なんでも印刷日記

パッド印刷って何だろう?曲面印刷って何?身の回りにある物にはほとんど印刷がほどころされている、どうやって印刷するのだろう? そんな疑問に答える日記です。 最近このブログを読んで印刷の体験の無い方でも名入れ印刷のプロ並の印刷を体験する方が増えてきております。 形のある物何にでも印刷できる楽しさを仕事に生かしています。 長年の印刷経験から生み出した手動式パッド印刷機、文字入り線香などの技術が認められ19年度「足立ブランド」として区から認定されました。全国各地から手動式パッド印刷機「なんでもくん」の研修者が年々増え続けています。  

UV印刷の凄い所5

 昨日は未だ取引は始まっていない企業ですが、ある軽量カップに塩素に絶対負けない印刷が欲しいと相談を受けその時たまたま印刷していたUVインキを印刷してあげた。持ち帰り取引先に提供した所2日間塩素に浸漬していたところ、PPのカップがへたり始めたのに印刷した文字は全くビクともしていない結果が出た報告があり、早速見積もり書を出してくれと言う。円錐形の軽量カップの円周両面に印刷をしたいとの指示で、また一工夫が必要になる。シルク印刷でも出来るが乾燥を考えるとやはりパッド印刷になる。UVインキによるパッド印刷は当社の特徴でもある、20年以上UVパッド印刷を経験しているのは私以外いないだろうと自負しているが、あまりにも特殊すぎてその需要が少なく業績に寄与することはあまりなかった。が、今やVOCを排出しないUVインキはその需要が増えてくることは必至だと思う。UVパッド印刷機と乾燥機は今区の助成を受けて開発中である。環境負荷のないUVインキが陽に当たる時代が来ると思う、今はその開発に苦労しているが皆に喜ばれる時を信じて挑んでいるが経済的に零細企業には厳しいものがある。日夜食べてゆく仕事をしていながらやるので捗らない、完成まであと数歩必要である。
 明日は足立区の高校生が授業で来るが、儲からなくても面白い仕事が一杯あるよ、とものづくりの楽しさを理解して帰ってもらえたらと思っている。

豚の角煮をつくったら孫達が喜んで食べてくれた。5

 家内がハワイに行っているので近くに住む娘が孫共々慰問にと泊まりに来た。ネットで豚の角煮の作り方を見て作ってみたが、前の日から仕込んでいたので柔らかく出来上がっていて孫や娘も美味いといってよく食べてくれた。オクラのスープを作りそこへ大和芋をすり鉢で当たってうどん粉を入れて縮緬雑魚を入れて団子を作り、先日那須で買ってきた味噌で薄味を付けてスイトンのようにしたらコレが結構いけた。娘も健康食そのものだといって褒めてくれた。沢山作ったので今朝はそれを朝食代わりに食べたがうまさは変わっていなかった。
 昨日は午前中にイクスピアリに誘われたが、昼から会社に行くので断った。近くに住む30年来の付き合いのあるプラスチック加工屋の娘さんがアメリカから帰国していてお土産に家族の名入れしたゴルフボールを持って行きたいと言うので、「なんでもくん」のゴルフボール印刷用キットで4人分の名前を各6個づつ印刷をしてやった。1時間も掛からないで出来てしまうところが凄いと自画自賛しながら持って行ってやったが、その喜びようはなかった。クリスマスのプレゼントにすると言っていたが、小学生のころから知っている娘さんが外国人と所帯を持った不思議もあるが、心が既に向こうに飛んでいるようで少しわびしさを感じた。女性は昔から何処へでも行って逞しく住み着くことが出来る、男親が心配することではないようだ。
 今日は朝から監視カメラの固定シャーシーにパナソニックと印刷する仕事をパートさん達だけで仕上げなければならない、家内が居なくても皆張り切ってやってくれているので頼もしい、責任感をもって仕事をするのが楽しいらしい。人はいつでも主役で居たいのだと思う。他の人達は中国から里帰りした仕事に追われている。

