なんでも印刷日記

パッド印刷って何だろう?曲面印刷って何?身の回りにある物にはほとんど印刷がほどころされている、どうやって印刷するのだろう? そんな疑問に答える日記です。 最近このブログを読んで印刷の体験の無い方でも名入れ印刷のプロ並の印刷を体験する方が増えてきております。 形のある物何にでも印刷できる楽しさを仕事に生かしています。 長年の印刷経験から生み出した手動式パッド印刷機、文字入り線香などの技術が認められ19年度「足立ブランド」として区から認定されました。全国各地から手動式パッド印刷機「なんでもくん」の研修者が年々増え続けています。  

選ばれることの幸せ

 人は毎日朝起きると今日は何をやろうかと考える、何をやろうと自由なはずである。気が向かなきゃ一日中寝ている事だって出来る。そんな人が毎日私の会社へ足を運んでくる、私の会社を選んできてくれている。会社を構えているものとしてこんな幸せはない。来た人も折角選んできたのだから一日を有意義に生きて貰いたい、つまんない所を選んでしまったという悔いは残して欲しくない。

 生き甲斐を持って毎日を過ごせるほど幸せな事はないと思う、私は毎日色々な人と接触する。電話、メール、来社方法は違うが皆私を選んできてくれていると思っている。折角選んで来てくれているのだから何か良い事や物を得ていただきたいと思っている、それが私の生き甲斐になっている。

 この8月10日には毒蝮三太夫さんが来る、TBSのプロデューサーの机の上には来訪希望者のハガキが山のように積まれているそうです、その中から行く先をアットランダムに選んでいるそうです。

 ミュージックプレゼントで毒蝮さんはこの37年間で8,200社もの企業や店舗を訪れているそうですが、それでも数百万ある中の一部にしか行けないことになります。やはり選ばれた会社は幸運なのだと思います。

 一生に一度有るか無いかの幸運な会社として選ばれたのだから、来ていただく以上毒蝮さんはじめその日集まった人達が皆幸せな時間を過ごすようなイベントにしたいと思っている。

 あだち異業種交流会のメンバーも大勢集まってもらいたい、勿論近所のお年寄り達も毒蝮さんから元気を貰って欲しい、この地域の人が皆元気を貰える様なことになってくれたら、楽しい時間が皆で共有できる。

 その後も毒蝮さんの目が足立区に向くような、毒蝮さんも足立区を忘れる事のできないような時間が作れないかとつい欲張ってしまう。

 

タイガーウッズが泣いた

 夕べから今朝にかけてジ・オープンを最後まで見た。一昨日自分がゴルフをやってきたばかりだから関心が深かったのだろう。日本人プレーヤが5位に入った、今までの日本人プレーヤーは期待を持たせ最後には崩れてガッカリさせたものが多いが谷原選手は最後まで崩れなかった。終った後のインタビューも喜びを表す笑顔が爽やかだった。それに引き換え優勝したウッズ選手は号泣していた。ゴルフと言う競技は個人、個人が自分と戦っている、相手を蹴落として勝つ他の競技と違ってじぶんの能力を最大限に生かすことが勝負の分かれ目になるので、その思いは皆それぞれで、終った後の感慨も皆違うのだろう。
 見ている日本人としては久しぶりに実力のある大柄の外国人の中で健闘した谷原選手を褒めてあげたい気になった。
 タイガーの涙は何を物語っているのか分かりませんが、あれだけの実力者が泣くにはそれなりの思いがあるのだろう。うれし涙には違いないが何に対してか、優勝は何度もしているのにあれだけ泣く姿は過去に見た事がない。
 国内の男女のゴルフツアーでも外国人プレーヤーに優勝をさらわれてしまった、大相撲も桧舞台を蒙古やヨーロッパの連中にさらわれてしまった。個人プレーでは外国人が強いものが多い、団体でないと世界には勝てないのかもしれない。
 農耕民族の持つ弱みかもしれない。それにしても最近の韓国人の活躍がゴルフや経済活動にも目立つ、人口的に見ても遥かに日本より少ないのによく頑張っている。あのヨン様が白金にレストランを開業したと言う、よくやるよと思う。

やすらぎの会

 今日は昼近くに我が家に帰ってきた、昨日のゴルフコンペはサニーカントリークラブといってリゾート風のゴルフコースで景色に恵まれた良いゴルフ場行われた。4年ぶりと言うが実質5年ぶりくらいでその間クラブを一振りもしていなかった。誂えたクラブとはいえやはりそうは甘いものではなかった。全くボールを思ったように打てない、4ホールほどダブルスコアが続きゴルフになっていない。ハーフを56回も打ってしまった。ただ1打2打とまともに当たったホールでバーディを取り、ちゃんとショットが出来ればクラブが運んでくれるのは分かった。午後には4ホール連続でオナーを取り、この分で行けば後のハーフは50を切る感じだったが一ホールで11回も叩くことがあり、結局は50をオーバーしてしまった。
 昔ビギナーで初めてゴルフ場でだしたスコアとくしくも同じスコアだった、やはりゴルは甘くない。少し打ち込んでやれば皆に追いつく気がする。
 金属プレス加工印刷を主体としたスリーエー工業の社長が社員一人と車を提供し、8人全員が同じ車で行き来する。昔なじみの顔がそろい遠慮ない会話を交わす宴会も楽しく、スリーエーの社長が提唱して私の復帰をきっかけに年に何回か会おうという事になり、会の名も「やすらぎの会」と命名された。
 金属オフセット、機械彫刻、バフ研磨、工業写真、自動車修理、当社とそれぞれ違った仕事で関連性のある職種の連中だが、皆この中小企業受難の時代を生き抜いてきている。同期の桜のような意識が知らず知らずに生まれ出ているのだろう。たまには息抜きするやすらぎの時間が欲しくなったのもうなずけるような気がする。私もこれから少しは息抜きに参加しても良いのではないかと思うようになっている。

