なんでも印刷日記

パッド印刷って何だろう?曲面印刷って何?身の回りにある物にはほとんど印刷がほどころされている、どうやって印刷するのだろう? そんな疑問に答える日記です。 最近このブログを読んで印刷の体験の無い方でも名入れ印刷のプロ並の印刷を体験する方が増えてきております。 形のある物何にでも印刷できる楽しさを仕事に生かしています。 長年の印刷経験から生み出した手動式パッド印刷機、文字入り線香などの技術が認められ19年度「足立ブランド」として区から認定されました。全国各地から手動式パッド印刷機「なんでもくん」の研修者が年々増え続けています。  

MADE IN JAPANの重み

 昨日見えた方はゴルフクラブのメーカーの方だった。ゴルフシャフトにMADE IN JAPANと印字する事が出来ないかと言う相談だった。
 ゴルフクラブメーカーの企業の何社かは「なんでもくん」を既に利用している。海外で販売している企業からMADE IN JAPANと印刷して送ってくれという要望が多いらしい。MADE IN JAPANと言うだけで海外の消費者は安心して購入するらしい。
 私はよく家内と会社の帰り道にスーパーに寄って食材を買いに行くが、野菜なども中国製がかなり有る。しかし中国製というと何となく幾ら安くても買うのを控えてしまう。いくら流通が発達しているとは言え中国との距離を考えれば何かしら保存料を使用してはいないか、大量に作るために農薬をしっかり使っているのではないかと思ってしまう。日本の農家の作ったものであれば安心して購入出来る。
 昨日来た人もMADE IN JAPANとデータを作り、持って見えたゴルフクラブのスチールの部分にMADE IN JAPANと印刷してみせた。1本だから印刷受け治具など無くてもフリーハンドで好きな所に印刷出来る、しかも版を作り印刷するまで10分一寸で出来てしまう。しかも印刷した文字は時間が経てばちょっとやそっとで文字が剥がれることはない。従来はレーザー彫刻で入れる事をしていたらしいが文字の色を入れるのに手間が掛かっていたと思う。パッド印刷と言うのを早く知っていたら良かったのにと悔やんでいた。
 同じ版でゴルフボールにもMADE IN JAPANと印刷して見せたが、これも有名なスポーツ用具の製作会社で水と砂を入れた容器で一日中撹拌するテストで印刷が落ちないで合格したとも話した。キャディーバックやその他の用品も色々造っているので「どこでもくん」にも大いに関心を持ってくれた、社に戻って経営者とも相談して決断することになった。
 ところがこの方は腰痛持ちで2月頃7万円もする靴のインソールを購入したらしい。スポーツ用具の展示会で見かけ誂えて造ったらしい。我が社の「元気源」は3,500円で見た目もそこいらで売っているものと変わり無い、俄かには信じ難い効果があると言うのには驚いていた。その人の靴には誂えたインソールが入っていたがプラスチックの成形品みたいな形で小さなものだった。それも靴の中で遊んでいるような状態だったのでそれを取り出し、靴の大きさも丁度「元気源」が入ってしまうのでそのまま履いて帰ることにした。平らな薄っぺらい中敷がクッションが良いと言っていたが、それは自分の土踏まずの機能が活きてるからで偏平足が解消することになるかも知れないから履き続けてみて欲しいとも話した。今では有名な整形外科病院でもリハビリ商品として販売していることも知らせた。
 帰りには軽やかな足取りでお帰りになった。
 

目の前が明るくなった!

 昨日午前横浜から「なんでもくん」を引き取りに来た人がいました。宅配便で送れるように梱包してあったのですが、送るのでなく引き取りに来たい、そのついでに「なんでもくん」についてのレクチャーを再度受けたいと連絡があった。
 お出でになるや否やポジの作成についてレクチャーしたが、前もってエプソンのプリンターを購入して出力の仕方を試しても上手くいってなかったらしい。持って見えたイラストレーターのデータを出力するのに詳細設定で配紙する設定を手差し給紙にするのが上手くいってなかったらしい。いとも簡単な間違えだったので直ぐに解決した。
 出力したポジフィルムをバキュームクランプにセットすることから露光タイムセット全て自分でやってもらい、洗い出しまで全て自分でやってもらったので自分でも出来ることを納得してもらった。
 シルクスクリーン印刷は社内でやっていたのですが、ウレタンゴム製の成型品に印刷するために受け治具を試作屋に頼んでいたらしい。その受け治具も持って見えていたが、それを見ると治具屋さんだけあって上手くできていたが、それなりに費用が掛かっていた。
 「なんでもくん」のセットの中にプラスチック粘土と言うのがあるので、それを練るところから、小さな木片を土台にしてなるべく少ない量の粘土で造れることもレクチャーした。外注していた受け治具1個の価格で何十個も出来てしまう。持って見えた製品に離型剤を吹き付けて乾燥し、粘土をppのシート上で製品を押し当て成型する。2,3時間で硬化するのでその日の内に利用できる。
 段差のある製品に印刷するのに2度工程掛っていたものがパッド印刷だと1工程で出来てしまう。シリコンゴム製品もパッド印刷が出来るように粘土調節する方法も教えて差し上げた。インキメーカーには希釈剤など無いと言われていたらしいが、ある方法でパッド印刷が出来るインキに変身する。
 昼前には一連のレクチャーが終わり、そのころにはプラスチック粘土もかなり固くなっていたので持ち帰ることになった。「なんでもくん」を早く知っていたらあの仕事もこの仕事も皆出来てどれほど稼げたか分からないと悔やんでいたが、これからはどんな仕事でも引き受けられるとご満悦。
 帰り際にはこれで先行きが見えてきた、目の前が明るくなったような気がすると言ってかなりご機嫌になって帰って行った。今まで出来なかったことが出来るようになると言うのは私でもそうだが嬉しいもんだ。
 また昨日はTASKでも賞をもらったことのある漆の位牌に純金箔を張り付ける仕事があったが、今までの会社でなく扱い会社が変更になった。お位牌に教祖の文字を映しそれに金箔を張る仕事だけでなく、4×15センチの漆の板に純金箔で名札を作るのや供給された木板に指定された文字を刷り込む仕事まで増えた。我が社の純金箔は上にUVクリヤーで保護してあるから擦り減ったりしない、それが特徴になっている。何年たっても金の輝きが衰えない所以でもある。
 今日は漆板の作成見積もりを取り寄せたり、新しい仕事の見積書を作成しなくてはならない。
 