競争の激しい時代、自分の商品を差別化する方法の一つがパッド印刷

 昨日は「なんでもくん」購入企業の社長含め社員4人に製版から印刷まで研修した、休みなので電話、来訪者が少なくじっくり説明できた。パソコン操者、印刷操者、営業担当それぞれが真剣に話しを聞き充分納得してある種の感動を持って帰っていった。デザインに自信を持っている社員は水を得た魚のように生き生きとした目をして、自分のオリジナルの物が実現できる喜びをあらわにして帰っていった。自社製品をあれこれ持ってきたがどれにも簡単に印刷できることを知り、あのしてやったり
という目が印象的だった。今はどのような商品でも競争が激しい、他社製品に対抗する手段をいつも考えなければ売り上げは伸びない。今までオンネームを頼まれていたが小ロットのため断っていたものが多いそうだ、「なんでもくん」を導入することで多くのユーザーにオリジナル商品として納入できる、あの勝ち誇ったような表情が私を喜ばせた。
 大量に物を造るのは中国に適わない、売れる商品だと直ぐ真似して洪水のように日本マーケットに押し寄せ価格破壊をしてしまう。自社製品として中国で生産するものが多いが、日本企業と違って売れりゃどんな手段を使ってでも売り込んでくるのが中国企業のやり方だ、それを防ぐには国内ユーザー向けにはユーザー名を国内で印刷し、ユーザーのオリジナル性を確保してサービスする。こういう小ロット化がむしろ価格を維持する方法になってきている、しかも素早く出来ることが重要になってくる。そこで威力を発揮するのが「なんでもくん」なのです。
 小ロット、素早い対応は中国生産では間に合わない。当社には中国で生産されたユニークな商品がよく持ち込まれるが、最後の工程である印刷を当社がやることによって販売元が分かる、日本マーケットで人気があるのがわかって後で持ち込んでもそれは偽物であり、日本企業が儲けてしまった後なので、せいぜい100円ショップやバッタ屋でしか売れない。

「なんでもくんANG-2」2台目の注文がきた

 数ヶ月前に「なんでもくんANG-2」を購入して頂いた医療器具メーカーから2台目の注文が入りました。そのFAXを見たときの嬉しさは譬えようのないものです。1台では間に合わないくらい活用して呉れている現われだからだと思います。今日早速発送の手続きをしなければならない。
 土曜日は本来作業は休みを建前としておりましたが、新人とベテランパートが出社して遅れている仕事を少しでも進めておこうと自ら名乗り出てくれたのが嬉しい。アレもコレも遅れている仕事が山積している時には不思議に急ぎの仕事が入る、その皮肉な現象が継続するものになれば思い切って社員、パートを増やすことが出来るのだがこの時代成長期のように続く保証がない、何時パッタリ暇になるか分からない、そんな不安がいつも付きまとう。本格的なマーケッティングがない証拠でもある、トヨタ自動車が我々には想像もできないような業績を上げている、自動車がコレほど売れているとは信じられない。株価は上昇し、景気の好転を表しているが我々を取り巻く環境にはその良さを実感するものはない、忙しく仕事をこなしていても少しも金が残らない、何か時代に取り残されているのではないかと危惧を持つ。