 私は終戦間際に空襲で家を焼かれ信州の伊那に疎開していた時期がある。ホンの短い間だったが農村生活を余儀されなくなり、食べる物に不自由な時を送っている。その折、杏の木に登り杏の実を美味しそうに食べている村の子等に一つくらい分けて貰えないか頼んだが、疎開者を差別し、いじわるく一つとて恵んでくれる事などなかった、あの悔しい思いは未だに忘れない。ただ一人都会的な子がいて仲良くしてくれた子がいた。その頃道端になっている雑草の中に小さな提灯のような実を結んでいる草があって、その実がすっぱい味だが食べられるのを教わった。自分で見つけられるのが嬉しく一生懸命探したのを覚えている、今日その懐かしい実を佐久インター近くのお土産やで見かけた、試食したらあの懐かしい味そのままだった。60年ぶりの再会に感激して買い求めた、その実の名を皆に聞いたが誰も知らなかった。売り場で聞けばよかったものを聞き忘れてしまった。車中で皆にも試食してもらったが誰一人美味しいとは言わなかった。
 私が酢の物を好きになった原点のような気がしている、何故名前を聞かなかったか悔やんでいる。名も知らない

決定!!TBSのまむちゃんのミュージックプレゼントが来る

 昨日TBSのプロデューサーから電話が入り8月10日に大沢悠里のゆうゆうワイドのミュージックプレゼントで毒蝮三太夫さんが来ることが決定した。
 こんな事は一生に1度しかないイベントで、このチャンスを如何生かすかを考えてしまう。先月近所の未来クラブのメンバーの処へ来たとき家内に毒蝮さんの家名入りの「焚経香」を持って行かしたのがきっかけになったものだと思われる。
 折角お出でいただくのだから如何にその時間を楽しむかと言うのと同時にこの放送を通じて足立区には元気な中小企業があるという事を次々アッピールできたらと思う。
 私は「焚経香」開発で区の融資を受けた時紹介され知ったあだち異業種交流会「未来クラブ」の会長を今では務めている、交流会参加企業をリレー的にミュージックプレゼントが回ってくれる事をお願いしたいと思っている。中小企業にとっては辛い時代を如何生き延びるか悪戦苦闘している、そんな時の一瞬でも楽しい時間を共有できたらと思うからです。
 放送を聴いている人たちはいつも毒蝮さんの悪口を楽しませてもらっている。私も一番最初に浴びる悪たれ口を今から楽しみにしている。足立区の辺鄙とも言われる処の町工場へ足を運んでくれる毒蝮さんをはじめスタッフ一同も楽しく過ごせる時間を作り出せたらと考える。私の工場で働くそれこそ家内をはじめのババア連中も一生の思い出になる時間になってくれる事を期待してしまう。
 毒蝮さんは番組の中でもときどき「般若心経」を面白おかしく変な呪文と共に唱えることがある、これも何かの縁かと思う。当社の「焚経香」で「般若心経」が一番良く売れている。彼は「般若心経」を一番良く理解している人なのかも知れない、彼から頂いたハガキの中に色即是空とあった、その一瞬を楽しむ、感謝することを知っているからだろう。
 それにしても私は「焚経香」なる商品を世に売り出してよかったと思う、これがきっかけで毒蝮さんが来てくれるのだから。

 今日は4,5年ぶりで旧友たちとゴルフを楽しみに行く、5時には出なければならない。長野県の温泉で一泊してくる。ビギナーだった頃と同じような気分だ、毒蝮さんに負けないような悪たれ口を放つ奴もいる、その鼻をあかすのも楽しみだ。
 
 

デジタル難民を無くせ

 昨日はあだち異業種連絡協議会の役員会があった。持ち回り任期満了の私に換わってオンリーワンの小泉さんが会長に就任しての初めての役員会だった。諸々の案件の中で特筆すべきは連協のホームページの件で、これは私が会長だった昨年度のから引き継がれた案件で具体的に各グループからIT委員を2名ずつ選出しIT委員会を創設する事になった。
 e-ジャパン構想から始まったデジタル社会になってから久しい現在でも未だITをよく理解できていない中小企業が多い、廃業に追い込まれている中小企業は押しなべてITなどに全く関心を持たなく過去のシステム社会にしがみついていた所が多いのではないかと推察される。
 私たち未来クラブでは今月から例会は新しく出来たあだち産業センターの5階のIT支援室でパソコンを前にしての例会になっている。私はかねてから未来クラブの会員の中でもITを活用出来る、出来ないの2極化が気になっていた。同じ環境下にありながら情報を共有出来ないのでは、全ての構造が変化するこの時代に追てゆけなくなる事を危惧するからです。だから普段パソコンの前に座ろうとしない人達にも強引とも思える手法で座らせる定例会にしたわけです。
 くしくもオンリーワンにはITスキルを持った若い経営者達が参加し活況を帯びてきている、おそらくグループ内でもデジタルデバイドがあるに違いないと思う。折角デジタル技術を持っている新しいメンバーが入って地域振興を叫んでも、連絡協議会のホームページを飾る参加企業がなんら自社情報をデジタル化され活きていなかったら意味のないものになってしまう。
 今回の定例会に積極的に参加してくれたオンリーワンの岸田さんや村上さんが新しい異業種交流会のあり方を体現してくれたようで嬉しい。次回は他のグループの参加社も出てきそうだ。
 公器でもある足立区のホームページとリンクされる事になったが現状ではお粗末過ぎて返って足立の産業振興のイメージを悪くしてしまう。地域活性を願う者としてはデジタル社会でも生き生きとしていて欲しい。
 役員会後の各会長同士だけ初めての懇談会でも会長間の温度差もあり、時代認識の違いもあるのは事実だが、至近の席で意見を交換し合ったことで従来とは違った役所主導の連絡協議会から一歩脱皮したようで嬉しかった。
 その席上に我が社から携帯に連絡が入り、毒蝮さんのミュージックプレゼントを8月10に当社でやりたいとTBSのプロデューサーから電話があったと伝えた、今日改めて電話が来るそうだ。もし決まったら私は未来クラブによる地域活性を主題にし未来クラブを次々リレー出来るように出来たらと思う、はたして上手く行くかどうか面白い事になりそうだ。
 