人の世の難しさを痛感する。

 昨日我が社と取引のある会社の人が担当が変わったと言って挨拶に見えた。前任者が人工透析することによって退社したのでと言うことだが、体の調子が悪いから入院する連絡があったが、声も元気そうでそれほど深刻な状況では無いと思っていた。それがあっという間に人工透析になるとは想像も出来なかった。
 人工透析をしながら何年も元気に仕事をしている人が近所にいるが、自営だから時間を工夫することもできるだろうが、勤め人であれば中々自分の調子に合わせてと言うのは難しいだろう。
 透析に至る前に自分の健康を管理できなかったのだろうかと残念に思う。我が社の「元気源」と言う商品開発に協力してくれていてさあこれからだと言うときに挫折してしてしまって本人も悔しいだろう。昨日は新担当者に頼んで自分自身がファンになっていた「元気源」を購入したのだった。
 健康は自主管理する事しか出来ない。医療機関に依存する人が多いが、特に高齢者の通院が多い。年を取ってくれば若い時とは同じようにはいかない、体力も衰えてゆくのは自然の摂理だと言っても良いだろう。その体の衰えを病気にしてしまうのが医療機関だろう。65歳以上の高齢者が65歳以下の人の4倍も医療費を使っている現実がある。
 21日の日曜日には私の住む住宅の夏祭りがあったが、30年以上住んでいるので古い住民は皆高齢者になっている。元気な者と何か患っているような人との格差が大きい。私より若いはずだと思う人も杖をついていたり車いすになっている人が多いのには驚かされる。
 中村仁一と言う医師が「大往生したけりゃ 医療とかかわるな」と言う本を執筆しているが、医療の現実を知らない人は目を通しておいた方が良いと思う。
 前回の「あだち新製品開発講座」でも受講生の健康を慮って「ヒポクラテスの格言」をコピーしたものを配った。製品開発と健康とは関係なさそうだが、健康でなければ新しい発想など生まれない。今日は「足立ものづくりゼミナール」の暑気払いがある、皆暑さに負けずに新製品開発を続けている。私も9月には「TASKものづくり大賞」に応募するものを持っている。
 なんてなことを書いていたらパッド印刷のことを書く暇がなくなってしまった。昨日も面白い話があったが、後日書くつもりでいる。
 

台風襲来に驚かされた1日だった。

 台風による被害は足立区は大したことにはならないようだった。一部道路が冠水した処があったようだが、我が社のある江北あたりは全く台風の影響はなかった。
 ただ、相模大野の伊勢丹相模原店に出展している娘が無事帰って来られるかを心配したが、搬出を手伝ってもらうお助け本舗も無事着いて問題がないと言うのが分かって安堵して帰宅出来た。
 時々土砂降りになる瞬間があったが、私が買い物に出た時や帰りにスーパーに寄る時も、また自宅に着き、途中は物凄い降りで乗り降りで多少濡れるのは覚悟していても、駐車場から住宅に入る時には全く雨がやんで降らない不思議があった。
 私は元々晴れ男と称されていたが、昔から雨模様の時にゴルフに行っても降られないので丸さんと行くと雨に会わないとよく人から誘われた。昔から何度も社員旅行した時もあったが一度も雨にあったことが無かった。
 昨日は偶然かも知れないが「なんでもくん」「どこでもくん」「じざいくん」が欲しいので見積書を送ってくれと言う方が2名あった。お二人とも1度は「なんでもくん」研修にお出での方でその時に「なんでもくん」以外の物を知ったからだろう。一人は「ころまるくん」と言うのはどんなものかと言う質問もあった。今度お出でになった時にお見せしようと思っている。
 昨日は最近「なんでもくん」研修に見えた方だが、「なんでもくん」導入について会社で会議がある、上司を説得するのに、例えばボールペン100本に印刷する時のイニシャルコストは幾ら、販売価格はどのくらいにすればよいか、とか自社製品に名入れサービスをする時は「じざいくん」の時は版代はどうなると質問してきた。1版に何人もの名前を面付けすれば一人あたりの版コストは途轍もなく低くなると説明したら、まるで新しい発見をしたかのような声を上げていた。今まで外注していた時には一人づつの版代を要求されていたと思う、それから思えば内製化するのを上司が拒む理由は全くないと思う。
 オリンピックもやっと終わった、オリンピックのおかげで朝ブログを書くことが出来ない日が多かった。日本が400メートルリレーで銀メダルを取ったのは一番興奮した。その日は会社に出るつもりだったが、それを見るため断念した。一人づつの能力は決勝に出たどこの国より劣っていたが、4人の特徴を最大に活かした日本的和が功を奏したのだと思うと嬉しかった。今回のオリンピックは日本の和が好成績を上げる要因だったと思う。
 これからの日本社会でも和の精神がものを言う気がしてきた。
 
 

今日は伊勢丹相模原店に行く

 昨日はアポ通りに2社の方が見えて「なんでもくん」研修はたっぷり出来た。再度印刷の担当者を来させてレクチャーして欲しいと言うことになった。1社の社長は介護事業も手広くやっている、知的障碍者も預かっているのでその部門での活用をしたい様だった。この仕事を何年くらいやっているのか問われたので、独立したのが34歳だから今76歳だから引き算すると42年になると言ったら、76歳?全然そんな年には見えないと驚いていた。怪我は別として具合が悪いと仕事を休んだこともないと言ったらそれも驚いていた。
 私が毎年新しい商品を開発してTASKで6年連続入選したことや、その賞状を全部カメラに収め私の写真まで撮っていった。
 午後には懸案の仕事があったが、前倒しでそれを上手くやり遂げて時間の余裕が少しできたので相模原のTASKの展示会に会社に一寸覗いた後に行くことにした。
 パッド印刷は印刷治具次第で難しい仕事でもスムースに捌けることになる。昨日は2通りの治具が必要だったが、手作り商品一個づつの寸法がまちまちで印刷部分をセンターに配置するにはそれなりの技術が居る。治具を考えるのも私のアイデアが必要で、私がやるしかないだろうと思って昨日取り掛かった。発注先は気になって試作を見に来たいと言っていたが、試作をするのも大変な手間がかかる、それであれば試作をするより本番をやってしまった方が納期が早くなる。今日見に来れば納期も早くなって大喜びするに違いない。
 昨年までは私が相模原に泊まり込みで対応していたが、今年度は娘がワークショップを土日には企画をしているので、私は行かずに社内で今一番手強い注文を土日にをかけてやり遂げなければならない。大手の仕事だが日本でこれをやり遂げられるのは我が社しかない。その商品のユニークさも日本で唯一のものになる、昨日正式に発注書が来たので頑張るしかない。
 今日は娘は相模原に行かずに社内の自分のたまっている仕事をこなすことになっている。