八王子の子安神社

 初めての男の孫と初対面するため近所に居る娘親子と八王子の娘のところへ行った。私は一人で娘一家は4人現地で落ち合った、私は少し早めに出たが道路が渋滞し、一度行った事があるのに道に迷い結果的には後から来た娘と同じ位の時間になってしまった。孫はほとんど寝ていたが孫娘たちは大はしゃぎ、昔の娘たちを思い出す。とに かく子供はうるさい、同じ事を娘たちが繰り返している。
安産祈願といったら東京では人形町の水天宮と相場はきまっていたが、八王子には古くから子安神社と言う所があり、底の抜けた柄杓を奉納して水が抜けるようにお産も軽く出来るように祈願するそうだ。昨日はそのお礼参りに底の付いた柄杓を奉納するので同道した。
 お産と言う命を生み出す事の不安は古今変わりがない、無事に生まれることを願う女の祈りは男の願い出もある。ツイこの間まで他人だった男が「おとうさん」なんて呼んで甲斐甲斐しく振舞っている。娘を介して親戚になってしまう、人の世の面白さを感じる。
 帰りは私が疲れているので娘婿が変わって運転してくれて帰ってきた、その心使いがうれしい、本当に助かった。甘えることの出来る人間が一人でもいることは安心だ。それにしても免許取得して1年足らずの娘がピッタリ付いて高速道路を走ってきた、運転センスのよいのに感心した、また婿殿が後ろを意識して走る心使いを見て親としては感謝、感謝です。
 今日は予約してくれていた会社が担当を連れて「なんでもくん」を2台引き取りに来る、また製版から印刷まで指導する。
今日も忙しそうだ。

目の回るような一日だった

異業種連絡協議会のメンバー「イコー会」の今野製作所の社長が社員二人を連れて見えた。「なんでもくん」の説明している所へ「産業交流展2005」で知り合った会社の社長が女子社員を連れて山梨県から「なんでもくん」を買いに来た。製版のやり方から印刷までの一部始終を実際にやって見せているところに「なんでもくん」の問い合わせがあったり、仕事の問い合わせがあったり、その忙しさに来訪者もビックリしていた。
 工場内の作業も家内が居ないなりに多少緊張しながらも新入社員と協力し合って順調にこなしている様で安心した。この新人も我が社の仕事の面白さに獲りつかれたようで飲み込みも早い、当社の重要な社員に育ちそうで期待できそうだ。好きこそ物の上手なれとよく言われるが、要はやる気になれる仕事かどうかで決まるようだ、仕事は金銭だけの問題ではなさそうだ。彼は私を超えるのが目標らしい。
 今日足立東高校の生徒さんから電話があった、9日の仕事見学に来る為のアポイントの取りかたの勉強の内らしい。おそらく一生懸命練習したに違いない、その口調が初々しくて微笑ましい、社会人としての礼儀を学習しているのだろう。4人で来るらしいが、「なんでもくん」の出来た由来一部始終を説明し、印刷の面白さを目一杯体験させて仕事の楽しさを理解してもらえたらと思う。私の仕事の後継者が一人でも出来たらと願ってやまない。
 今日から朝飯は自分で調達しなければならない、生卵をご飯にかけて食べるのが好きだから簡単だ。

 

今日から10日間我が女房殿はハワイ

 私の家内は作業現場の要なのですが今日から10日間娘家族とハワイ旅行に出発する。この忙しい時期に実質的に経営者でもある家内が居なくなるとどうなるであろうかと本当は恐ろしい。おそらく休日はなくなる事を覚悟しなければならない、ただでさえ仕事が詰まっている状態なので相当の覚悟が要る。長年仕事、仕事と就き合わせて来て苦労をさせっぱなしの彼女が初めて海外に出かけるのだから、安心して行ってこいと気持ちよく送って挙げなければと思う。だけど社内、家族、姉妹皆が心配している。かなりオッチョコチョイな所があるのを皆知っているからだ。時々考えられない行動をしたり、大事なものを忘れたりする。本人も今回はかなり緊張しているようだが、どんなエピソードをお土産にしてくれるのか気がかりでもある、無事に帰って来てくれることを願わざるを得ない。
 夕べは熊谷からゴルフボールに2色印刷してくれと言う依頼があり、今日の今日どうしても必要で余程の事情があり困っているようなので引き受けてしまった。昼間目一杯仕事をした挙句夜9時ごろまで頑張ってやり遂げてしまう、出かける寸前まで仕事に追われ気の毒なことしてしまったと思ったが困っている人が居ると見捨てられない性分が災いしている。遠いところ、見知らぬ所へたった1ダースのゴルフボールへの印刷のために大変な経費をかけてきている、帰りにその出来栄えと持って帰れる嬉しさがにじみ出ている姿を見るとやっぱりやってやってよかったと思う。ゴルフボールメーカーではトップの会社の社員だが携帯で何か絶えず連絡を取りながら熊谷に帰っていった、仕事の厳しさを感ずる。
 昼には4,5日前試作したリュックサックへの名入れ印刷があまりにも出来栄えが良くて客先が大変喜んだ、と言って見積もりより2割五分も高く支払ってくれると言う所があった。世の中不思議だ、値切るのが常と思っていたのにこちらが提示した価格より高く買う人が居る、世の中捨てたモンじゃない。時々は仕事を持ってくる会社で他の社員も押しなべて人柄が良い、難しい場所への印刷でかなり工夫を凝らさなければ出来ないものだが、高く評価されるのは嬉しい、だから仕事は止められない。
 