忙中閑無し

 昨日は朝から晩まで全く隙間が無い位時間が無かった。多少長電話をしようものなら途中で何度も中断、「なんでもくん」の問い合わせ、納期返答、資料請求、購入希望、ホームページ製作打ち合わせ、新商品製作の商談、新会社設立への参加依頼、昼食しながらも開発商品「かたまるくん」の打ち合わせ等も含めて朝から晩まで人と電話での応対に終始した。
 どれもこれも中途半端な状態で相手には失礼してしまう場面が多く申し訳なく思っている。電話の途中でチョッとお待ちいただいて火急の電話に出て応対していると次の電話が入りそれに出てしまうと最初の電話を忘れてしまい、忘れている事を応対している客に教えられて、最初は何の話だかわからなくなってしまう。
 相手は真剣な話できているのに忘れてしまう軽率さが私の信用を損ねてしまうのではないかと危惧する始末で、どうして忙しくなるとあれもこれも重なるのか不思議に思う。
 昨日送ってもらう物がまだ付かない、彼方此方の部署を探したが見つからないとか、前日も忙しくて特に夕方発送するのにまにあわず探してもあるはずが無い。
 此のところ蕎麦屋の出前よろしく急ぎのものが間に合わなく今やってますとかなんとか誤魔化してしまう、こんな事は良くないと百も承知だが次々請求が来ると蕎麦屋の出前の気持ちがよく分かる。
 接客している間に次の客が着て待っている、アポ無しで来る客もいて家内が接客していた、肝心な事は私に相談したいので待っていたがあきれ返って帰ってしまった。
 未来クラブのメンバーも見積もり相談に来ていたがじっくり計算する時間が無く概ねの事になってしまい後でとんでもない見積もり違いになる事を恐れる。
 一人で何でもやりすぎていると思うが他の者に変わることが出来ないのが泣き所で人手があれば済むという事ではない、私の頭の中にあることを継承してくれる人材に恵まれてないだけの事、これも運のことだと思う。救世主が現れない限り救われない。
 ホームページの製作契約に来ていた3人の若い連中に冗談交じりに内へ来て一緒に仕事をやらんかと言ったら半分真面目な顔をして考えて見たいと答えていたが、本当に若い力が欲しいのは事実のことである。人材確保を真剣に考えなくてはならない時が来ている。
 本当のマネージャーが欲しい、良いマネージャーがソニー、ホンダを創り上げた。そこまで欲張らないが右腕が欲しいのは中小企業の何処でも同じだろう。

色即是空、空即是色

 昨日、毒蝮三太夫さんから再びお手紙を頂いた。相変わらずの達筆で文面にも優しさがこもっている。意味深長に「色即是空、空即是色」と今年亡くなったお友達があり、嘆きながらも感謝の気持ちを現しておりました。
 僅かな事に対しても真摯な受け止め方をする「まむちゃん」の人柄が人気を持続させている事がよく分かります。他人には中々出来そうでできないことを平気でこまめに実行する人格が一人づつのファンを魅了しているのだと感じられる。見習いたくても中々私には出来ない。
 あの小さな面積のハガキの中に達筆で短い文面の中で多くを語り表現する才能はやはり異能と言えるでしょう。にくたれ口を叩きながらでも人から愛されるのも彼の繊細なやさしさから来るものと窺える。
 私に限らず多くの人に同じ様に接しているに違いない、字が書けると言うのも素晴らしい、あいだみつをさんに匹敵する物を持っていると思う。あいださんは人の幸せは人と人の出会いから始まると言うけれどまさしくそのとおりだと思う。
 毒蝮さんの38年に及ぶ毎日の人との出会いが仕事ではあるけれど彼を大きくしていったに違いない、肉厚の人生を送っている。一葉のハガキでこれほど人に何かを感じさせるものを持っている、素晴らしいと思う、彼は昨日も一人の人間を幸せにしてくれた。
 私も毎日仕事を通じて色々な人との出会いがある。はたして私はその人達を幸せにしているだろうか、この一枚の手紙が色々な事を反省させてくれている。一つづつの仕事が人を幸せに導いているだろうかと考えなければと気付かされる。いつの間にかこの仕事は自分が幸せになるかどうかとばかり考えてしまう人間の小ささを自戒する。自己主張が目立つこの時代だからこそ相手の幸せを考えなくてはならない。