孫の手に印刷

 一昨日竹製の孫の手に印刷して欲しいと持ち込んだ人が居た。2か所に人気のテレビ番組のタイトルとキャラクターを印刷するものだった。この人の実家は千住緑町にあるので足立区のどこかで印刷が出来ないかと区に相談したら足立区のホームページに情報があるから見て探せば良いのではと教えられた。そこで我が社の情報を得て安心堂しかない思って来たと言っていた。「なんでもくん」にも関心を持ったようだった。
 娘が一昨日インキの密着テストのために印刷して置いた。一晩置いてみないと印刷が完全にインキが取れないかどうか分からない。私は念のために前処理をしておいた。昨日の朝娘が無処理で印刷したものが引っ掻きにもテープテストでも剥がれることがないので印刷したインキでOKと言うことになった。
 ただし、竹製の孫の手は手作りなのだろう、1本づつの幅が微妙に違う、センター部分に正確に印刷するには位置を確認しながら印刷しなければならないので多少手間がかかる、その分加工費は高くなる。一週間以内に印刷をする。
 昨日は先日パッド印刷の相談に来た人が電話が入り、「なんでもくん」も検討しているが、我が社の「元気源」に物凄く関心を持ち、サンプルに20足購入したいので社員に買いに行かせると言っていたが、午前中には取りに来た。その会社は安全靴を月に千足以上扱っているので物を持つと軽くなる「元気源」とセットにしたらと言う思惑があるらしい。
 引き取りに来た社員はモンゴルの人で日本に来て10年以上なると言っていたが、中国のモンゴル人社会に話を持って行って良いかとも聞いていた。取りあえず契約ごとは娘が担当しているので来週以降に商談に来てほしいと話しておいた。
 今日は朝一番から「なんでもくん」「じざいくん」の研修がある。意欲のある人が来るのだから今日も楽しいことになる。
 

TASKプロジェクトによる伊勢丹相模原店でのイベントに出展

 今日から日曜日まで伊勢丹相模原店でTASKプロジェクトの展示会が行われます。相模原には安心堂の出展を楽しみしてくれているお客さんがお二人ほどいます。「元気源」をネットで購入せずにわざわざ伊勢丹に買いに来ると言うリアルな「元気源」のファンになってくれています。
 昨年も登山家の方に8足も購入して頂いたことがあります。「元気源」履いて歩くと全く疲れが違うのが分かり靴8足全てに挿入して置きたいと言うことでした。今年もお見えになるかどうか分かりませんが日本中の名山を登る写真家ではないかと思います。再会出来たらいろいろな話をお聞きしたいと思っています。ただ今年は娘がいろいろ企画してまして昨年のように連日店頭に立つことはないのでお会い出来ないかも知れません。
 土日には自分で書いた文字や絵で直ぐにハンコが出来ると言うワークショップを娘が企画しております。夏休みも終わり近いのでお子さんたちの夏休みの工作になるかも知れません。生物園でのワークショップ決まっていますが、娘はお子さんたちが喜ぶのが楽しいようです。「足立ものづくりフェスタ」でもワークショップを依頼されています。
 家内は今日、博慈会でとったMRIの結果を見に行くことになっています。だんだん良くなっている腰の痛みは完治していないので何処か傷んでるところがMRIで分かるかも知れません。先日も痛み止めの注射を勧められたらしいのですが、薬に懲りている家内は断ったそうです。
 あまり無理はさせたくないのですが今月は線香の注文が2,000個以上入っていたり、他にもいろいろ入って来てるので仕事をしながら回復してもらうしかありません。薬を飲まなくなって自己治癒力が少しづつ着いてきていると思うのでこのまま少しづつ強くなると思います。
 娘は今日は早朝に相模原に向かうので台風の影響が気になりますが、どうやら大したことにはなりそうもないのでホッとします。
 今日は私はやらなければならないものがたくさんあるので忙しい1日になります。明日も朝一番から「なんでもくん」購入予定の人が来て「なんでもくん」から「じざいくん」までレクチャーしなければなりません。自社で購入するのではなく自社の仕事をしてもらう人を連れて来るのです。その人に新しい仕事を与えるために来るので完璧に教えて差し上げなくてはなりません、半日はゆうに掛るでしょう。だから私のやらなければならないものは今日中に片づけなければなりません。

我が家のお盆休み

 願行寺に集結
孫達集結
13日には願行寺と言う我が家の菩提寺で11時に娘家族達と待ち合わせ、墓参りをすることになった。
 お寺の部屋を借りて昼食をすることもできたのだが、盆前が忙しく、家内が腰を痛めたりしていて容体が分からず、計画的には不備だったのでその日の朝予約出来たのが「とんでん」だった。それで「とんでん」で皆で昼食をすることなった。孫には3歳、幼稚縁年長、小五、小四、中二.高一と居るので「とんでん」はいろいろなメニューがあるので都合が良かった。
 孫の成長が早く皆大きくなってしまったので狭い我が家に一堂に集まるのが無理になってしまった。高一の子が小学校くらいまでは我が家でも皆で食事も出来たが、高一の子は今や背丈が私を超えている。
 子供の成長は早い一年一年身体が大きくなってゆく、その成長を見るのが楽しみになっている。その成長の変化に目を見張る楽しみは、私がこの世に居なかったらこの子たちも居ないと思うとき自分の存在を確認する。この子たちが世の中の役に立つ人間として成長することを願うのは私の一番の贅沢だと思っている。
 13日に参加できなかったもう一家族が居る。区内の保木間に居るのだが孫の長女は二十歳を超えている、既に仕事を持ち盆休みに関係なく毎日夜の8時15分が終業時間で昼のイベントに参加できない、それで14日には我が家で夜の9時近くに我が家で会食することになった。いつも昔から出前をしてもらう中華料理屋に頼んで準備していたが小6の子もいるのでその子は早くから来ていて出前料理に手を出し始めていた。
出前
次の日が15日で盆休みをするせいかいつもより料理のボリュウムがいつもの倍あったような気がする。二家族では食べきれないような量になっている。結果的には残りそうなものは持ち帰ってもらった。我々老夫婦はそんな量を食べられない、おまけに出前の料金を娘が支払ってしまった。私たちがご馳走になってしまう結果になってしまった。働く孫がいる位に娘家族も成長しているのを実感できる、この安堵感も嬉しい。
 15日は家内が博慈会の整形外科にMRIの予約をしていたので朝一番から出掛けた。私はMRIなどで調べる必要もないと思っているが、家内も腰の部分がどうなっているのか知りたいらしい。腰の痛みも日々良くなって来ているので心配はなかろうと思うのだが、本人の安心感が得られのであればと思って付き合った。私は病院内に入らずに暇つぶしに駐車場で9時から始まるオリンピックの100メートルの準決勝を車のテレビで見ていた。日本人選手は決勝には残れなかった、ひょっとすると日本人の10秒を切る場面がみられるかと期待したが、まだまだ時間がかかりそうだ。
 1時間ほど待っていたが家内が病院を出てきた、MRIは道路工事のような音がすると言っていた。30分ほど仰向けに寝ていなけれならなかったそうだった。MRIで何が分かるのか私は知らないが17日には結果が出るそうなので興味津々。降圧剤は飲まなくなって2週間ほど経つが最高血圧と最低血圧が常に80以上の差がある、最高血圧が時々高い時はあるが自分の歳に90を足した数値から差ほど高くない。
 現状でも医院に行けば高血圧と診断するに違いない、高齢になればおのずと血圧は上がってくる、老化を病気にしてしまうのは如何なもんでしょう。65歳以上の医療費がそれ以下の人の4倍も掛っている、これが社会問題にもなっている。年々医療費の予算が増え続けている、人がイージーに医者に掛る、自分の健康を医者にゆだねる風潮を改善しなければ、医者が安易に薬を配布するのにも問題がある。
 私の居周りにも私より若いはずなのに杖を突いたり、車椅子に乗り始めるのが増えている。医者通いを日課にしていたような人ばかりだ。私が推察するに薬の飲み過ぎからくるのではないかと思う。