昨日は飲みすぎた、今起きた、ブログを書く時間が無い

飲みすぎと湯疲れで7時近くに目が覚めた、よく寝た、少し未だ酔っている。
今日は忙しいのに本当にバカだ。

帰りの東北縦貫道は大渋滞

 紅葉を楽しんだ行楽客が多かったのだろう帰りは大渋滞だった。今回の那須行は往復5,500円の高速バスを利用した、自分で車を運転せずに那須へ行ったのはゴルフ会でたびたび行った時意外は初めてだ。高速料金にも満たない料金で往復運転もせずに行ける、ましてあんな渋滞だったらどんなに疲れたろうか、缶ビールを二本ばかり飲んで大部分寝ていた、一人二人のドライブだったら高速バスのほうが安くアルコールも飲めるのだから楽な旅だ。しかし子供3人を乗せ騒ぐ子供を叱り付けながら往復した時代が懐かしい、子供達を遊ばせることに熱中し紅葉をめでる余裕もなかった、今は娘達が自分の子供達を遊ばせる時代になっている。
 朝食後仲間の一人の薦めもあって那須岳の山頂までロープウェイで行き、寒いロープウェイを降りた後大丸温泉まで歩いていった、熊笹に囲まれたかなり急な坂道が続いたが歩くのは気持ちが良かった。大丸温泉は露天風呂が自慢の所で泉質は湯元の硫黄泉と違いさっぱりした泉質だった、夕べの熱い鹿の湯から比べるとややぬるく長時間入っていられた。
 大丸温泉は11時半から日帰り客を受け入れるとのことで、1時間ばかしお土産やでコーヒーを飲みながら時間つぶしをした、安いお土産品の大多数が中国製だった、あんな山奥まで中国製品が氾濫しているのは少しく寂しい、買っている客の姿もない、意味のないみやげ物を何であんなに溢れんばかりに並べているのだろう。
那須の紅葉湯元でも自分の店の特徴を出してるみやげ物屋は結構売れていた。自家製といってる味噌と漬物を買ってきた、実際にうまい。
 この時代は商売も製造も自分の特徴を出さなければ成り立ってゆかない。

那須温泉鹿の湯は超満員だった

那須鹿の湯高校の同級生那須鹿の湯は浴槽が温度で分けらている。41度から48度まで6槽あるが私は44度が限界だった。兎に角どの浴槽も満員でこんなに立て込んでいる鹿の湯は何度も来ているが初めてだった。ここしばらくご無沙汰している内にだいぶ様子が違ってきている、街道沿いに今流行の足湯があり常に大勢が足を暖めていた。