 今日はどんな出会いがあるだろう?続きを読む

久々のゴルフ練習

 私が初めてパッド印刷と関係持ったのは今から30年ほど前の事だった。開業して間も無く御徒町の新富ゴルフと言うゴルフショップに飛び込みで営業した。たまたま昭和通を車で走っていたとき耳にしたのだが、当時ゴルフショップとしては珍しくラジオでコマーシャルをしていた。偶然目に留まった看板を見るなりこの会社は伸びると直感したから思わず飛び込んだ。
 若い企画課長の意気込みを感じ、面白い事になるなと感じたものだった、畑は違うが営業マンの直感と言うものだ。すぐシントミゴルフと改名し御徒町駅に近いところに5階建ての新社屋を建てた。新店舗だから面白いように毎日色々な仕事が発生した、図々しくも印刷など大して経験も無いのに何でも引き受けてきた。その内ゴルフボールに当時少し名の売れていたプロレス上がりのタレントの顔のイラストを印刷して欲しいと依頼があった。
 偶然江北高校の先輩でプレス業を営んでいた所へ銘版の抜き加工を頼んでいた、彼は理科大卒で特殊印刷の情報を結構知っていた。彼に教えられて平井のパッド印刷屋を訪ねたら、気持ちよく請けてくれた。綺麗にデコボコした所に絵が入っている、面白いなと感じたが未だその時は自分でまさかパッド印刷に手を染めるとは思っても見なかった。
 次々とシントミゴルフは新店舗を増やしてゆくので面白いように仕事が増え売り上げも伸びていったが、売り上げを増すたびに新商品を付き合いで買わざるを得なかった。付き合いで買ったゴルフセットはゆうに100セットは超えたろう。低重心やらステンレスヘッドなどいつもシントミゴルフは他の業者に先駆けて開発していた。川奈ホテルでの年1回のゴルフコンペなど華々しく、当時のゴルフファンにとっては垂涎の的だったようで親しい仲間などよく誘ってやって喜ばれたりしたもんだった。
 人にあげたり時には売ったりもしたが当社にはゴルフセットがゴロゴロしていた。4年ほど前に思うところがあり、引越しを境に全て廃棄してしまい、信用金庫のゴルフ会の会長なども辞めてゴルフとは完全に縁を切っていた。
 以前バブル真っ盛りの頃、よく腕を競い合った川口方面のゴルフ会でまあ仕事仲間とも言える連中が久し振りにゴルフ旅行に行くのだが丸さんの顔がないと淋しいとか何とか言われて、また家内にも少しは運動をしたほうがいいんじゃないかとも言われ重い腰を持ち上げた。
 付き合いのあったゴルクラブメーカーに頼んで私に合ったゴルフセットを作ってくれと依頼してあったのが昨日午前に仕上がっていた。それを持って早速に西新井のゴルフ練習場に行って試打した。まるでビギナーのような気分で1っ球目を打った、ダフッてしまった。やはり肩に力が入りビギナーそのものだった、が3球目くらいから当たりだし気持ちよいようにボールが飛んでゆく、つぎつぎクラブを変えて打っていったがまずまずの感じだった。下手さは殆ど変わっていない、練習嫌いの私が珍しくカードに入っている分の166球を全部打ち終わった。
 今週土曜日には軽井沢で口の悪い連中とゴルフだが夜の宴会がこれまたかつてそうだったように抱腹絶倒の面白いものになるだろう。
 
 

久しぶりに電車で墓参り

 昨日は午前中に久しぶりに徒歩で青井駅まで行き、北千住で千代田線に乗り換え根津で降りて根津権現裏の急な坂を歩き登り願行寺にたどり着いた。その昔は1時間はゆうに掛かったが今では30分位で行ける。
 途中の傾斜の強い斜面に確か子供の時からあった古い家が残っていた。昔は随分洒落た家だと思っていたが今でも健在なのが嬉しかった。
 蒸し暑さは前日と同じだったが日差しが無いので汗をかきながらもへたる程ではなかった。昔おふくろが日傘を差し私の手を引き、登った同じ坂道を何年振りかで歩いた。昔はお寺の井戸水が冷たく夏の暑い日ざしをさえぎる境内の木々が涼しげだった記憶が蘇った、震災、戦災を乗り越えた古い本堂が威風を誇っている。近所の立て替えてきらびやかになっているお寺より日本の文化、伝統を守っているようで貫禄があり誇らしい。私の父、そのまた父、そのまた父と何代もこのお寺に来ていたのだろう、ところが今のところ私には男の子がいなく、兄弟にも男の子が無いので私の代で丸山は終る。
 帰りは御徒町まで4年ぶりでゴルフに行くので靴を買いに行った。アメ横のゴルフショップで物色したが、立ち並ぶゴルフクラブの顔が随分変わってきている。今売られている靴で一番軽いのを探したが270グラムが最低だという、履いてみたら本当に軽い。
 昼近くなったので家内も気に入っている天麩羅屋に行った、此処の江戸前の天麩羅はかるくて胃や腹にもたれないので昔から時折行く、客は馴染みのような人が多いのだが、昨日は私らかそれ以上のお歳を召した5組の老夫婦ばかりで若い人が一人もいなかった。見事高齢社会を象徴するかのようで何かうら寂しい。
 近くの酒悦に寄り福神漬けとその他の漬物を買いに入った、此処も年寄りの姿が目立つ。昔から彼岸やお盆の帰りにお袋がよく立ち寄った所でもある。
 酒悦の福神漬の謂れが色々あるが、私が小さい頃おふくろに聞いていたのが、お盆の飾りに茄子、胡瓜で馬や牛をつくる慣わしがあり、その飾りを盆が終った後川に流す風習が最近まで有った。その流された野菜や果物が勿体ないと酒悦の何代目かの主人が漬物にして売り出したところ評判になり、おお流行したと話していた。
 未だ日が高くたっぷり昨日は時間があったので隣の鈴本によって寄席を楽しんだ。聞き覚えの無い芸人が多く、はたしてどれほど笑わせてくれるか不安もあったが、安に相違して結構達者な芸人が多く楽しめた。
 上野の山下には昔から似顔絵画きが大勢いいたがどういう風の吹き回しか描かせてみようと思いかなり年取った絵描きの前に座った。70をとうに過ぎている人で絵などを書いていて所帯を持つことなく母親が心残りがたくさんあるといって2年ほど前に103歳で亡くなったという、未だに親不孝を悔いているという。
 出来上がった絵を見たが何処か似ているようにも見えるが何か別の人を見ているようであまり器用な絵描きさんには見えなかった。油絵が専門だと言っていたが一日何人くらい書くのは明かさなかった。10人も書けばよい収入にはなる、あれくらいだったら自分でも画ける。いよいよ食えなくなったら似顔絵画きでもやるか。

 
 
 
 