今日は終戦記念日

 日本は天皇陛下の玉音放送で敗戦と言うことになってしまった。71年前の8月15日は私が5歳と半年経った時で、戦災で家を焼かれ何もかも失い、遠い縁を頼って疎開をした長野県の信州伊那で終戦を知った。
 家を焼かれラジオも無いのは当たり前だが村の集会所のようなところに呼ばれて母親が玉音放送を聞かされたらしかった。
 東京空襲最後の5月に我が家と隣の間に焼夷弾が落ちて3軒が焼けたのだが、その時は空襲警報がありいつものように東武線五反野駅の向こうが畑ばかりのところに避難していた。丁度五反野駅の脇に来た時焼夷弾が落ちたのだが運よく駅の裏の稲の苗床になっていた田圃に落ちたので助かった。固い道路に落ちていたら焼夷弾の油を浴びて焼け死んだかも知れなかった。ほんの5,6メートル先だが太い火柱と轟音で母親と腰が抜けた。その時は母親と引き布団を傘にして逃げていた、今で言う梅島あたりに高射砲陣地があり、当たりもしないのにガンガン打つのでその破片が雨のように降ってくるので、用心のため防空頭巾などでは防げないので敷布団をかざして避難していた。
 空襲が終わり家に戻る途中で五反野駅近くの文房具屋で丸山が焼けたと聞いた。家には脊髄カリエスの治療途中で入院先の慈恵大病院から帰されて歩けない兄がいた。直撃だったら死んでいたろうが兄は這いばって表に逃げたのを近所の人が助けてくれたらしい。私の知らない家に収容されていた。部屋は真っ暗だったがローソクの明かりで兄だと言うのは分かった。
 それから数日は近所の親しくしていた家に世話になり、近所の人にリヤカーで上野駅まで送ってもらい、兄を背負って近所の親切な人が上野から飯田線の北殿と言う駅まで送ってくれた。疎開先は大きな農家で農機具を入れて置く大きな納屋を貸してくれてた。その疎開先に学童疎開で長野松代に居た姉がパラチフスに掛り引き取ることになったので、私に感染するのを避けるため私は一足先に一番上の姉と長男が住む家を決めていたので今の区役所の近い処に母から離れて一人帰った。
 振り返ってみると当時は近所の人と密着した付き合いがあり、向う3軒両隣が親戚以上に世話を焼き合った。今で言う地域コムニティが確りしていて助け合い精神が確立していたのだろうと思う。近所の人の親切さが無かったら助かってなかったかも知れない。
 最近の震災の被害も大変だが自治体が確りしているのでいろいろ世話を焼いてくれるが、当時は国が亡びる時だったので国が救済に手を差し伸べると言うようなことはなかったと思う。最悪の状況から戦後の繁栄に影響する一歩一歩を踏みしめることが出来たのは生き残るために個人一人づつが強い心を持っていたのだと思う。
 生産設備が全て破壊され食べるものも生活日常品の全てが無く、子供ながら千住八千代町、梅田の焼け野原に行って掘り起こすのが遊びでありながら使えるものを拾ってくるのが日課だった。割れたガラスや金属片は仕切り屋に持ってゆくとお金になった。風呂敷包みを広げてお菓子のようなものを売るおじさんから自分で稼いだお小遣いで買い食いをするのも楽しみだった。
 最初は焼け跡で拾った戸車をミカン箱に付けた荷車だったが、大きめの車を見つけそれをやや大きな荷車が出来、拾った戦利品をたくさん持ち帰られるようになった時はうれしかった。1年もしない内にあちこちにバラック小屋が建ち始め焼け跡で拾うものも少なくなってしまったが、小学校に入るころは焼け跡遊びは出来なくなってしまったが、拾い集めたもので何かを作るのが遊びで面白くなってしまっていた。
 私がものづくりに憧れを持つようになった原点は戦後1,2年くらいの間の経験からだろう。小学校に入ったころ上履きを履いている子はほとんど居なかった。皆裸足で体操の時間も皆裸足だった。その内学校でゴム草履の配給があり、それもくじ引きで当たった時はうれしかった。世の中もやや落ち着きが出て家で兄が紙芝居の絵を仕事にし始めて日銭が入るようになった。夕時になると食えない大人が誰彼となく母親が振る舞うので集まってきた。中には毎晩のように来る人も居たが、母親は分け隔てなくご馳走していた。テレビが出現するまでは我が家はそれなりに豊かだったような気がする。テレビのおかげで紙芝居が廃れてしまった。それからしばらく貧乏生活が始まった。
 今日も武道館で全国戦没者追悼式があったが、8月15日になると71年前を思い出す。ものが無く、食べる物も無くても子供はそう言う環境が日常なので辛いとか苦しいと言う思い出はない。食べられるのは嬉しい、ものが手に入ると嬉しいと言う楽しい思い出が多い。
 今の時代に育つ子は何でもあり、特別なものをもらった時は嬉しいと思うかもしれないが、私は子供の時、人から物をもらった大人やお小遣いをくれた大人の顔まで覚えている。
 今のように不自由なく育つ子は物の無い時代に育つ子のような感激を知らないかも知れない。

技あり、一本素晴らしい!!

 今日本の大野将平が柔道で金メダルを取った、気持ち良い勝ち方だった。日本の柔道の美しさを見せてくれた。色んな競技を見ていたが今日の柔道が一番良かった、これでブログを少しだけでも書く気になった。
 昨日は素晴らしいお客さんが突然来てくれて気持ちの良い一日だったが、今日も気持ちよく会社に出かけることが出来る。
 昨日来た方は埼玉の草加の会社だが住まいは足立区で足立のイベントなどもよく知っていて共通の知り合いも居たりして話が通じやすい。私の古い知り合いの人とも交流があり出会うのが遅すぎるとも感じさせられた。
 UV印刷にも通じていて色んな印刷にも精通している方だった。ところがパッド印刷機もUVで印刷した経験もあるのだが、今は簡単なパッド印刷を探してはいたらしい。
 私が「なんでもくん」の版の作り方から印刷までお見せした。持って見えたガラスの醤油さしに直ぐ印刷して見せた、ガラス食器のメーカーと取引があるので、色んなガラス製品に名入れサービスが出来るので、印刷したものを先方に見せて気に入られたら「なんでもくん」を導入したい意向のようだった。
 昨日は自社の人たちに会社を閉めて帰って良いと連絡し、かなり遅い時間まで滞在した。話は尽きないほど有ったが、お互い良い情報交換が出来た。
 今日滞在時間が長くなる人も来る、それまで急ぎの仕事を済ましてしまおうと思っている。
 

即断即決は気持ちが良い!!

