓に「パッド印刷機」と入れると安心堂がトップに出るようになった。数あるパッド印刷機メーカーを超えて安心堂が出てくる感慨はなんとも言い得ない物があります。
 どうもこのところネットからのお問い合わせが多くなったなと感じていたのですが、昨日試しにGoogleにパッド印刷機と入れてみたら一番上に出てきた。
 大きな企業を差し置いて零細企業そのものの当社が出てくるとはインターネットの妙を感じます。いよいよ責任を感じざるを得ない。昨日も午前と午後に折角「なんでもくん」の研修にお出で頂いた企業がありましたが2社とも来月までお待ちいただくことになってしまった。
 需要動向を読めずに在庫が出来ない零細企業のお粗末さを露見してしまった、恥ずかしい限りだと思います。
 しかし50以上の業種の方々が有効に「なんでもくん」を活用して頂いているかと思うと嬉しくもあり楽しくもある。機械ができるまで何度でもお出で頂き「なんでもくん」の操作や製版を学習していただけることも出来る、「なんでもくん」を手にした時には既に印刷のベテランになってしまうでしょう。
 自分が長年経験してきたことが人の役に立つ実感はそれが些細なこととしても長い間やってきていて良かったなと思います。
 印刷など全く経験した事の無かった人達が自分の手で印刷が出来た時の喜びの表情を見るにつけ、またその人が色々な新しい展開を語る表情を垣間見た時の嬉しさは私にしか味わえない。
 私は機械を売るだけの商売人とは違い自分の経験を人に譲るというビジネスを確立したいのです。そうする事が日本のものづくりの歴史を語り継げる事にならないだろうかと思うからです。
 今週も成東と言うところから来る人がいる、この方もユニークな仕事をしている人で会って色々なお互いの技術交換が出来る楽しさがまたある。
 

朝日新聞「定年時代」に焚経香が紹介された

 「どうせ私は抽選にあたらないと思うから直接購入したい」と当社焚経香「南無阿弥陀仏」を5個送ってほしいと注文が入った。一瞬耳を疑ったが、瞬間気がついた、先月「定年時代」編集部に誌のプレゼントコーナーに掲載する記事ため「南無阿弥陀仏」を送ってあった。そうしたら立て続けに色々な人から注文が入り午前中は喉を枯らすほど喋り続けなければならなくなった。残念ながら私は朝日新聞を取っていなかったのでどんな風に記事が掲載されているか知るよしも無い、午後に紹介していただいた方に新聞をお持ち頂いた。見過ごしてしまうほどのほんの小さな記事だったが10人以上の人から注文が入った。メディアの威力を思い知らされる出来事だったが、何人かに共通する現象が見出されたのは大いに学習になった。
 身近な人に不幸があって何か贈りたい、と思ったという人達に共通項を見出せたのは大きい。それとインターネットとは全く縁の無い方々ばかりだということです。なかには信州善光寺で買ったことがあり何処で売っているのか知らなかったけどやっと見つかったという人もいた。当社の場所を問い合わせる足立区内の方が多かったが、千住の方にはシアター1010で当社で買うより安価に購入できる旨をお知らせした、そうしたら非常に喜んでくださった。
 ちょうど巣鴨地蔵の前の「永楽堂」さんという仏具屋さんから「南無阿弥陀仏」の注文が入り線香印刷をしていた、また「日本文化センター」用に「般若心経」を印刷していたので昨日はまさにお線香デーだった。
 「なんでもくん」はネットからの注文が大半だが線香は文字メディアからの注文が多い現実を知り、ネットが全てでは無いと言うこと、これを知ったのも大きい収穫になる。
 ところが昨日は「なんでもくん」への振込みが数件有って売切れてしまった、来月半ば過ぎにならないと入ってこないので全て予約という事になる。販売管理の不味さがこういう現象になってしまう、だから儲からない会社になってしまう、神田昌典さんの言葉通りになってしまっている。
 ところが昨日ほど内心嬉しい日はなかった、私が考え、私が創った商品が世のなかの人達に受け入れられたという実感を得たから、又次への物づくりへの励みになる。
 紙コップに印刷して欲しいと言う方が見えたり、土曜日試作した物の注文が入ったり、瞬く間に1日が過ぎてしまう、息を抜く暇が無いのに何か幸せを感じながら過ごした一日でした。
 
 

今週は量産物が集中している

 今週は週末に娘の結婚式がある、正味5日間しかない。これは何処でも同じ事なのだが、我が社は土曜日を予備日として週内で間に合わない時に残している。今週はそれが出来ない、社員を極力少なくしてきた咎めでもある。量産物が恒常的に多くなれば以前のようにパートを増やし、担当社員を育成することも考えるのだが、この時代何時まで景気が持続するのか不透明だし、昔の轍を踏みたくない。オリジナル商品の販売に力を入れる姿勢だけは守りたい。下請け仕事を全て断って独自独歩のマーケットだけで成り立ってゆくにはもう少し時間が掛かる。
 儲けることが下手くそな私には自分自身嫌になってしまうことがある、昨日はまさにその私の痛いところをついたようなメルマガが届いた。