お盆になると思い出す話

 私が子供の頃はお盆と言うと赤い色した子供用の提灯が売られ、普段火を扱う事など許されていないのにこの時期は蝋燭に火をつけて、しかも暗くなってから表で遊ぶのを許されていたので心なしか楽しい行事になっていた。今のように街灯も少なく夜は暗く提灯の明かりで足元を照らしながら子供同士が隊列を組んで「お盆の提灯ヨイヤサノサ」とか何とか声を出して夜の暗闇を楽しんだ。提灯の買えない家庭の子などは缶詰の缶に釘を立てそこに蝋燭を立て「がんどう」風にしたてた、これが結構スポットライトのように明るかった。そのうち年長の子はほとんど「がんどう」を持ち小さな子が提灯を持ち近所の遊び場のお稲荷さんに夜の探検をしに行った、ロウソクの火が断って新しいロウソク火をもらうために横にしたときに提灯本体に火がついてしまい提灯が燃えてしまって泣き出す子も時にはあった。
 昔は近所に10人以上は遊び仲間が居たのでベーゴマやメンコ、ビー玉で遊んだが女の子もお盆の時は一緒に遊んだ。少しお金のある家の子は子供用のユカタなど着て
お盆の風情をかもし出していた、私なども少しお金の余裕が出来るようになったときユカタを作ってもらったが本当に嬉しかった。小学校5,6年になるとユカタなど着ているのが幼く見え、着ることなどなくなってしまう。
 近所には結構子供が多く紙芝居などが来ると20人くらい集まるのも不思議ではなかった。私達が2,3年の頃に生まれた子達が今で言う「団塊の世代」と言われている。子供達の世界でも序列が有り年長者が上手く取りまとめていた、近所の子等の仲間意識などもあり提灯行列など楽しかった思い出がある。今は全くそんな風情は無く淋しい限りだ、物の無い時代に人が多く増え、物が有り余る時代に人が減ってゆく、時代の流れを感じざるを得ない。
 今日は東大近くの菩提寺「願行寺」に墓参りに行こうと思う。昔はおふくろに手を引かれ千住車庫から都バスで御徒町まで行き、都電で根津まで行った。急勾配の坂を上がり焼け残った根津権現の裏あたりの風情が好きだった。時には地下鉄の根津から歩くが新しい家が多くなり昔の趣が無いのが淋しい。
 8月の旧盆を向かえ今以上に忙しくなる事を期待したい、此のところ毎日「焚経香」の出荷がある。パッド印刷をやっていて良かったとご先祖様に報告に行く。
 

健康の元は情熱

 情熱とは24時間思い続けることを言うらしい、寝ても起きてもそのことを考え続ける事だと稲盛さんは言う。そうする事により願望が潜在意識にまで浸透し、自分でも気がつかないうちに、願望実現への行動をとり始め、今より遥かに大きな仕事が出来るようになると言っている。強い情熱は成功をもたらしますが私利私欲に端を発したものは長続きはしないとも言っている。
 私は此のところ寝ても起きても「なんでもくん」と「焚経香」の事を考えている。機械を販売する会社がお線香を売るという整合性に欠けることを考えている、どちらか一つに絞るべきだという人がいるような気がするが、どちらも私が長い間培ってきた印刷技術によって産み出されたもので可愛くてしょうがない、どちらも手放したくない娘と息子のようなものである。
 「なんでもくん」で事業を大きく変えて成功している人もいる。「焚経香」を販売して成功しているお香屋さんもいる。どちらもただ購入して使っているのと言うのではなくそこには私が考える以上の使い方やアイデアを生かしている。
 「なんでもくん」と「焚経香」の二つの事を考えているからか退屈しない、また楽しくてしょうがない、次々ああしようこうしようと思いつくのだが、いぜんより変わったのは直ぐやって見る事が出来るようになった。その結果が人を楽しませているという事実があるので続けていられるのだろう。
 色々な企業から、アクセサリー用の石、証書入れ、ボールペン、ストラップの木札、電球のソケット、乾電池の被服への印刷、アクリル整形品の香水ミニュチュア等この1週間で「なんでもくん」での試作依頼が来ている、皆「なんでもくん」で本当に出来るのかどうかを確かめてみたいのだという。結構それぞれ冶具を作らねばならなかったり、版を作ったり面倒が掛かるがその分「なんでもくん」が売れてゆく事を考えればめんどくさいともいっていられない。
 今日中にこれらを仕上げたいと張り切って会社に行く、夕べも下駄ストラップがどうなっているか2軒ほどボトルの状態を視察に行った。結構また遅くなって帰ってきた、今朝は6時半まで寝ていたのでブログを書くのが遅くなった。
 それでも朝食が美味い、田中さんの言葉が思い出される、

今日もお仕事 びんぼうごくらく オマンマうまいよ 長生きするよ

好きなことを楽しんでやっているのが健康の元だと思うようになってきた。
 

やっと来た見積もり依頼

 昨日は会社に着くなり席に着かずに樹脂版をプレス加工を依頼するため昨夜1時頃まで一緒だったザオー工業さんへ行った。40ミリ角の樹脂版の在庫が切れてしまったからだが、一度席に着くと次から次へとやる事があり、在庫の事など忘れてしまい顧客からの依頼で気がつくと言う在庫管理の不味さが露出してしまう。

 早く社員を入れなくてはと思うが8月のお盆を過ぎてから検討しようと思う。今はギリギリ間に合ってはいる。

 ザオーの社長にあれからもう1軒ハシゴしたと言ったらあきれ返っていた。心配して栄養ドリンクなどを出してくれたが、別に体が要求していないので呑み忘れてしまった。自分でも不思議だが2,3時間寝たら疲れなどすっきりしてなんでもなく朝飯も美味い、帰ったらタイミングよく奈良のゴルフ場からの「なんでもくん」の問い合わせの電話が入った。

 私が一番待っていた業界からの問い合わせだ。「なんでもくん」を売り出したとき最初に思ったのがゴルフボールへの名入れサービスだった。ゴルフ場からの問い合わせが一番多いかと思っていたのに今まで全く無かった、ゴルフ場関係者はネットを見ていないのかと思ったくらいだった。説明に心が弾んで得意になって説明した。メールで2質問ばかし入っていたので今返事を書いた。

 来週の土日は泊りがけで軽井沢にゴルフをやりに行く、4年ばかりゴルフを断っていた。全くのビギナーになってしまったと思うがゴルフ道具を捨ててしまったので買いに行かなければと思って1月経ってしまった、買いに行く暇がなかなか無い。今日はとにかく時間の隙を作って行こうと思っている。これも定かではないが特許庁から自宅に何か書留が来ているらしいので北郵便局に行く、そのときを利用して竹ノ塚のゴルフクラブメーカーに寄ってやろうかと思っている。手に合う道具が見つかるか楽しみでもある。この3連休の内一度位練習場に行きたいが根が練習嫌いなのでぶっつけ本番になるかもしれない。