 昨日は2社が社長自らお出でになり「ころまるくん」「なんでもくん」導入を即断即決した。「ころまるくん」導入を決断した会社は新入社員3名を引き連れて来ていたのでその3人に「ころまるくん」操作を直ぐ体験してもらった。
ガラスのコップに印刷したのだがこの会社は細いパイプに印刷するのだから印刷はもっと容易にできる。この会社も従来の仕事だけでなく印刷技術導入で新しい事業展開が出来ることを予感しているからだろう。
 もう一社の社長も昨日の電話でアポを頂き名古屋から見えたのですが、私が版を作りその場で印刷する所を見て自社製品にロゴ印刷やその他の印刷が出来ることで自社製品の売り上げに直結するものと判断したのだろう、直ぐ導入を決断した。
 おまけに「元気源」を履くと「なんでもくん」を持ち上げるのが軽くなることを知り、自社で安全靴を販売しているので安全靴を履く人たちは重いものを持つ場合が多いだろうから喜ぶに違いないと販売契約をして欲しいと決断した。個人的にも腰痛を持つ兄が居るのと自分もゴルフをする時に履いてみたいと言って奥さんの分と3足購入してくれた。
 自社の将来に我が社の製品の可能性を理解して頂き即断即決をしてくれる、こんな嬉しい瞬間はない、有り難い事です。
 今日は午前8名、午後8名と小学生が二グループに分かれ、近くの学習センターの夏休みのイベントでやってくる。親がついてくる子もいるらしいが印刷体験とハンコづくりをすることになっている。子供らがものづくりが面白い、ものづくりが好きだと言う切っ掛けになってくれればといつも願っている。
 最近著名人の癌死が報道されているが、最近の週刊誌でも毎号危険な薬や手術を紹介している。我が家の家内も私に内緒で降圧剤を服用していた。風邪の症状を鎮めるためにいつもの医院で処方した風邪薬を飲んだら3日目位に朝起き上がれなくなってしまった。薬の中には恐ろしい副作用があるものが多い、私は普段から薬を飲んで症状を抑えることなどしたことがない。薬は飲むなといつも言っているので私にわからないように薬を飲んでいた。
 今回は家内自身も恐ろしかったに違いない、降圧剤など飲むのをすぐやめさせた。止めて10日ほど経つがだいたい最高血圧が160台で収まっている、最低血圧と80くらいの差がある、まったく正常そのもだ。高齢者になると血圧が上がるのは当たり前で、自分の年に90を足すのが日本人の基準血圧と大正時代から決まっている。それは今も変わっていないはずなのに140台を高血圧と判断するようになった不思議はわからない。
 高齢者の病気や認知症などが増えているが、薬が禍しているようにしか思えない、病気は自分の自然治癒力で治る。ヒポクラテスは人は皆自分の体に100名の名医がいる、食は医なり、医は食なりとも言っている。病は生活習慣で造ってしまう、過食が良くないことも言っている。だから私は満腹するほど食べないようにしている。







「なんでもくん」に関心を持つ人が増えている。

 このところ「なんでもくん」についてのお問い合わせ件数が連日のようにある、昨日だけでも4件ほどあった。またパッド印刷の印刷依頼の案件も増えているような気がする。偶然に昨日は同じような洗面器の底に印刷したいとか風呂桶の底への印刷出来るかと言うのが有ったり、ヘルメットに印刷印刷出来るかとの問い合わせが有った。パッド印刷と言うと小さな造形物への依頼が多いが、昨日は大きなプラスチック成型物への印刷依頼が重なった。
 普通のパッド印刷専門の印刷所では半自動の印刷機で印刷する所が多い、市販されているパッド印刷機は懐が狭く上下のストロークの長さも10センチ程しかない。パッドが風呂桶の淵にぶつかってしまって印刷不能と言うことになっているのだろう。
 我が社には大型の「なんでもくん」も所有している、パッドの直径が20センチ位の大きなパッドも利用できる。大きなパッドでも20センチ位の壁だったら跨いで印刷が出来るので過去にも風呂桶や洗面器に印刷した実績がある。また、紙工屋さんの依頼で、特注で30センチ以上の直径のパッドで30センチの円を印刷するパッド印刷機を創ったこともある。
 手動でもテコの原理を利用しているのでそこそこの大きさの印刷が出来てしまう。こんな印刷屋は日本中でもそうないだろう。風呂桶の底にある飲料水のメーカーのロゴ印刷の依頼があったことがある、あまりにも数が多いので我が社で処理するのは無理だった。そこで大きなパッド印刷機を造った実績のあるメーカーを紹介して差し上げ、そこで商談をした結果群馬県だかにあったらしく仕事にはなったらしい。
 昨日は久しぶりに我が社で開発した小型のUV乾燥機「かたまるくん」を使ってUVパッド印刷をした。新素材のゴムシートで溶剤タイプのインキでは印刷不能な代物でUVインキだったら密着するのが分かった。しかもシルク印刷では無理でパッド印刷だったら出来る、UVの照射機が二通りあるので携帯用のものを使って照射して、送ってきてあったテストピース20枚ほど印刷して送って差し上げた。
 今日あたりその成果結果について聞いてくるだろう、必要とあらば中古品になるが「かたまるくん」を販売しても良いとは思っている。
 
 
 