久しぶりに今日明日と休みます

 今日は私の卒業した足立区の江北高校の同級生と那須温泉に行く。久しぶりの完全休暇で命の洗濯になりそうだ、親しい連中と思いっきり子供時代に帰って話したり遊んだりする時間を持てる。ここ数年年に2,3回は会っているが1泊は初めてのことである。昨年佐々木硝子の社長を勇退した小西君と今年3月弘電社を勇退した岡村君を最後に現役で仕事をしているのは私だけになってしまった。他の連中もほとんど一流企業を5年前に定年で退職し悠々自適の生活をしている。もう一人だけ自分の会社の面倒見ているのがいるがジタバタしているのは私だけである。相変わらず子供っぽいのは自分だけで彼らの落ち着いた生き方が羨ましく思うことがあるが、生来の性格が落ち着かせてくれない、どうも性分と言うヤツは度し難いものだ。
 那須の宿泊先は私の先妻の妹の嫁ぎ先「新小松屋」で息子の代になってしまっているが勝って知った所で懐かしくもあるし、倅の代で如何変化しているかを見るのも楽しみでもある。親父は私と同い年で仙台から来る私の義兄でもある岡村君と義兄弟で昔から仲が良い、私は同級生の妹と結婚していたのです。黒磯にいる親父も参加するので同窓会でもあるし兄弟会のようにもなる、はてさて今夜はどんな夜になるのか楽しみで久しぶりに心が躍る。

行動を起こすとこんなに違ってくる

「産業交流展2005」で当社「なんでもくん」を見て「この機械知ってるよ、この間、葛飾産業フェアで子供達がボールペンに印刷していたのと同じだよ」とさも今更なんだと言うような言い方をした人がいた、そしてその時印刷したボールペンを見せてくれた。「それってこの機械を城東地域中小企業センターにお貸ししていたものなんですよ」と言ったら「アッそうだったの、そりゃ凄い」と言われ痛快な会話が出来た。確実に「なんでもくん」を認識してもらったようで嬉しかった。
 これも私が「売れる商品、デザイン創造塾」に参加し、城東地域中小企業センターの皆さんと知り合ったことがこういう結果を生み出したと言えます。センターの皆さんは総じて中小企業の味方であり、支援者だと感じます。セミナーの内容だけでなくその関わりを大事にしてくれる事が私のような零細企業にとっては大きな力を呉れている。その励ましが次々と新しいことへのチャレンジを引き出してくれている、また自信を付けさせてくれた。
 11月9日には都立足立東校の生徒が9人ほど授業の一環として当社に勉強に来る、以前だったら絶対に受け入れる勇気はなかったろうと思う。今では中小企業振興公社も認めてくれていると言う事が子供達に教えてあげようと言う自信につながっている。「デザイン創造塾」で教わったことを伝えるだけでも彼らにはよい勉強になると思う。
 未来クラブのメンバーにも「デザイン創造塾」へ参加することの意義を伝えたい、そしてより以上の武装をしてこの動乱期を共に乗り越える力を備えてもらいたい。
 

収穫の多かった「産業交流展2005」だった。

昨年初めて「産業展2005」に出展した時と今回は大きく違ったものになった。昨年と違って二人で出展したので他のブースを見て回る余裕があり、大いに刺激を受けるチャンスが多々あった。中小企業振興公社関係のブースを訪れて「デザイン創造塾」でお世話になったセンター所長さん、伊東課長や秋山さんと再会できたり、薬師寺さんが我がブースを覗きに来てくれたり、デザイン創造塾の同期生のブースを訪れたり、昨年とは全く違うものになった。
「デザイン創造塾」に参加しただけでも大きく変わってゆく自分が分かる。「未来クラブ」のメンバーにも来年は多く参加することを薦めたい。
未来クラブの参加者も昨年と比べると遥かに垢抜けてきた感じで他グループと違った雰囲気を醸し出していた。未来クラブブース

産業交流展2005第一日目

産業交流展2005風景産業交流展は静かだった、ギフトショーの賑わいを経験したばかりで平日の月末に近い時期なのでそう感じたのかも知れない。
社内が大忙しの時に留守をしているのでそれなりの効果を持って帰りたいところだ。当社の「なんでもくん」は比較的好評でそれなりの賑わいはあった、1件大変に有りがたい所と契約できそうでホッとしている。携帯に入った受注が大きくて期待が持てそうでホッとした点とが今日の収穫のようです。
なんでもくんに群がる人々「なんでもくん」は誰か一人が体験していると大勢集まってくる。自分で印刷した石を大半の人が喜んで持ち帰ってゆく。
今日は「金運、福石」と言う版を作って印刷した。