 40年ほど前初めてゴルフ場らしいところへ行ったのが奈良万葉と言うゴルフ場だった、それまでは淀川の河川敷の樟葉国際と言う処だったのでゴルフ場の綺麗な事に驚きを覚えた記憶がある。その奈良からの問い合わせなので嬉しさが格別だ。

「般若心経」の注文が多いのも通販が上手く言っているようで嬉しい限りだが、今日来て明日には欲しいと言う注文が増えているので対応が厳しい状態にはなってきた。

昨日は初めての試みパソコン定例会

 毎朝起きる時間近くに帰宅したのでブログを書くことが出来なかった。毎度未来クラブの定例会後の懇親会2次会で帰るのに一人3次会まで行ってしまった。メンバーのミユキさんが和風花の下駄ストラップを名前入りで持ってきてくれたので行き付けのすし屋のボトルに付けたくて寄った。来ていた客に見せたりして評判を聞きたかった、案の定好評で皆欲しがっていた。よく行くカラオケスナックのマスターが客と一緒に来ていたり、顔なじみの客が居たので盛り上がって4時近くまで飲んでしまった。
 7時に起きたので昨夜未来クラブの定例会で伝えておいたメールをMLには投稿した。メールの講習をし全員MLへ返信をする約束だったがまだ来ていない人がかなりいる。パソコンを前にした定例会、他グループの参加はそれなりの意義があったと思うが、直ぐに効果を期待するのには無理がありそうだ。
 今日もこの時間になるまで客が居た、なんだかだ全てを遣りつくしたわけは無いが今日は盆の入りでお迎え火を焚かなければならないので帰ることにする。

「焚経香」の使用方法とセールスポイント

 昨夜、互助会、葬儀社への販売を任せた取引先の営業担当から「焚経香」の使用方法、セールスポイントをまとめて欲しいと依頼があり、今朝のブログは「焚経香」の説明に終始する事になってしまった。自分で開発した物だから自分の思いをこめている、ある意味自分勝手なものだと思うが、私の思いに共鳴してくれる方々に購入して欲しい、1億全ての人に購入されるものとは思っていない。

使用方法

1.進物として:

 お付き合いしている、あるいはお付き合いしようとしている方への贈り物、返礼品として使用する場合、先方の宗旨に合った念仏、題目、唱名などを選んで贈ります。分からない時は「先祖代々供養」や「般若心経」を使用します。特に先方にご不幸があった時や年会、法要がある時の進物としては最適です。先方の「家名入り先祖供養香」や事前に戒名を調べて贈る「戒名香」は想像以上の感銘を受けられるものです。

2.個人が自己使用の場合:

 毎日のご仏前での焼香に自家の宗旨に合ったものを使います。

或はご命日や法事の時のような特別の日に使用する。また、自分の特別に祈願するものがある場合や心に強く何かを思う時に通常使っている線香と区別して使う。

3.寺院、法人、宗教団体の場合:

 自寺院名、自社名、自団体の銘などと共に宗旨、主旨を刷り込んだものを使用します。

セールスポイント

 使用方法と共にいずれの場合も仏教的な環境や仏心をもつ方への心の安らぎを贈る、得るものとして感動される商品です。

 特に特注品として細い線香1本づつに金色の文字で経文、祈願文、お戒名、寺院名、家名、社名などが印字され、荘厳なイメージを持つオリジナル線香として贈答品を差別化することができる。

 通常、常識的には印刷はイニシャルコストが高く、少量の場合相当のコスト高を招きます。安心堂の開発した印刷システムが他社には実現不可能な短納期で低コストの商品提供を実現しました。

 仏心や宗教に関係なく8月の盂蘭盆会での故郷への民族移動、春、秋の彼岸日に見られるように日本人のご先祖様に対する感謝の念は共通しております。日常的な贈り物としても相手や自分のご先祖を大切に思う方々には心の贈り物として最適なものです。

若い人に教えられるものも沢山ある

 今売れっ子の作家に浅見帆帆子さんと言う人がいる、本名だそうだが私の半分も生きていない、私の末娘より若い。そんな彼女が色々出版しているが読む者をホッとさせるものがある。彼女の言っている事は般若心経に通じるものがあるように思えてならない、あるがまま、おまかせの境地を言っている。彼女も作家になろうとして作家になったのではなく、時の流れがそうさせたようです。

 大体世の中自分で思ったとおりになる事は少ない、思わぬ方向へ流されるのが常だと思うが、その人の感性が世の人達とどう共鳴するかで本や物が売れたり売れなかったりしているようだ。

 先々週「なんでもくん」を購入しに来てくれた会社の社長が8日の知人のお別れ会に家名入りの先祖供養香を持っていかれたようだったが、昨日その線香を贈られた方からお礼の電話が入った。そしてパンフレットが欲しいと言う、自分も人に贈って差し上げたいという。

 自分の作った商品が人の感動を呼び起こしていると思うと今までの諸々の嫌な思いや辛い思いが全てすっ飛び、幼い表現だが「やったあ!!」と思わず叫びたくなる衝動に駆られた。休みを返上してやった仕事がやり直しになるかもしれない、暗い予想でさえも全然辛いものにならない、インキの選定を誤ってしまった反省も大した問題に思わなくなる。

 人間の気持ちなど結構いい加減なものだと思う、よい事があるとつらい事など何の苦もなくなる。人に喜ばれたり褒められたりすることが有頂天にさせる。私など子供の時から大人を驚かせたり、褒められる事を追いかけていた。

 ストレスに苦しめられている人が多い、ストレスが多くの病気や事件を起こしている。嫌な思いの連続がストレスになり、血液の流れを悪くする。良い思いが血液の流れを良くする。