嬉しい便り

 先週新潟から地元特産の蕎麦が届いたが「なんでもくん」の古いユーザーからだった。この方は元々商社マンだったのですが、ご両親がシルクスクリーン印刷を家業にしていたのを父上が亡くなったのを期に家業を継承することになったらしいのです。
 シルクスクリーン印刷のみでは仕事が少なくなっていたのかパッド印刷にも関心を持ち、当社の「なんでもくん」導入したのでした。それが仕事量が増えるきっかけなったのですが、シルクスクリーンの局面印刷がのニーズが増えているのに気が付き、我が社に「ころまるくん」と言う手動式の局面印刷機があるのを見学に見えたことがあった。
 運よく我が社にステンレスのボトルに印刷する仕事が入っていたので、最初は私が印刷して見せ、あとは自分一人で2色印刷をしてもらった。それで直ぐに印刷になれ「ころまるくん」導入を決断したのでした。
 また、大きな「どこでもくん」の部品も特注され大きな機械のフードカバーに印刷するのも成功して仕事になったらしい。
 頂き物のお礼を兼ねて話をしたが、現在は土日が休めないくらいの仕事量を確保していて忙しいことになっているとのことでした。私が開発したものは何でも購入され、それを実用化する。最近は仕事が面白くてたまらない様子だった。
 私が開発した靴の中敷き「元気源」も3年前に寒冷地では最高の威力を発揮すると折り紙をつけてくれたのもこの人が最初でした。
 私のブログもよく読んで頂いているl時には嬉しいコメントを書いて頂くこともあった。その内上京したらよると言っていたがお会いするのが楽しみな人になってくれている。
 先週はTASK交流会があったり、昨日は「足立メッセ」出展説明会があった。今日は東京電機大学の介護についてのセミナーがある。追われている仕事もあるので余裕をもって中々出席できるとは限らない。

少量多品種のテラヘルツ商品

 土曜日にお見えの方は大宮東口商店街連絡協議会の方だった。大宮は盆栽では世界的にも有名な街で、今年は「第8回世界盆栽大会inさいたま」と言うイベントなどもあり国内外から大勢の人が大宮に来る。
 この方は大宮ではいろんな顔を持っている方で、大宮の土産物を開発しようと色んなグループと接触があるらしい。今回はテラヘルツ製品を大宮の土産にしようとそれらの商品に盆栽をイメージした盆栽ブランドマークを印刷する相談で来たのだった。
 テラヘルツ波を知ってますか?テラヘルツ波とは電磁波の一種でこのテラヘルツ波を照射すると細胞や酵素、DNAなどの振動が活性化され、人が本来持っている自然治癒力や、免疫力がアップし健康に良い影響をもたらす事が出来ると言われているらしい。
 テラヘルツ波などと言うのは関心を持ったこともなかったが、アマゾンやヤフーなどでも通販でいろんな商品が出品されているのを見た。足立の女性グループがブレスレットなどアクセサリーを販売しているが、たしかテラヘルツとか言っていたような気がする。
 大宮の方が持って見えたものはストラップや腕や足首に巻き付くもの、靴の中敷き、香水のように顔に霧状に噴霧する小さなボトル、次から次と色んなものを取り出してそれらにパッド印刷をしてみて、喜んでいたが、今度はきちんとしたブランドデータを作って印刷試作をすることになった。その時にはタイアップしている有名企業の人を連れてくるらしい、それで「なんでもくん」導入をはかることにしたい様だった。
 健康グッズが流行っているが身に着けるだけで治癒力がアップすると言って何点か頂いたので家内で試してみようと思っている。
 家内も五年も飲んでいた降圧剤をやめて1週間以上経つが、血圧は落ち着いているようだ。自分の血圧を取り戻したようで安堵している。医者に言われるがままに薬を飲んでいたが、風邪をひいたのをきっかけに薬の怖さを実感した。私もあのまま寝たきりの状態になったらどうしようかと危惧したが少しづつ回復している。まだ腰が痛いと言っているがだいぶ動きも良くなっている。好きな酒も飲みだしているから調子は良くなっている。食欲も回復しているようだから今週位で元に戻るだろうと思っている。
 
 

学習することが多すぎる?

 このところパッド印刷についての問い合わせが毎日のようにある。パッド印刷での同じ仕事が全く違う2社の会社から寄せられることもある、請けた会社がパッド印刷についての知識が希薄で色んな所へ持ちかけているのだろうと思う。通常のパッド印刷業者が請けかねているような仕事が舞い込んでくることも多い。
 娘が今までとは違う地域交流をするようになって久しいが、そんな中からパッド印刷に関心を持つ方との触れ合いが増えているのだろう。来週は世田谷のものづくり学校へ出向いてプレゼンをする予定になっている。
 この1週間の間に家内が風邪をひき会社を休むような事態も起こっている、その風のひき方や症状に驚かさせられている。長年彼女が付き合っている医院の医療では治せない事実も分かり、薬を全部やめさせ、昨日は近所では有名な総合病院に行ったが、直ぐに結果が出ることにはならないようだ。
 私は長年医療を医者に任せるようなことはしてないが、家内は今までかかっていた医院は先代の父親の頃から付き合っていたらしい。私が医者嫌いなのを知っているので私には内緒で通っていたらしい。私は医者を変えたからと言って直ぐ状態が変わるとも思えないが、昨日はいろいろ検査をしたらしい。
 この1週間は公私とも忙しいことになって落ち着いてブログを書いている時間などなく、ブログが中断することになってしまっているが、私は至って健康で看病と仕事に追われている。
 昨日は前々から予定していた「未来クラブ」のデザイン講座で開発しようと言う製品の試作について、夜8時半に我が社に有志が集まり打ち合わせ会をした。
 夢のある製品なので話が楽しい、具体的にプロトタイプを作ってそれを検証しながら改善して行く、色んなデータを精査しながら完全商品に育て上げようということになった。集まった連中はそれぞれ有能者なので話が楽しい。一人づつの技術を活かし合う、出来上がった製品は人の世に役立つ、夢のある商品だがそう長くはかかるまい。こう言う夢のある話は一日と言うより、この1週間の疲れもすっ飛んでしまう。
 家内も明日あたりから出社出来るだろう、長年飲んでいた薬をやめて1週間たつ、血圧も安定している。薬が如何に体に良くないのか今回の件で実感したろうと思う。来月6日にMRIの検査を予約しているらしい、検査位は良いだろうと思っている。

自分のマーケットは力強い

 火曜日に見えた方からテストピースが20枚ほど送って来た。印刷不能と思われた素材にUVパッド印刷が最適だと知り、前回5,6枚しか送ってきてなかったので色々なインキで試した痕跡だらけの物だったので綺麗なサンプルが欲しいのだと思う。最初に望んでいた会社ロゴをきちんと印刷して送って差し上げようと思う。今まで無印の製品に自社ロゴを印刷して出す嬉しさは想像がつく。
 水曜日に見えた大阪の人が昨日購入代金を振り込んできた、今日発送しなければならない。自分達で版を作って印刷してもらったので自信をもって直ぐに顧客を喜ばせたいと言う思いが強いのだろう。
 時々来るなりコンビニで現金を下ろして来て持って帰りたいと言う人もいるが、自分のマーケットをしっかりと持っている人は決断が早い。顧客を喜ばせたい、それもいち早くと言う思いが急かせるのだろうと思う。
 今や先の見通しが出来ない、不安要素が多いと言われているが、自分独自の先見性を持ち果敢にチャレンジする人も居る。自分の強みをしっかり持ち、自分のマーケットを作り上げてしまう、そう言う人が我が社の顧客には多い気がする。そう言う方達が私に諸々のことを学習させてくれる。
 昨日は信金主催の事業継承セミナーと言うのを受けてきた。独立行政法人中小企業基盤整備機構の事業継承コーディネーターの講演だった。
 中企業も小企業も事業継承が上手くいかず廃業に追い込まれてしまうところが多く、30年頃には中小企業は存在しなくなってしまうのではないかと懸念されている。国としても手をこまねいているわけにもいかなくなっている。
 事業継承はそれぞれの企業によって事情はまちまちだが、色んなケースを例として挙げていた。事業を継承しようとする人が居ないというのもあるが、居てもそれが上手くいかない例も多い。
 色んなケースがあるが概ね計画的に時間をかけて継承して行く方が良いだろうとは言っていた。1回のセミナーで全てを学ぶのは無理だが、回を重ねて学習してゆくしかないだろう。
 