今日は「産業交流展2005」の搬入日

 今日は「産業交流展2005」の搬入日です、午後2時ころ当社で数社が落ち合い、一緒に搬入に向かいます。展示品の「なんでもくん」2台は先週「葛飾産業フェア」で展示されたものを城東地域中小企業支援センターの秋山さんが持って行ってくれる。中小企業振興公社も「産業交流展2005」でブースを持っているそうです、ついでだから持って行ってくれると言うことで随分時間の節約になるので有り難かった。
 午前には「なんでもくん」を購入した会社の人が「戒名香」数点の注文に来る、「なんでもくん」で業域が広まり、有名なお寺の檀家さんからの注文だそうです。
私も彼に頼んで区役所からもらったシティビジョンで放映されていた番組の「まかせて安心、安心堂」のビデオをCDに焼いてもらったのを持ってきてもらう。「なんでもくん」が新しい結び付きを作った一例です。
 昨日は今日の仕事の段取りをしに会社に行っていたら、テレビコマーシャルの制作会社からビデオシーンで使うリボンに印刷して欲しいとの依頼が入った、日曜日でも仕事を追いかけている人達がいる、短納期で受け付けるところがないらしい、CM制作会社の仲間内で当社は知られているみたいです、でもコマーシャルの小道具は数が少ないのでたいした事はないので請けてしまった。時々CMの仕事をやるがテレビで自分の仕事が見られるのはうれしいし楽しい、ちなみに今放映されているかどうか知らないが昼ごろ放映されているキューピーの3分クッキングのタイトルで回っているレコード盤は私の仕事です。今度のは東京メトロの仕事で朝一番に手配をしなければならない、今週も忙しそうだ。
 
 
 
 

あだち異業種交流会未来クラブが発明学会、発明協会の発明展連続受賞

「あだち異業種交流会未来クラブが発明学会、発明協会の発明展連続受賞」これは未来クラブのメンバー平井設計の平井さんの提案で「産業交流展2005」の未来クラブのブースを飾るタイトルになりました。2,3日前にタイミングよく発明協会の発明展で小川製作所の小川さんの開発した「閉め忘れ防止特殊保管庫」が奨励賞を受賞したからです。
未来クラブに参加していると何かやらなければとお互いが刺激しあうことになる、そんなムードになれば良いなとかねがね思っていましたが現実になってきた。
開発には時間も金も掛かるが諦めないという事がもっとも重要な事だと思う、その目的のために自分を叱咤する物があるということが元気の元になる。
 NHKの番組「日本の、これから」で若者たちの問題が提起されていたが、生きて行くことの面白さを全く理解できない若者が多いのには驚いた。何一つ不自由のない環境に生まれ育ってしまったからであろう。
時代の流れに翻弄され、外国に生産の場所を奪われ、安住の場所を奪われ、必死に何かを掴もうともがいている中小零細企業の経営者の方がずっと若々しい生き甲斐を持っている。
「ものづくり」の面白さ、楽しさを今の若者達に伝えたい、太古の昔、社会が出来た時から人は物を造り始めている、何時の時代でもものづくりは必要なのだから、何を作ればよいのかを見つける事が辛くもあるが楽しくもあるという事を。

昨日は馬車馬のように動き、川口まで納品、途中「産業展2005」看板発注、ステンレス銘版彫刻発注、とって帰ってシルク製版2、パッド製版5、ハリーポッターアイテム試作と発送、デザイン創造塾の同期性飯塚桐箱が来訪し桐箱の上ブタに純金箔文字の印字(おそらく世界初)、「なんでもくん」発送品揃え、今日は休みなので一人で全部やらなければならなかった(助手が一人いたがね)。兎に角忙しかったが何一つ粗相がなかった、6時には全て終わり、達成感からか一人で飲み屋に立ち寄り生ビールをググッと2杯飲みササット引上げてきた。
オッと昼には目の前の床屋で散髪して男前を上げていたのを忘れていた、大いびきを掻いていたらしい、さっぱりした。続きを読む