 「仕事のヒント」神田昌典365日語録--     No.316
╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━…
┃ 使わない筋肉は、衰える。使わない知識も衰える。
┃ 毎日30秒で、あなたのビジネスを刺激する言葉。
╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━…
キーワード:
儲からないのは、単純に、あなたがそう決めているから・・・

解説:
ダラダラとビジネスをするな。徹底的にやれ!何が何でも儲けろ!
利益がでないなら、でるように事業を変革しろ!
利益がでない商品は取り扱いを止めろ!
利益がでない活動は、でるように変えろ!
やるなら、とことんまでやる。徹底的にやる。
すると、その事業をやめても、絶対、次の展開に役立つ。

今日は孫の面倒を見る事になってしまった

 今日は取り立ててやらなければない事も無かったが、起き抜けに娘から午前中に美容室に行きたいので子供を預かってもらえないかと電話があった。今日こそ自由気ままに何処かへ行きたいと思っていたが諦めた。孫とは可愛いものだ、孫と遊んでやる時間も結構楽しい。カルタ取りや粘土細工をして相手をしていたが、下の子が今月から幼稚園に行くようになり、上の子が年長組みでやる事にかなり差がある。負けず嫌いの下の子と何かといっては喧嘩になる、見ていて楽しい一時でもある。自分の娘達も同じような時があり、輪廻と言うものを感じる。
 結局午後2時頃までいたので出そびれて自宅にいる事になった。スーパーで肴を仕入れビールや「清流伝説」で焼酎を割ったものを飲みながらゴルフ番組を楽しんだ。
 突如電話が入りついこの間、親しくしていた飲み屋のママが息子の手紙を持ってきた。その息子が中学に入学したので入学祝にボールペンを贈ったのだがその礼状を持ってきたのです。小学5年の時にアメリカから来たばかりだというのにその文章や文字の達者なのには驚かされた、僅かの間に日本語も上達している、優秀な子だとは聞いていたがたいしたもんだと思う。行く末が楽しみでもある。
 今日はテレビ三昧で過ごそう。

葬式はその民族の文化と謂われているが

 今、年間100万人位の人が亡くなっている、これが年々増え続け年間178万人亡くなる時が来るという。葬祭市場は倍までは行かないがかなりの成長市場を形成している、唯一残された成長市場とも言える。 
 久しぶりに他県での葬儀にたち合ったが火葬場が大きく変貌しているのには驚いた。外見は何かの文化施設のようでオートマチック化した焼却炉は人の死を悼む厳かさとはほど遠いものに変質していた。表見は静かで何が行われているのか判らない、ところが内部では何組もの葬儀の結末を演じている。
 最新の施設でどう見てもそれなりの費用がかかり、お粗末な葬儀が出来難いような感じがしている。最近はお金をかけないで葬儀を済ますのが流行とも聞くがそれなどはどこか違う火葬場があるのだろうか。家内などは私が死んだらどうなるのかと心配していた。
 昔は死ぬことを土に帰ると表現されていたが、土葬であり、幽霊が出る雰囲気があった。火葬では遺骨だけが残り大部分は空中に消えてしまう、空に帰るとは言われてないが姿かたちが消滅してしまうのは事実だ。空しい気持ちになるのはいたし方が無い。葬儀は何年ぶりかで会う人達が多いが皆それぞれ歳を取っている、あんなに老けてしまって気の毒にと思ったりするが自分も老けてしまっているのに気がつかないノーテンキさに気付かされる。皆同じような時を否が応でも迎えることになる、坊主の読む「般若心経」が胸に響く。
 朝一番に出かけたのに帰ったらやはり5時近くになってしまった。昨日約束をしていた人達2人が4時過ぎくらいに来て待っていた。直ぐ現実の世界に戻らなければならない、外資系の会社の人達で若いチャーミングな女性が主役になって私の話を聞いていた。早速「なんでもくん」の実演に入り、その印刷効果に驚きを見せていた。自分でパソコンを使ってデータを作ってもらい、持ってきたボールペンや透明のジェルが入っているふにゃふにゃしたアクセサリー見たいなものに印刷をしてみたりして面白がっていた。欲しくてしょうがなくなったに違いない。
 今日も「なんでもくん」の研修に来る人達がいる、彼等は2度目だが上司を連れてくるらしい。
 
 
プロフィール

パッド印刷の伝道師

なんでも印刷日記
今パッド印刷に革命が起ころうとしております。
私のパッド印刷機は「なんでもくん」と言います。
形のあるものでしたら何でも印刷できるからです。
誰でも何処でも素人がまるで印刷職人のようになれる。
ある人は曲面の魔術師とも称しております。
興味のある方は安心堂の丸山に連絡下さい。

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