少量多品種の物への名入れ印刷

 昨日お見えになったご夫婦は大阪箕面市からお出での方だった。何年か前にギフトショーで声を交わし名刺交換もしたことがあったらしい。私は展示会でお会いした人々へのアフターフォローを全くしない怠け者で、必要とあらば先方から声をかけてくると思っているのでこちらから売り込むようなことをしない。だからお会いした人の名前も顔も少しも記憶にない無精者の典型になっている。
 昨日お見えになった方は夢職人を自称し素晴らしいマーケットを創造している。歯ブラシを製造販売している方で、この会社ならではの特別な歯ブラシを提供している。使って良いものだから人への贈り物として利用されることも多いのだろう、最近は少量だが名入れの需要が増えているらしい。
 これまでは製品へのロゴ印刷などは外注で間に合わせていたらしいが、数が300以下の少量の印刷だと外注先から喜ばれない、と言うよりやってくれないらしい。歯ブラシ50本、30本と言う少量に印刷をして欲しいと言うニーズが年々増えている、そこで思い出したのがギフトショーで私がパフォーマンスしていた「なんでもくん」を思い出したのだった。
 このお二人にはいきなり版を自分で製版することをしてもらった。データはUSBに入っていた有名ホテルのロゴと企業ロゴをエプソンのプリンターで出力し、私が指示する通りにバキュームクランプ版とポジをセットしてもらい、ライトボックスでポジ1分、網掛けフィルムを3分半露光して、現像の洗い出しも水切りも全て自分でやってもらった。ホテルのロゴは縮小したのでかなり精細な版になっていたが見事に製版出来ているのでご当人が驚いていた。乾燥して天気が良いので太陽光で後露光した。後露光はライトボックスでするより天気の良い日は太陽の方が早く3分くらいで済んでしまう。
 小さな40ミリ角の版は専用の印刷治具を用意してあったのでそれに落とし込むだけで印刷が開始できる。持って見えた歯ブラシや歯ブラシを入れる筒に印刷してみて歓声を上げていた。リッツホテルの細かいマークが綺麗に印刷出来ていたので驚いた。これだったらお客さんが喜ぶに違いないと言っていた。素材がポリカボネートなのでインキの密着は全く問題ない、印刷の受け治具の作り方も説明し、歯ブラシの形も数種るしかないので何種類かの治具を作っておけば、分単位で小量の物が処理できる、夢職人の夢が更に広がったらしい。
 MISOKA歯ブラシを3本頂いたが特殊加工で歯磨き粉も要らず、使ってみて確かに爽やかな使い心地でファンも多いのが想像できる、益々の発展を祈ってしまう。
 「なんでもくん」で印刷の持つ高付加価値性に気が付く人が増えている、購入して使っていなかった人も使い始めた人がこのところ増えている。特殊なインキの注文も増えている。

最終的にはUVパッド印刷が威力を発揮

 あるゴム会社が新素材で製品化に成功し販売に踏み切ったが、新製品に自社の会社ロゴを印字したいといろいろな印刷方法を検討していた。今流行りのインキジェットプリント、シルクスクリーン印刷等を試しても素材の特徴が邪魔して印刷不能。ゴム製品はいろいろ開発している会社だが無印でマーケットに出し、それなりの有効需要があり益々拡販されて行くことは予想されている。
 我が社に印刷テスト依頼があった時、パッド印刷で印刷可能なインキが1種あったが、安定した印刷結果はこれからの課題だと思っていたけど一応密着するインキがあると試作したものを送り返しておいた。
 昨日は社長自らが我が社にお出でになり、試作で出していたものも持参し、これでよいからパッド印刷の印刷方法を確かめたいと言って来られたのだった。
 密着可能と思えるインキ2種とUVインキを用意した。先日テストしたインキは溶剤分の多い少ないでインキの乾燥状態で印刷にバラつきが多すぎる。
 そこで無溶剤のUVインキで印刷をしたら、これが一番安定した印刷が出来ることが判明した。社長はUVであるならば太陽光で固まるのではないかと太陽光に当てたら多少硬化し密着可能だと言うことを理解した。
 我が社のUV 乾燥機で乾燥したら全く印字としての見た目も良く、密着は万全だった。UVインキであれば小さな文字も印刷可能で希望のロゴマークと組み合わせて印刷はできる。テストピースを20枚位送るのでそれでサンプルを作ってくれと言うことになった。
 問題はUV乾燥で、小型のUV乾燥器を何処かで作らねばと言うことになった。何故なら製造した時積み上げてゆく際に隅に印刷したいのが希望で、大きな乾燥機では困る。私も小型のものを探すことの協力をすることになった。
 「なんでもくん」で印刷している時に「どこでもくん」で印刷して見せたら、えらく感動し「どこでもくん」で印刷する方法も考えてくれと言うことになった。
 何をやっても上手くいかなかったものが、UVのパッド印刷が一番有効だったことに私が一番うれしさを感じた。長年UV印刷を手掛けてきたが、UVインキでのパッド印刷と言うのは他に無いだろう。パッド印刷の伝道師を自称しているが面目躍如というとこか?
 最近私がブログを更新していないので大阪にいる娘が電話で心配していた。娘がどこか調子が悪いのではないと思ったらしい。最近は時代の変化につれて色んな経済用語などが見られ、特にIT社会で流通している言葉など理解しきってない。これからの3年5年先も世の中どんなふうに変わるか予測も出来かねることも多い、ブログを書く時間を割いてでも多少でも勉強をしないといけないと思って、最近は早朝に本を読むことが多くなっている。身に着けないと思わしくない用語などもたくさんある。年のせいか物覚えが良くなくなっているので大変な努力を強いられている。