自動車ショウーが始まった

「60年前日本人は今では想像できない日々を送っていた」これはNHKがBS2で毎日放送している60年前の今日のタイトルのナレーションですが、私が物心ついたのも60年前くらいだった。当時ガソリンで走っている日本車は見かけなかった。焼け出されて引っ越した所がガレージ横丁とも称された大手自動車会社のガレージに付属されていた住宅だった。ガレージ内には1930年代のアメリカ車が何台もあってがガソリンがないので走ることもできず鎮座し私たちの格好の遊び場と化していた。フォード、シボレー、オールズモービル等皆大きな乗用車で戦時中も使われることなく保有されていた様だった。それが時を経ずして木炭で走るように改造されタクシーとして稼動されるようになった。代燃車とも言われ炭や石炭から作られたと思われるコーライトとか言うものが使われていた、トラックなどは木を細かく刻んだものを使っていたようだ。排気ガスがタールの臭いがし、嗅いでいると気持ち悪くなったのを記憶している。進駐軍の車の排気ガスの臭いにこよなく憧れたのを思い出します。
 60年経った今、幕張で展示される新しい車とはまさしく隔世の感がある。技術の進歩が生み出す新しいコンセプトが凄い、時間が在ったら是非見てみたいと思う。今私の使っている「プリウス」には毎日その調子のよさに感謝している、それをより以上に性能アップしたハイブリットカーいろいろが出現している。何処まで行くのか日本のハイテク技術と感嘆せざるを得ない。
 それに引き換え私の開発した「なんでもくんANG−3」はローテクの最たるもの、ANGはアナログをもじったもので自分の手で動かし自分で考えて使うものです。アイデア次第では無限の可能性を持っている。
 なんでもくんANG−3人やものを移動する目的しかない車とは違って、免許証も要らなく、動力エネルギーを使うことなく、たいした運動量も必要としない、誰でも自分のイメージを表現でき、アイデア次第で大いに物の付加価値を増し、広範囲の作業現場で活用できる、そんな「なんでもくん」に愛おしさえ感ずる。幕張ならぬビッグサイトでの「産業交流展2005」で実演展示をする、自動車ショーに負けないほどの人出を期待する、無理かな?

「あだち3Rフェア」でパネル公開

あだち3Rフェア区役所前の中央公園にテントがヅラット並んでいた。前日まで「産業交流展」で展示していたものをそのまま持ち込んで飾り付けた。飾りつけた直後「イコー会」の会長に出会った、「元気ですねー、昨日に続いて」と励ましとも冷やかしとも取れる挨拶を貰った。イコー会の「雨タンク」を造っている「今野製作所」の今野さんが訪れてくれた、彼もいつも元気な人だ。彼は年間150回もゴルフを楽しんでいるそうだ。
 初めチラホラだった人影がいざ始まったらスタンプラリーのポイントになっていたので次から次と人が来て昼飯を取る暇も無い。相変わらず石に印刷を体験させると喜ぶ子供達が多い、大人も体験したがる。「環境フェア」で1日だけデモした時の石を財布に入れて大事に持っていた人がそれを見せてくれた、嬉しい限りだ。「あだち祭り」の時もそんな人が居た。
 昨日展示場に来るといっていた人が終った後に来たらしい、会社に引上げた直後に当社に来た。
 6時に先月購入したグラビア印刷屋の社長が印刷が上手く行かないのと言って「なんでもくん」とインキを持って来た、パッドを変えたら全く問題が無かった、こちらのパッドの選択ミスだった、ものの5分で解決してしまった。
 「未来クラブ」のグレイスエンブの岡部さんがやはり「なんでもくん」の研修にやってきた。グラビア印刷屋と刺繍屋とパッド印刷屋がそれぞれ3人が一緒になって紹介しあってまさに異業種交流になった、お互い仕事で役に立つと良いのだが。
 本格的パッド印刷屋の螢献礇鵐椶梁湿紊気鵑枠任寮夙琶法が全く自分でやっていた常識と違っているので驚いていた。彼の会社では版の焼付けに3分かかると言うが、我が社では30秒なのでその差は大きい。彼はドイツのタンポ社と深い関係にある、タンポ社と言えば世界最大のパッド印刷機メーカーと言ってもよい大きな会社だ、足立の片隅の安心堂とは比べようも無い。ところが「なんでもくん」はそのタンポ社では実現できないものを現実化しているのだから面白い。
 いろいろ話しをしている内に彼は「未来クラブ」に入りたくなったらしい、来月の未来クラブの定例会に参加したいと言うので来てもらう事にした。下請け体質の現状を脱したい思いがそうさせたのだと思う。