 私はストレスと言うものが無い、なぜなら嫌な思いを直ぐ忘れ、人を楽しませる事しか考えないからだと思う。血液検査でも眼底検査でも悪いデータが何一つ出てこない。ストレスが無いから血液の流れが良いのだろう。

 若くして成功している帆帆子さんが言う様に自分が今できることは何だろう、やりたい事は何だろう、高齢になって成功している平櫛田中さんのように自分がやらなければ誰がやる、老若関係なく同じような事を言っている事からも人と言うものは昔も今も大して変わらない。

若い人に教えられるものも沢山ある

 今売れっ子の作家に浅見帆帆子さんと言う人がいる、本名だそうだが私の半分も生きていない、私の末娘より若い。そんな彼女が色々出版しているが読む者をホッとさせるものがある。彼女の言っている事は般若心経に通じるものがあるように思えてならない、あるがまま、おまかせの境地を言っている。彼女も作家になろうとして作家になったのではなく、時の流れがそうさせたようです。

 大体世の中自分で思ったとおりになる事は少ない、思わぬ方向へ流されるのが常だと思うが、その人の感性が世の人達とどう共鳴するかで本や物が売れたり売れなかったりしているようだ。

 先々週「なんでもくん」を購入しに来てくれた会社の社長が8日の知人のお別れ会に家名入りの先祖供養香を持っていかれたようだったが、昨日その線香を贈られた方からお礼の電話が入った。そしてパンフレットが欲しいと言う、自分も人に贈って差し上げたいという。

 自分の作った商品が人の感動を呼び起こしていると思うと今までの諸々の嫌な思いや辛い思いが全てすっ飛び、幼い表現だが「やったあ!!」と思わず叫びたくなる衝動に駆られた。休みを返上してやった仕事がやり直しになるかもしれない、暗い予想でさえも全然辛いものにならない、インキの選定を誤ってしまった反省も大した問題に思わなくなる。

 人間の気持ちなど結構いい加減なものだと思う、よい事があるとつらい事など何の苦もなくなる。人に喜ばれたり褒められたりすることが有頂天にさせる。私など子供の時から大人を驚かせたり、褒められる事を追いかけていた。

 ストレスに苦しめられている人が多い、ストレスが多くの病気や事件を起こしている。嫌な思いの連続がストレスになり、血液の流れを悪くする。良い思いが血液の流れを良くする。

 私はストレスと言うものが無い、なぜなら嫌な思いを直ぐ忘れ、人を楽しませる事しか考えないからだと思う。血液検査でも眼底検査でも悪いデータが何一つ出てこない。ストレスが無いから血液の流れが良いのだろう。

 若くして成功している帆帆子さんが言う様に自分が今できることは何だろう、やりたい事は何だろう、高齢になって成功している平櫛田中さんのように自分がやらなければ誰がやる、老若関係なく同じような事を言っている事からも人と言うものは昔も今も大して変わらない。

東京のお盆が近い

 昨日は先週遣り残したローソン向けの仕事をしなければならなかった。気安く請けた仕事だったが思いのほか面倒で場内のパートさん達ではこなしきれなかった。今日の午前まで仕上げないと納期が守れないので泣き付かれてしまっている。一昨日から印刷方法を変えてやっとパートさんでもこなせる方法を作り上げた。今日の午前には取りに来ても大丈夫なので残り時間をチラシ製作の為のサンプルつくりに時間を割いた。
 先日毒蝮三太夫さんから色紙と礼状をいただいたのでそのお返しに2,30分ほどで毒蝮さんのご先祖供養に「焚経香オリジナル」を作った。お礼状の内容からして毒蝮さんの仏様へ心が窺えたので、東京の盂蘭盆会が近いから今日にでも送って差し上げようと思う。喜ばれるかどうか分かりませんがご先祖様への感謝をこめた文言を入れて一本づつに毒蝮三太夫と名を入れて印刷してみた。
 とにかく戒名香といい家名入り先祖供養香といい簡単に作れるのが楽しくてしょうがない、いづれ彼方此方から注文が入るのが楽しみだが本当に需要が掘り起こせるかが問題だ。取りあえずもらった人は皆喜んでいる、新しい進物としての地位が獲得できるかどうかが一番重要なポイントになる。
 
 

竹ノ塚百景が「出没アド街ック天国」で映った

 昨夜東京テレビの「出没アド街ック天国」と言う番組で竹ノ塚が特集された。竹ノ塚駅の側の開かずの踏切が特集された事が先ごろあったが、この踏み切りもいずれは高架になるだろうが良い記事ではなかったが、今回は面白いワイド番組でよかった。
 下層社会うんぬんで悪いイメージを喧伝されたばかりなのでこのような番組を通じて足立区って結構面白い所だと良いイメージを放送されるのは気持ちが良い。
 足立区出身や所縁のあるタレントが出演し、面白おかしく1時間番組を充実させていた。私らも程近い所に住み、知っている所や気が付かないでいたところも紹介され嬉しかった。番組途中でチラッと我が未来クラブのメンバーが主幹する「竹ノ塚百景」が紹介された。話題性のある店舗、施設がふんだんに有るのでこのタウン誌はますます発展するに違いない。
 足立区出身のタレントはタケシをはじめ結構多い、この番組に出ていた雛形と言うタレントなどは当社のある側の団地出身だと聞く、布施博と言うタレントも同じ団地出身で親しい同級生のやる飲み屋ちょくちょく飲みに来るらしい。亡くなった小渕総理大臣が足を運んだりタレントが時たま来る焼肉屋も竹ノ塚ではないが紹介されていた。決して地の利の良い所ではないが商売のやり方次第で行列を作るところがままある。他人の心を打つ商品を提供しているところは繁盛している。
 行政におんぶ抱っこを期待しているような商店街は殆ど寂れているが、特徴のある店舗は繁盛している、自助努力が如何に物を言うかである。大企業に学ぶものは多い、大企業の殆ども最初から大きかったわけではない、小さな業態から自助努力で大きくなった所が数多くある。
 