今週は連日の「なんでもくん」研修と「じざいくん」研修

 今週は印象に残る人達が何人もいた。特にリンゴに可食インキで印刷をしたいと言う方が見えた。自分は島根県でいながら青森県のリンゴ印刷をしているところに外注してその販売を仲介して仕事の一部にしていたらしい。
 話を聞いてみれば島根と青森とでは距離も遠く、発注してからの時間もそれなりにかかり、自分で印刷が出来るほうがスピード的にも有利になるのでリンゴに印刷を内製化したと言う希望だった。
 そのリンゴ販売のスケールを聞くと大した量のものではない、リンゴ印刷を自分でやるようになったからと言って収益が劇的に変わるものでもない。それより少量で多品種への印刷ニーズはある意味無限にあると言ってもよく、その方向へ進んだ方が遥かに事業展開としても大きな可能性があると話した。
 我が社には自社で、または個人的に印刷が出来るようになって会社の業態が大きく変化したり、個人で事業展開して成功している事例がたくさんある。個人で時給2万5千円になった人もいる、その人がどんな事業を展開したのかも話して差し上げた。アイデア次第でこの世には大きな隙間もあり途轍もない大きなマーケットがある、そのマーケットを自分のものにして資金を稼ぎ次の事業展開が出来た人の例を話した。
 そうしたらその方はリンゴに印刷するのは内職的なもので、自分は医療関係のものを扱う会社のサラリーマンであり、社内で印刷を内製化したら大きな展開ができそうだと気が付いたらしく、リンゴに印刷することは置いといて、色んなものへの印刷を体験したいと言うことになった。
 我が社に色んなものへの印刷サンプルもあり、それらを見ただけでもカルチャーショックを感じたようだった。版を作り自分で印刷してみてある程度自信を持ったようだった。おまけに「じざいくん」の製版や印刷をしてみて、こんなに簡単に印刷が出来るとは想像もしてなかったらしい。「じざいくん」はシルクスクリーン印刷で、「なんでもくん」の露光システムで製版出来てしまうのには驚いたようだった。またシルクスクリーン印刷の版は、何度でも再版できるので版コストは再版すればするほどコストが下がる。シルクの版を使って印刷した後直ぐ落版して見せ、再版するところも見せた。島根に戻って色んな事業展開を模索することになったろう。
 昨日も会社に出たら二人の方が見えていた。一人は注文を出す方で、一人は「なんでもくん」を使って仕事にしようと言う知的障害者施設の方だった。注文を出す方は自社のカタログを見せて頂いたが数百のアイテムを販売する会社だった。その会社の商品に名入れサービスをするのにその知的障害者施設を利用しようと言うことだった。扱っている商品を何点か持って見えていたので、印刷の受け治具の作り方もやって見せた。マグカップなどは箱に入っていたので、箱にもパッド印刷より簡単に印刷が出来ると「じざいくん」用の版をつくって、箱にも印刷して見せた。パッド印刷では印刷が無理な大きな面積の印刷が出来ることも知ってもらった。
 知的障害者の施設の仕事は時代の流れで仕事が減る一方なので来る仕事を待っているだけでは仕事が無くなってしまう、こちらから提案する、出来る仕事をしなければならない時になっている、知的障害者は覚えたものは一日中でも繰り返しできる、その強みを生かす仕事になるだろうと思う。
 
 

「あだち異業種フォーラム2016」は盛況だった。

jpg異業種フォーラム
 今年度の「あだち偉業フォーラム2016」は参加者はそう多いとは思えなかったが、大成功だった。
 グループディスカッションは各テーブル5,6人と言うのも良かったのかも知れない。一人づつのプレゼン時間も充分あった。一人一人の持つ技術は凄技と言ってもよく、通常自分らが全く関係のないようなものが多く、それを知ることが新鮮な知識に思えるので好奇心が喚起された。
 1時間でグループが入れ替わり、また違う技術に触れる、これは私に限らず皆楽しかったと言っていた。過去にもグループディスカッションは何度か行われたことがあったが、今回ほど賑わった感じはなかったように思う。
 テーマが知りたい話したい「足立の凄技!」と言うのも良かった、それに自社で使う道具を何か一つ持って道具の説明、自分の触れたことのないような道具に触れられるのも楽しかったのだろう。
 私が話したのは今足立区では新制度として昨年9月から65歳以上の高齢者に「見守りキーホルダー」と言うのが無料で配布され、見守りナンバーと言うのが登録される。その登録番号と見守りセンターの電話番号が記されているキーホルダーなのでこのキーホルダーを持っていれば、身元の分かる身分証や免許証など持たずに事故に出会ったり、帰り道が分からなくなったりしても保護された時に連絡先が直ぐ分かることになっていることを紹介した。
 ただ、キーホルダーをも持たずに徘徊してしまったら、保護しても連絡先が分からないことになってしまう。そこで私は何も持たずに徘徊しても裸では徘徊しないだろう、肌着や下着にキーホルダーと同じ見守りナンバーや見守りセンターの番号をシャツメーカーのロゴのように印刷してあれば、認知症の人でも抵抗なく着て呉れるだろうと福祉部に提案した。
 高齢サービス課はそれを「あんしんプリント」と命名し、その印刷の版も無料で配布することになった。我が社の「なんでもくん」を高齢サービス課と地域包括支援センターに置き、予約して行けば何着でも下着やパンツに無料で印刷できる制度が始まっている。
 その時使う版がこれだと言って皆に見せた。こういう制度が始まっていることを誰も知らなかった。昨年度も徘徊して行方不明になった人が全国で12,000人も発生している。一昨年は10,700人だったが、年々増え続けている、足立区内の人にこの制度が充分周知されてない現状がもどかしい感じもする。が、3月時点で10数人が助かったという成果が有ったとは聞いている。
 以上のことをプレゼンしたが、中には葛飾区の人もいたので、彼は葛飾でもこういう政策をすれば良いのにと言ってくれた。
 懇親会も大いに賑わって内容の濃いフォーラム異業種フォーラムだったと言えるだろう。来年度も同じようなやり方を推奨したいと思っている。

 
 
livedoor プロフィール
なんでも印刷日記
今パッド印刷に革命が起ころうとしております。
私のパッド印刷機は「なんでもくん」と言います。
形のあるものでしたら何でも印刷できるからです。
誰でも何処でも素人がまるで印刷職人のようになれる。
ある人は曲面の魔術師とも称しております。
興味のある方は安心堂の丸山に連絡下さい。

Profile
パッド印刷の伝道師
東京都足立区千住生まれ,小中高は区内です。
法政大学法学部法律学科卒業後証券界に身を置くも10年後、子供の時からものづくりに憧れがあり、生涯現役でいられる仕事を求め徒手空拳のまま全く経験の無い印刷業を開始し今日に至る。
株式会社安心堂として手動式パッド印刷機「なんでもくん」を開発し、販売している。またパッド印刷技術を活かし文字入り線香「焚経香」を発売している。
「なんでもくん」も「焚経香」も足立ブランドとして認定されました。
   自称「パッド印刷の伝道師」
現在あだち異業種交流会「未来クラブ」会長
「あだち大好き人間」を自認している。
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