 
 
 

昨日の足立朝日に私の記事が出た!

発明で人のために,東久邇宮記念賞,足立区から3人が受賞 がタイトル

 昨日当社のパートさんの一人が足立朝日に私の記事が出ているといって新聞をもて来てくれた。なんと写真入で3人を紹介していた。私は朝日新聞を取っていないので彼女が持ってきてくれなかったら気が付かなかったろう、ありがたい話しです。記事の内容も十分満足できるものでさすがに新聞記者の表現力には頭が下がる。授賞式にで初めてお会いした衙Р豬設社長、東京ジョイント・クリニック院長高橋ひろ子さんも中々の人物で並び表されたのはこれまた光栄でした。芳賀さんは「未来クラブ」に既に参加してくれている。推薦者の小出孝さんが早速記事を持って祝しに来てくれました。氏との縁は私の「なんでもくん」が足立区役所のアトリウムのショウウィンドウで紹介されていたのを目撃し当社に取材に来たのが切っ掛けで知り合うことになった。氏は12月で喜寿と言う高齢者ですが足立区の地域活性に余生をかけているようで足立区の観光化にも意欲を持っている人です。歳に似合わず行動力があり「焚経香」の普及にも支援をしてくれている、感謝せずには居られない。

足立朝日新聞記事

来週の産業交流展2005で「なんでもくん」の展示、実演を行います。

 昨日は輸入電気部品商社のが女子社員をつれて来て、社員にデータ出力をさせ、製版をし「なんでもくん」にセットし持ってきた製品数個に印刷をして持ち帰った、なんとテスト印刷でなくて作業としてしまった。もちろん「なんでもくん」を携えて張り切ってお帰りになりました。商品説明をしながら実習して頂き一通り体験していただくのでマニュアル書が要らない。従来はゴム印を作って印字していたそうです、綺麗に印刷が出来るので驚き、商品価値が数段上ったと喜んでおりました。その間1時間位で印刷未体験の若い女性が本格的な印刷が出来てしまう、これを有効に自社の事業に生かしてもらう、それが「なんでもくん」の真価だと思っている。
 産業交流展で何人の人に印刷体験してもらえるか今から楽しみしている、「なんでもくん」の真価を発揮する場所と考えている。
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なんでも印刷日記
今パッド印刷に革命が起ころうとしております。
私のパッド印刷機は「なんでもくん」と言います。
形のあるものでしたら何でも印刷できるからです。
誰でも何処でも素人がまるで印刷職人のようになれる。
ある人は曲面の魔術師とも称しております。
興味のある方は安心堂の丸山に連絡下さい。

Profile
パッド印刷の伝道師
東京都足立区千住生まれ,小中高は区内です。
法政大学法学部法律学科卒業後証券界に身を置くも10年後、子供の時からものづくりに憧れがあり、生涯現役でいられる仕事を求め徒手空拳のまま全く経験の無い印刷業を開始し今日に至る。
株式会社安心堂として手動式パッド印刷機「なんでもくん」を開発し、販売している。またパッド印刷技術を活かし文字入り線香「焚経香」を発売している。
「なんでもくん」も「焚経香」も足立ブランドとして認定されました。
   自称「パッド印刷の伝道師」
現在あだち異業種交流会「未来クラブ」会長
「あだち大好き人間」を自認している。
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