 当社には全国から色々な企業が来るが押しなべて足場の悪い所だと感じているようだが、大体地方から来る人達は自分の在所と比べると足立区の不便さなど問題ないなどといってくれている、来年にはモノレールが日暮里駅から通じるので一層分かりやすくなる。
 
 
 
 

JITジャストインタイム)はかんばん方式

 「富の未来」で言う同時化産業の一例がトヨタの採用した「かんばん方式」である。物凄いスピードであらゆる世界が変化している、トフラー氏の変化のスピードランキングが当を得ていると思うし面白い。トヨタのJITが世界の自動車業界を席巻しているのはうなずける。それに引き換え政治の世界の変化のスロースピードは下手まごつくと日本の将来を危うくする。しかし最近の滋賀県知事選挙の結果が政治社会の変化を現しているようで一抹の安堵感を持たせてくれた。従来的政治手法が圧倒されてしまった、日本人にも変化を容認する気配が有ったようで嬉しい限りだ。
 私はお線香の世界にJITを持ち込もうとしている、「焚経香」をジャストインタイムでスタイルを変えられるようにした。細い線香に「○○家先祖代々供養」と刷り込んだり、「先祖代々供養 丸山寛治」「南無阿弥陀仏 丸山寛治」もっとくだけて
「ご冥福をお祈りします 丸山寛治」「合格へお導き下さいご先祖様」とか諸々の文言を線香へジャストインタイムで刷り込むことの出来るシステムを構築した。
 果たしてどれほどのニーズを引き出すかは未知数であるに違いないがやってみなければ分からない。印刷がもたらす付加価値の実験に他ならない。
 昨日、小泉首相の菩提寺でもあるお寺から「南無大師返照金剛 知足山 ○○寺」と言うプリント依頼があり50個ほど印刷した。お布施の返礼に使われるものと思うがどんな反響がその注文を受けてきた人が感嘆していた。
 同じ区内に住む人からヤマトコレクトで「般若心経」を3箱送ってくれと注文してきた、「定年時代」の記事を見てきたらしい、勿論進物にするのだと言う。小口の注文でも充分仕事にはなる。線香と自動車とでは月と浜辺の砂位の差はあるがジャストインタイム即日発送できる。

 来週は未来クラブの定例会がある、パソコンを前にした定例会で参加者全員でインターネットを楽しみながらITスキルの上達を目指す会になる。オンリーワンからの参加者も3人ほどある、この3人はITのスキルを充分持った若い人達でどんな3時かを共に過ごせるか興味が尽きない。オフで未来クラブの書記のミユキアクセサリーの小沢さんと打ち合わせているくらいだから本気であろう。それぞれが持つITへの取り組み方や経験がお互いを刺激し合い、より新しい異業種交流が生まれ出るのかどうか楽しみでもある。かつてないこの若い人達との交流が従来的なものを越えて新しい出発点になるかもしれない。本当の意味の足立区産業経済のポータルサイトを協力し合って作れるかもしれない。

 
 

自分が満足できないものは他人も満足しない

 当社の女性スタッフが中々帰宅しない。昨夜私はあるビジネスモデルに興味を抱き売り込みの営業マンと対談していた。夕刻6時頃から私は仕事をこなしながら話しをしていた。彼と話しをしながらでも電話で仕事依頼が来る、ラグビーボールに印刷したいと言う依頼だった、勿論出来ると返答したが、データをメールで送ってくれれば直ぐ製版してテスト刷りを今すぐにでもして差し上げられると返答した。先方は大喜びでデータを送ってきた。接客しながらそのデータをプリントアウトしホンの数分中座し製版を終えてしまった。そしたらそこへ再び同じ事を依頼する電話が入った。同じ仕事が他社から全く異口同音に入ってくる、急ぎの仕事だから何社にも振っていたのだろう、もう製版が終っている由を伝えたら、申し訳無さそうに電話を切った。
 という事は些細な仕事でも間に合わせなければ仕事にならない現実が人を動かしている。来週の日曜日にはラグビーのイベントがあるのだという、短時間で印刷をしなければならないのにそれに応えられる印刷所が身近な所にないのだろう。
 そんな時のために当社の「なんでもくん」を持っていれば全て解決してしまうのに。20分位したら再び電話が入り送ったデータより少しでも大きめに印刷したいとユーザーが言っていると言う、もう製版が終ってしまっていると答えたら驚きの声を挙げていた、結局今日ボールを持ってくるという。
 当社にはよくあることで過去には3社から同じものの問い合わせがあったことがある。行き着くところが我が社だという所が面白い、それを断らないで請けてしまうのが悪い癖でとんでもなく忙しい事になってしまう、場内から非難の声が出る事もあるが「これが我が社の生命線だ」とかナントか格好つけて言っているが、本当は未知の商品に当たるとやってみたくてしょうがない私の趣味的な関心のほうが強い。
 接客しながら仕事をやるのも失礼も無いもんだと思うが、先方が売り込みに来た側だからどうぞどうぞと話の中断を快く待っていた、と同時に驚いていた。その間に何度も我が女性スタッフは試作した線香の印刷を持ってくる、どうも気に入らないらしい。私は常日頃「貴女こんな印刷がしてあるものを高いお金を使って自分が買うか?」と聞くことがある。
 自分が気に入らないものは他人も気に入らないだろうと常に思っていてくれるところが嬉しい、版を作り変えていい印刷が出来た。製版も全て当社は女性がやる、時計は既に8時近くを指していた。家の食事のしたくはどうなっているのだろう、またコンビニ弁当になってしまうのかと少し気の毒に思うが、「社長気にしないで私この仕事が好きでやっているのだから」と印刷の仕事の魅力に惹き付けられている、私と同じ楽しさを味わっている。
プロフィール

パッド印刷の伝道師

なんでも印刷日記
今パッド印刷に革命が起ころうとしております。
私のパッド印刷機は「なんでもくん」と言います。
形のあるものでしたら何でも印刷できるからです。
誰でも何処でも素人がまるで印刷職人のようになれる。
ある人は曲面の魔術師とも称しております。
興味のある方は安心堂の丸山に連絡下さい。

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